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本にな〜かね!
なんと冬營舎の日記が

出版不況にへこたれず

刊行に踏み切る地元の編集者

沖田知也さん (ハーベスト出版) に聞く

​聞き手:細田雅大 2022年6月1日
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沖田知也(おきたともや)

1990年、広島県尾道市生まれ。大学卒業後、谷口印刷・ハーベスト出版に就職。『地域ではたらく「風の人」という新しい選択』(第29回地方出版文化功労賞・第2回島根本大賞)、『古代出雲繁栄の謎』(第4回島根本大賞)、『おがっちの韓国さらん本』(第5回島根本大賞)など、これまでに15本の書籍編集に携わる。

細田 松江の小さな古本屋、冬營舎(とうえいしゃ)のご店主、イノハラカズエさんの本がもうすぐ出版されると聞きました。本屋の店頭にはいつ頃、並ぶのでしょうか?

 

沖田 確定ではないんですが、店頭には7月末から8月上旬ぐらいに 注1並ぶと思います 

 

細田 ハーベスト出版のサイトには「島根県松江市を拠点として、山陰・出雲のコンテンツにこだわり、地域の作家による本を出版しています」という自社紹介があります。イノハラさんの本は山陰でしか買えないのですか?

 

沖田 全国です! 全国の書店で買えますよ! 税抜きで1,500円です。

 

細田 「これはどんな本ですか?」と聞かれたら、担当編集者としてどう説明しますか?

 

沖田 松江の古本屋で、冬營舎というのがあると。そのお店の特徴というか面白さとして、本は売れないんですけど、お客さんが毎日、差し入れを持ってくる。そのお客さんとの交流を店主が綴ったエッセイ、というのが本の説明になると思います。

 

細田 今回の本は、山陰のミニコミ誌「BOOK在月」注2でのイノハラさんの連載が元になっていますね。あの連載を読んで、本にしたいと思われたんですか?

 

沖田 はい。あの連載が始まったのが2016年です。もともとイノハラさんに原稿を依頼したのは森田一平さん 注3でした。私も「BOOK在月」実行委員会のメンバーの一人だったので、あの雑誌はわが社で何号か印刷したんです。

 

細田 最初は森田さんが原稿を依頼されたんですね。

 

沖田 そうです。僕自身とイノハラさんとの出会いをお話しすると、「ふるさと島根定住財団」という団体がU・Iターンについての情報誌を出していて、それをわが社で作らせていただいていました。その情報誌で、Iターンされたイノハラさんを取り上げることになり、冬營舎が開いてすぐの2015年、お店を開かれるまでの経緯を取材したんです。それで、これは後で大変なことになるんですけど、ご存知の通り、イノハラさんは定住財団のようなものは通さずに......(笑)。

 

細田 ああいう財団とかは避けたがる人ですからね。

 

沖田 はい。取材してみると「風の吹くままに移住してきた」などと言われるんです。本当に、その表現通りの人だと思いました。「定住財団の情報誌なのに、どう記事をまとめればいいんだ?」と悩みました。それが最初の出会いです。その後、「BOOK在月」の連載を読んで「こんな独自の世界を書く人なんだ」と驚きまして。そのギャップも含めて面白いと思ったのが最初です。

 

細田 沖田さんとしては、定住財団などを通して来られる人たちとは違う印象を受けたんですか?

 

沖田 違いましたね。いちばん大きく違ったのは、やっぱりその......、計画を立てていない、というところですよね(笑)。財団を利用して来られる皆さんは、しっかり手順をお持ちなんです。相談をして、見学をして、ある程度、組み立ててから移住して来られるのが一般的です。なので誌面も、そういう型に落とし込んで作るんですけど、イノハラさんの場合は、何回尋ねても「流れに流れて(ここに来た)」というような返答しかなかったんですよ。そういう雰囲気が今回の本にも出ていますよね。

 

細田 そういう、計画の立ててなさっぷりが、沖田さんには魅力的に映ったんですか?

 

沖田 そうですね。今の時代、例えばコンプライアンスとか、細かな計画立てとか、随所に「こうでなくてはいけない」という息苦しさがあると思うんですけど、それに真っ向から対立するような自由さに救われましたね。

 

細田 実は私も冬營舎の常連のはしくれなんですが......。

 

沖田 いちばんの常連じゃないですか(笑)。

 

細田 イノハラさんから聞いたところでは、古本屋を開いたのは単に本を溜め込み過ぎていたかららしいんですよ。自分に何ができるか考えた時、古本屋しか選択肢がなかったと言われるんです。そういう人にありがちな気もしますが、本が大好きであるがゆえに、自分のことが本になったり、まさか自分が本を書いたりとか、あり得ないと思っている節があります。ご本人は、自分が書くものに出版の価値などないと思っているのでは?

 

沖田 古本屋という職業柄、本を出すことの難しさは自覚されていると思います。ただ、古本屋さんや書店さんが本を出すことって、今、ブームになっていまして、実際に読んでみるとそういう商売に就く人の考え方ってやっぱり変わってるんですよね。なぜなら、基本的にはお金にならない商売ですから。それが前提なので、よほど思いが強いか、何か考えがないと取り組めないと思うんです。そういう人たちの日常や考え方は、社会にインパクトを与えると思います。ご自身は謙遜されて「私なんか私なんか」と言われるんですけど、これまでそういう機会がなかっただけであって、本を読まれてきたインプットの量はすごいと思います。文体とか言葉の雰囲気とか、明らかに素人じゃないんです。独自のものがあったので、これは面白いと思いました。

 

細田 沖田さんが最初にイノハラさんに「あの連載を本にしたいんですけど」と打診された時、「きゃあ、嬉しい! よろしくお願いします!」という、喜びが爆発する感じでは絶対なかったと思うんですけど......。

 

沖田 そうですね。それは今もそうです(笑)。

 

細田 今もそうなんですか!

 

沖田 「あれを本にしたい」ということは早い段階から言っているんですよ。あの連載が始まってわりとすぐに言ったんですね。本にするにはある程度の分量が必要ですから「ちょっと連載をためていきましょう」と言っていたんです。

 

細田 今、インプットの量がすごいとおっしゃいました。古本屋ですから店内にはたくさん本が置いてありますよね。それを見たお客さんが「いい本が揃っていますね」と言うと、イノハラさんは「でも私、ほとんど読んでいないんですよ」と言われるんです。あれは謙遜なんでしょうか? それとも本当に読んでいない?

 

沖田 まあ、両方でしょうね。イノハラさんの言葉を真に受けてはダメですよ(笑)。お好きな本は読まれていると思います。一方で、イノハラさんはテレビはご覧になられないんですよね。だから、一般の人とは違うインプットだとも思うんです。

 

細田 そもそもテレビを所有しているかどうかも怪しい。

 

沖田 そのぶん、いま流行っていることではなく、好きな作家についての情報量とか広がりとか、イノハラさん独自のインプットの深さが面白いと思うんです。それが独自のアウトプットにもつながっているんじゃないでしょうか。僕自身も、冬營舎に出かけて、イノハラさんのお好きな作家さんの話を聴いたりすることが好きですね。

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​冬營舎で、著者のイノハラさんと校正作業中

密かに進めた出版準備

細田 ハーベスト出版は、谷口印刷の一部門として出版業を営む企業なわけですから、善意や心意気だけでは本は出せないと思います。つまり、売れそうにない本は社内で出版許可が下りないと思うんですね。沖田さんがあの連載を気に入り、イノハラさんと付き合って本にしたいと思い、実際に会社に提案したのはいつ頃ですか?

 

沖田 ちょうど1年くらい前ですね。自分の中ではずっと「これを本にしたい」という思いはあったんですけど、原稿がある程度たまらないと会社にも見せられませんから。連載開始から5年後に、出版会議に企画書を提出しました。

 

細田 出版会議というのは定期的にあるんですか?

 

沖田 そうです。月に1回あります。

 

細田 年間、どれくらいの本数の企画を提出するんですか?

 

沖田 月に1回の出版会議に1〜2本企画を持っていくことになっています。それで半年に1本、通るか通らないかくらいですね。

 

細田 この企画を出した時、皆さんの反応はどうでした?

 

沖田 (なぜか威勢よく)悪かったです! 著者にとっては初めての本ですし、冬營舎さんの知名度をどう測ればいいのか、この本がどのように受け入れられるのか、全く未知数でしたから。ただ「BOOK在月」の連載の評判が良いということは会社に説明しました。あとは、会社のスタッフを冬營舎に連れていって雰囲気を見て分かってもらう、というようなこともしました。

 

細田 なるほど。

 

沖田 類書がないということは、見込みが立たないということではあるんですけど、裏を返せば企画として新鮮だということです。なので挑戦してみる価値があると思いました。そして一番大きいのは、郷土の出版社として、不況の中、出版を盛り上げていきたいという思いが我々にはあります。地元の出版文化や本屋さんを応援していきたいというトップの考えもあります。そういったものも出版の後押しになったと思います。

 

細田 会社として最終的にゴーサインが出たのはいつですか?

 

沖田 半年くらい前ですかね。なので、あまり大きな声では言えないんですけど、水面下で密かに(出版準備を)進めていったようなところがあります。

 

細田 それは面白いですね。会社として本決まりではないのに、沖田さんとしては「絶対に出すぞ」という覚悟で勝手に進めていったわけですね。それはぜひ大きな声で言いましょうよ!

 

沖田 会社が「どうすんの?」とか言っている間に、イノハラさんには「OKが出たので準備を進めましょう」と言ってましたね(笑)。

 

細田 それは編集者の鑑(かがみ)ですよ。社内では叱られるだろうけど、本好きにはたまらない。

 

沖田 社内の本好きの人間も、あの連載を面白いって言ってたんですよ。例えば10人いて、そのうち3人が「面白い、絶対買う!」と言えば、企画として僕は当たりだと思うんですね。

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​何がおかしいのか、突然笑い出す担当編集者と著者

日記なのにフィクション?

細田 私もあの連載の評判は耳にしていたんです。イノハラさん本人の口からも聞きましたし、他の人からも聞きました。あの日記の話になると、イノハラさんは必ず「あれはフィクションです」と言われるんですよ。一方で、その日に誰が来て何を差し入れたかについては正確な記録になっている。それなのになぜイノハラさんは「あれはフィクション」と言うのだと思いますか?

 

沖田 うーん、なんだろうな......。差し入れについてはたまにメモを取られているので確かなものを書かれていると思うんですけど、日々、誰が来てどんな話をしたかというのは、イノハラさんの頭の中で再構築された世界なんですよね。それで、僕は基本的にノンフィクションなんてこの世にはないと思っているんです。必ず誰かが編集した世界なわけですから。大事なのは......なんて言えばいいかな、本当の中に嘘が書かれているものと、嘘の中に本当が書かれているものがあると思うんです。僕は後者の方が響くモノになると思っていまして、結局、読者はどこかでそれが分かると思います。イノハラさんの文章が面白いのは、とにかく具体的なことが書いてあって、一方で自分の主観のことはほとんど書いてないんですね。通常のエッセイだと、こんな人が来て、こんなことが起きて、自分はこう思ったと書くと思うんですけど、その「こう思った」という部分がないんですよ。

 

細田 そうですね。

 

沖田 それが入ると、非常に個人的な話で終わってしまいます。一方で、具体的な世界を書けば書くほど、一般の人にも面白い話になるんですね。なぜそうなるのかは僕もまだよく分かってないんですけど。

 

細田 たしかにこの日記は単なる記録として読めますよね。誰が来て何を残していったかが書かれている。その一方、自分がどう思ったかは書かれていない。私もそこが面白いと思います。なぜそれが面白いのかは分からないとおっしゃいましたが、あえて今、その理由を述べるとどうなりますか? 

 

沖田 具体的なモノが、読む人のイメージを喚起するからだと思います。著者が形容詞を加えると、そのイメージが固定されてしまいますから、その分、世界が狭くなってしまうのではないでしょうか。

 

細田 あの連載でもそうですけど、冬營舎にやってくるお客さんたちが、実名ではなく仮名で登場するじゃないですか。やはり実名だと、まずいですかね?

 

沖田 そうですね。そこは本当に悩みました。やはり全員から許可が取れるわけではないので、実名にするのはコンプライアンスの点から気になりました。ただ、仮名と言っても、名前の1文字が変わっている程度ですから、分かる人には分かるはずです。それに、遠くに住んでいる読者にとっては、実名だろうと仮名だろうと違いはないですからね。

 

細田 私のような常連からすれば、たとえ仮名でも「ああ、あの人のことだな」と分かります。それがあの日記の面白さのようにも思います。しかし今言われたように、まったく冬營舎に行ったことがない人には、その面白さは感じられません。自分の知らない古本屋に自分の知らない人たちが差し入れを持っていくという日記を読んで、遠くに住む読者は面白いのでしょうか?

 

沖田 そこは半分、希望が入っているんですが、ほとんどの本は、知らない世界のことばかり書かれているじゃないですか。別にこの本に限らないと思います。エッセイとか旅行記でも、自分が行ったことのない場所について読む。それは僕たちが慣れ親しんでいる行為ではないかと思います。地元のモノや地元のことが具体的に書かれている本ですけど、だからといって読者が限定されてしまうという不安はないですね。

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​松江市の茶町、その横道の、分かりにくいところで営業中

過去がないことの強み

細田 本から少し離れて、冬營舎というお店についてお尋ねしたいと思います。イノハラさんは、大雑把に言うと松江にIターンされた方ですよね。

 

沖田 そうですね。

 

細田 冬營舎に初めてのお客さんが来ると、私は勝手に「歴史の語り部」と称して、お店の成り立ちを語るんです。「ご店主がこの店を開いたのは、松江という町が気に入ったからである。県外出身のご店主が、わざわざ松江で店を開いた。それがすぐにつぶれては松江の名がすたる。だから近隣住民はなんとか助けたいと思った。とはいえ毎日、古本を買うのは至難の技である。であれば食料を差し入れて、ご店主の生命だけでも維持しよう。そして何とか、店を続けていってもらおう......」。同じようなことが地元の新聞にも書かれました。そういえば沖田さんもIターンですよね。

 

沖田 はい。僕も広島からのIターンです。

 

細田 イノハラさんがIターンされた人であることが重要だと私は思うんです。Uターンした人、あるいは地元生まれの人がお店を開いた場合、まずは昔の同級生とか知り合いに連絡すると思います。その結果、その店には最初から「常連」がいる感じになってしまう。お客さんの間に「温度差」みたいなものが生じてしまう。一部のお客さんは、店主を開店前から知っているわけですから。しかしIターンした人の場合、良い意味でも悪い意味でもそういう因縁というか、しがらみがない。特にイノハラさんの場合、先ほど沖田さんも言われた通り「流れに流れて」という感じだから、松江という土地にぜんぜん過去がない。

 

沖田 そうですね。

 

細田 松江という土地に過去がない人が店主だから、誰でも入りやすいのではないか。私はそれを称して「冬營舎はブラックホールだ。誰でも平等に吸い込んでしまう」と言っているんですけどね(笑)。沖田さんは、同じIターンとして、どう思われますか?

 

沖田 細田さんの話を聴いて、なるほどと思いましたね。逆にここが地元ではないからこその強みというか、招き入れやすさはあるんだろうなと思いました。実は僕、今日のインタビューでは、逆に細田さんに冬營舎の魅力をお聞きしたかったんですよ。

 

細田 じゃあここからは「聞き手:沖田知也(ハーベスト出版)」ということで行きましょう!

 

沖田 細田さんが冬營舎に行かれるようになったのは、2015年に開店してすぐだったんですか?

 

細田 いえ、そうじゃないんですよ。

 

沖田 あ、そうなんですか?

 

細田 はい。実は私は2014年の秋まで15年間、海外におりまして。年が明けて、古本屋が近所にできたという新聞記事を読んだんです。私も読書好きですから「いちど行ってみようかな」と思ってはいたんですね。でも、これは典型的な松江の人の性格なのかもしれませんが、新しくできた店にさっと入っていくことが、その時はできなかったんです。外観を見て「これが新しい古本屋さんか」と思ってから、だいたい1年後に店に入ったと思います。

 

沖田 まるで乙女じゃないですか!

 

細田 各地を転々としているうちにたまった本を持ち込んで、買い取ってもらったのが最初ですね。それからはたまに行くようになりましたけど、常連という感じではなかったですね。

 

沖田 そんな時代があったとは意外です。

 

細田 よく行くようになったのは2016年の後半になってからです。実はそこには別の店も関係しているんですよ。冬營舎から歩いて数分の場所に「めしや巴李古(ぱりこ)」という和食屋があったんですね。最初はそこによく行っていたんです。海外から帰ってきたばかりの私は、松江を変えていってやろうと思っていました。例えばアメリカでは、飲み屋などで席が隣になった他人同士がよく話すんですよ。しかし日本では、というか松江では、なかなかそれが起きない。飲み屋のカウンターに二つの別グループが座っていて、どちらも同じ野球の話をしているのに、なかなか合流しない。私は「めしや巴李古」のカウンターに座って、そういう松江らしさを打破しようと思ったんです。つまり、カウンターに座っている知らないお客さんに話しかけて、おしゃべりに引きずり込む。それを自分に課しました。「めしや巴李古」の女将さんは伊藤巴さん 注4というイラストレーターなのですが、巴さんに理解してもらって、そういうことをやってましたね。沖田さんは巴さんをご存知ですか?

 

沖田 本書にも登場されますが、そのお店に行ったことはないです。

 

細田 カウンセリングをするイラストレーターなんですが、こないだは本も出版された面白い人ですよ。ただ、この「めしや巴李古」が2016年の秋に店仕舞いされたんです。そのため私の活動場所もなくなった。でも私は引き続き、人と人を横につなげていくようなことがしたかった。近所でそれができそうなのは冬營舎しかなかったんですね。だから、よく行くようになりました。

 

沖田 そうだったんですか。

 

細田 だいたい古本屋というのは静かな場所のはずなんですよ。みんな黙って本を物色する。でも冬營舎ではお茶やコーヒーも出ますからね。初めての方が来ると、私がお店の歴史を語って、おしゃべりに引きずり込むわけですね。そのためのお茶菓子も買っていきますよ。古本の販売にはつながらないので、イノハラさんには迷惑がられますけど。

 

沖田 松江を変えていこうという細田さんの取り組みは成功していると思いますか?

 

細田 うーん。どうですかね......。以前、イノハラさんは「夜の冬營舎」というイベントをされていたと思います。イノハラさんがお題を決めて、そのお題にまつわる本についてお客さんが談笑する。そのうち、このイベントはなくなり、むしろお客さんが企画を出して何かやるようになった。もちろんイノハラさんのお眼鏡にかなわないといけないわけですが、彼女はいつも「私が考えた企画は一つもありません。お客さんが勝手にやっているんです」と言います。そういうふうにお客さんが積極的に何かをやっていくという雰囲気作りには、多少は貢献できたかなと思います。

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ある日の店内。本はいっぱい、客はいない

友だちの住む一般の家?

沖田 僕がイノハラさんの発言で面白いと思ったのが「誰もこの店を本屋だと思っていない」というものなんですね(笑)。

 

細田 そのセリフは私もよく聞きますね。もちろんご本人は面白がって言っているのだと思いますが、冗談というわけでもない。私が店内で観察していても、お店に来たのに店内の本をまったく見ずに帰っていくお客さんはけっこういますね。

 

沖田 はははは。致命的ですね。

 

細田 置かれている本を売り物であると認識していない。インテリアだと思っているのではないでしょうか(笑)。それでもまだ、飲み物を注文して金を落としていくのであればいいんですけど、何も注文せず数時間おしゃべりだけして帰るお客さんもいるようです。つまり冬營舎を、友だちの住んでいる一般の家だと思っている(笑)。

 

沖田 そこが面白いんですよね。イノハラさんの存在感というか......。出過ぎず離れ過ぎずという存在感なので、皆さん心地いいんでしょうかね。業態だけを考えれば、似たようなお店は他にもあるわけじゃないですか。でも冬營舎だけがあんなふうに出入りしやすい。僕も初めての店だと「何か買わなきゃ」と思うんですが、冬營舎だとそのプレッシャーが、良い意味でも悪い意味でもない。

 

細田 イノハラさんは口では「そんなお客さんばっかり」と苦情を言われるんですが、心から嫌だとは思っていないと思います。「まあ、これでいいや」と思っている部分もあるんじゃないですかね。「冬營舎は資本主義の論理で動いてませんから」とも言われるんです。そこから考えると、冬營舎への差し入れは、集まって話をしたり何かをやれる場所としてお店を維持してもらっていることへのお礼だと考えられるんですね。

 

沖田 なるほど。そういうことなんですね。

 

細田 イノハラさんはそれを称して「資本主義とは別の論理で動いている」と言われますね。一種のバーター経済ではないかと思います。

 

沖田 差し入れって、つまり贈与じゃないですか? ご存知の通り、贈与って、受け取ると返礼の義務が発生するんですよね。だから僕はこれまで「あんなに差し入れをもらって、イノハラさん、返礼しなくて平気なのかな? 後ろめたくないのかな?」と思っていたんです。でも今の話を聞いて納得しました。イノハラさんはあの場所を維持することで、最初からお客さんに贈与しているわけですね。

 

細田 そうです。差し入れをする側も、彼女が不憫(ふびん)だから差し入れをしているわけではない。あの場所が維持されていることへのお礼として、冬營舎を舞台とする小さなコミュニティに参加できていることへのお礼として、差し入れをしていると思いますね。

 

沖田 なるほど。ある種の循環型経済ができあがっているんですね。イノハラさんはよく「商売だったら成り立たない」とも言われるんですけど、それも資本主義経済ではなく、循環型経済を指している言葉ですね。

 

細田 コロナ禍で、客商売の多くは売り上げが激減したわけですが、冬營舎はコロナの被害は受けなかったようなんですね。「コロナ禍でも減りようがないくらい、最初からお客さんが少なかった」とイノハラさんは自虐的に言われます。それはつまり、金銭を通した経済に過度に依存していなかったということなのかもしれません。他の店とは違う、別の仕組みで動いていたからなのかもしれません。

 

沖田 実はコロナのことは今回の本では意図的に触れていないんです。そこにはイノハラさんのこだわりがあって、「この店にとってコロナは、その日、大雪が降ったということと変わりはないんです。だから書くには至りません」ということでしたね。そのあたりも、この本の雰囲気に如実に現れていると思います。

 

細田 イノハラさんは過去を語ってくれないんですよ。名前もカタカナ表記しか許さない。「イノハラカズエ」をどういう漢字で書くのか誰も知りません。私は、漢字でグーグル検索したらヤバい過去が出てくるからではないかと思っているんですが(笑)、カタカナで検索すると冬營舎のことしか出てきません。いろいろなことを、冬營舎以前に経験されているのかもしれませんね。今回のコロナも「なんだかんだ騒いでいても感染症の一つでしょ」と思われている感じです。「感染症ごときでジタバタしない」という覚悟があったんじゃないですかね。 

 

沖田 そうかもしれませんね。

 

細田 私も常連の一人ですから、コロナが始まった時、冬營舎が心配になったんですよ。緊急事態宣言が出てからも、冬營舎ではアーティストの展示会が続いていたんですね。だから「中止にしたほうがよくないですか」と助言したんです。「この状況ならアーティストさんも理解してくれますよ。もしも感染者が出たら、今はバッシングがひどいので、冬營舎もひどい目に会いますよ」って。その時も本人は曖昧に微笑しながら「うちはお客さんが少ないので大丈夫ですよ」と言って、結局、何も変えませんでした。そこからも「こんなふうに店をやっていきたい」「こんなふうに生きていきたい」という強い考えが実はあるんじゃないかと思いますね。

 

沖田 今のお話を聞いて思ったんですが、イノハラさん自身にエゴがあるのかないのか分かりませんけど、主役は、冬營舎というお店なんですよね。イノハラさんじゃないんですよ。そこが面白い。このお店が愛されているから、このお店を残していきたい。店主もお客さんもそう思っている。この本に書かれているのは、そういう関係性だと思うんです。イノハラさんはよく「思いもよらぬ愛され方をしたから後に引けない」と言われるんですけど、そこには、自分ではなく、お店自体を人格に見立てている感じがありますよね。そうした部分がフィクションと言えばフィクションと言えるのかと思います。

 

細田 私はよく「冬營舎は奇跡が起きている場所ですよ」と言うんです。イノハラさんのご機嫌を取りたい時なんかに特に(笑)。どういうことかと言うと、たまたまあの場所に店を開き、たまたま周囲に差し入れ好きな人がいて、たまたま全てのバランスが整ったから、たまたま今のようになっていると思うんです。イノハラさんは「手狭なので引っ越したい」とよく言われるんですけど、私は「引っ越したら今の絶妙なバランスが崩れて、元には戻らないかもしれませんよ」と言っています。

 

沖田 その「たまたま」というところが、他のU・Iターンの人たちとは違う、イノハラさんの計画性のなさと符合していると思います。計画してできるものではない偶然の面白さがあると思います。

 

細田 沖田さんも、たまたま目の前で起きていて、そして、いつ終わるか分からないものを、出版人として記録に残しておきたいから本にしようと思ったんじゃないですか?

 

沖田 その通りだと思います。他にも本屋さんがある中で「冬營舎では何か違うことが起きているな」という感じはありました。冗談半分で「お店があるうちに本を出しておきましょう」とイノハラさんによく言っていますよ。

 

細田 私は海外から帰ってきた勢いを借りて「壁みたいに見えるものは、案外、壁ではないですよ」ということを伝えたかったんですね。そうするためにはまず自分の「壁」を壊す必要があって、それはそれで大変だということに後から気づくんですが、冬營舎に若い人が来ると、よく言うんです。「何かやりたいことがあれば、ご店主に企画を出せばいいんですよ。ご店主のお眼鏡にかなわないといけないけど、もし実現したら、いろいろな人が参加してくれますよ。このお店はいつまで続くか分からないから、何かやるなら今のうちですよ」って。差し入れを持ってくる人たちも、おそらく分かっていると思います。この店がいつまでも続くわけではない、ということが。だから、今のうちにやれることを精一杯やろうという気になるんだと思います。

 

沖田 皆さん、今、ここで、生きておられますよね。考えてみると、この本の出版も、冬營舎の中での企画の一つかもしれないですね。

 

細田 なるほど。その通りかも! 面白い!

 

沖田 僕が客として企画を出して、勝手にやらせてもらっているということですね(笑)。

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著者の協力が見込めぬ宣伝

細田 ところで、本は出版しただけでは駄目で、宣伝をしていく必要があるじゃないですか。近年は、著者自身がSNSを駆使して自分の本をPRするのが当たり前になっています。しかしイノハラさんはSNSをされません。SNSどころかデジタルなコミュニケーション自体がお嫌いな感じです。冬營舎にはブログがあって、営業日のお知らせやイベントの告知などされていますが、あれも本人がやりたいわけでは決してない。イベントの舞台となる以上、主催者やアーティストが関わってくるので仕方なく、最小限の告知をして体裁を整えているだけ、という感じがします。そこから考えると、今回の本についてもご本人が「がんばってじゃんじゃん売りましょう! 私も販売に協力しますよ!」と言っているとは思えないんですね。

 

沖田 はい。まず正式にですね「著者自身は宣伝に協力できません」と明言されました......。

 

細田 わはははは。

 

沖田 前代未聞です(笑)。「売らないと駄目ですか?」とイノハラさんに聞かれまして。「僕のクビが飛びます」と答えました。なので今は「本を売らなきゃいけないのは沖田をクビにしないため」ということは理解してもらっています。「人助けだと思って協力してもらえませんか」とお願いしているところです。ただやはり、イノハラさんご本人が前面に出るのは無理だと思うので、冬營舎の常連さんに協力してもらえないかと思っています。僕なんかよりお店に詳しいお客さんはいっぱいおられるので、そういう人たちに冬營舎の面白さを語ってもらえればPRになるのではないか。例えばお客さんに書評を書いてもらうとか。トークイベントに出てもらうとか。それって今までにないことだと思うんです。お客さんに支えられている冬營舎ですから、PRもお客さんに支えてもらえないかなと思っています。そういう下心がありますね。

 

細田 私がこのインタビューをしているのも同じ理由からなんです。私もイノハラさん本人から「宣伝はしません」と聞きました。出版記念のトークイベントもぜんぶ断っているそうですし、新聞社から取材依頼があると、面倒くさそうな顔で「取材依頼がありました......」と嘆き口調で言われるんです。そもそも本人の写真撮影もNGじゃないですか。それでどうやって新刊の宣伝をするんだと思い「何かお手伝いはできないだろうか」と考えた次第です。さて、どうやって本を売っていくかという話になったので、最後にお尋ねします。「活字離れ」はますます進み、もはや今では、そのことが問題にすらされていない状況ですね。そんな中、ハーベスト出版さんの本は売れているのでしょうか?

 

沖田 売れて増版を重ねる本はありますけど、ごく僅かです。ただ、わが社の母体は印刷会社ですので、自分たちの本は自分たちで作れるんです。そこが大きいですね。他の出版社は印刷所に印刷を外注しますから、売れなかった時のリスクが大きい。でもわが社は、時間のある時にぱっぱっと作ることができます。そういう点ではリスクは小さく、そのため、長く続いているということはあると思います。

 

細田 大儲けできるわけではないのに、やり続けているのはなぜですか?

 

沖田 出版事業の存在意義というと大げさですけど、地域にも受け皿が必要だと思うんです。ここには大学もあって、研究者の方が地域の研究をしています。それが全部、本になるかと言ったら、なりません。東京の出版社には出版の最低ロットがありますから、出版企画としてはなかなか成り立たない。では、本にできないから残さなくてもいいのかと言うと、そういうわけではないと思います。記録や記憶は、残していかないと継続されない。そういう問題意識がありますから、地元のものであれば自分たちのできる範囲で出版をし、なるべく多くの人に読んでもらいたいんです。これがまた難しいんですが、多くの人に読んでもらわないと残っていかないんですよ。

 

細田 地方の研究者が東京の出版社から本を出すのは難しいんですか?

 

沖田 東京の編集の方とお話する機会があったんですけど、企画の段階で、まず著者の知名度が重視されます。そこを突破するのが難しいようです。もちろん学術書に限った話ではありません。いま、本が売れる条件には二つあると言われているんです。一つ目は「中身が分かる本が売れる」。二つ目は「売れている本が売れる」。落語みたいな話なんですけど。一つ目について言うと、本の中身をウェブ上で全文公開してから売っている出版社もあるくらいです。要は、知らないものにはお金を出さない風潮があるということです。二つ目については、本屋に行くと、帯に数字が書いてあるんですね。「何万部突破」とか「何重版で何刷り」とか。読者が反応するのは、いかに売れているか示す数字なんです。その点から考えると、今回のイノハラさんの本は真逆なんですよ。神秘さが残っている。そこに不安がないこともないんですけど、新しさもあると思います。「誰もが右を向いている時に自分まで右を向く必要はないよね」という、まさに冬營舎の流儀を当てはめた本なんです。細々とですけど、こういうお店があったということを本に残していきたいと思っています。

 

細田 時間も来ましたので、最後にひとこと。

 

沖田 ですから、ぜひ冬營舎へ出かけて、冬營舎でこの本を買ってください!

​(おわり)

【後日談】このインタビューをウェブサイトで公開した後、細田は冬營舎を訪れ、イノハラさんに感想を尋ねました。するとイノハラさんは多少ご立腹の様子。実はこのインタビューは、イノハラさんには内容を伏せたまま、細田が勝手に進めたものなのです。イノハラさんによると「冬營舎は、ここに書かれているような店じゃありません」とのこと。このインタビューで語られた「冬營舎」は、あくまでも細田と沖田さんにとっての「冬營舎」。皆さんの「冬營舎」は、皆さんそれぞれの心の中にあるのだと思います(細田雅大/2022年6月29日)。

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細田雅大(ほそだまさひろ)

1966年、島根県松江市生まれ。まず東京、次に米国ニューヨークで雑誌編集や翻訳に携わり、海外生活を2014年に切り上げてからは松江市で英語の翻訳及び通訳に従事。釣り人としてブログ「アメリカのソルトルアーで日本の魚は釣れるの?」を継続中。ラッパー「MC Ganta」としても活動。ほかのインタビュー記事もよかったらどうぞ。

注1)7月末から8月上旬ぐらいに

インタビュー実施時点(6月1日)では、そのあたりの時期に店頭に並ぶ予定であったが、実際の刊行は9月にずれ込んだ。

 

注2)「BOOK在月」

正式には「BOOK在月book」。「BOOK在月(ありづき)」とは、一箱古本市など10月に島根で行われる本に関する行事の総称。「BOOK在月book」は「松江に本と本好きが集う」という見出しの下、1年に1回発行されている雑誌で、最新号は2019年発行のbook7。コロナ渦により発行休止中。

注3)森田一平(もりたいっぺい)

1968年、島根県邑南町(旧羽須美村)生まれ。邑南町在住の「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。2017年に地方新聞社を退職し、郷里の邑南町職員として地域振興に従事するほか、NPO法人「江の川鐵道」の立ち上げ、トロッコの運行にも携わる。邑南町に古本屋「あすな書店」も開業。「松江で2010年代に開かれた一箱古本市イベント『BOOK在月』の発起人の一人で、同bookの編集を担当した暇人です」(本人談)。

 

注4)伊藤 巴(いとうともえ)

1983年、島根県松江市生まれ。雲南市在住の漫画家カウンセラー。2011年からイラストレーターとして、17年からライターとして、18年からカウンセラーとしての活動を始める。20年に肩書きを「漫画家カウンセラー」へ変更。21年8月、初の著書『疲れたら休めばいい、ということが何故こんなにもヘタクソなのだろう。』(学研プラス)を刊行。「漫画&ドラマ『深夜食堂』に憧れてめしやを開いた、影響を受けやすいただのオタク。やりたいと思ったことも、できますかと言われたことも、つい全部やってしまう、修行と岩山が好きな山伏です」(本人談)。

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