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我が師の本を救い出す

夜の冬營舎

死ぬまでに読みたい一冊

超番外編

『政治家の誕生』(塚田富治)

【 旧塚田ゼミ生による読書会 】

​9 月22日(日)午後 5 時より

下にあるのは、この読書会のチラシです。さらに下に、レジュメのサンプルがあります。こんなレジュメを使って担当者が説明しますので、課題本を読めなかった人でも、議論に参加していただけると思います。

 

課題本をご覧になりたい場合は、図書館で尋ねるか、下記の書店さんを訪れてみてください。各店に1部ずつ閲覧用に置いていただいているので、貸出中でなければ、ご覧いただけるのではないかと思います。

 

「書架 青と緑」「冬營舎」(松江)

「あわい堂」「句読点」(出雲)

「エブリブックストア」(邑南町)

「汽水空港」(鳥取)

塚田ゼミのチラシ.jpg

『政治家の誕生』

「はじめに」のレジュメ

​担当:細田雅大

 わずか9ページの長さであるが、「はじめに」には、著者(塚田先生)の重要な考えが記されている。

政治家とは

 「金、暴力団、料亭、派閥抗争、官庁との癒着、黒幕、剥きだしの野心、老醜」など、マスコミの報道によって否応なく伝えられる「政治家にたいするマイナスのイメージ」(p.7)。

 

 著者がまず指摘するのは、「政治家にたいするマイナスのイメージ」に人々がさらされ続けた時の危険性である。

 

 「無数のマイナスのイメージに埋もれて、政治家の本来の姿は見えなくなってしまう。人々は薄汚いと思いこんでしまった政治家から目をそむけ、次第に政治そのものにたいしても関心をなくしていく」

 「最悪の場合には、そこからは政治家無用論が生まれてくる」(p.8)。

 

 「政治家無用論」とは何か? 著者は以下の2つを挙げる。

 

 (1) 強力な指導者にお任せしよう:「政治は、果敢に決断し、強権を用いて一刀両断のもとに難問を解決し、国民を導いてくれる強力な指導者に任せるべきだ」
 

 (2) 普通の市民の手に取り戻そう:「政治は、健全な常識と倫理観を持つ権力や利権に汚染されていない普通の市民の手に取り戻すべきだ」

 

 しかしここで著者は「政治家による統治」を擁護する。

 

 「政治家が政治の表舞台から姿を消した時、人々が独裁者や軍人、あるいは狂信的な指導者の強権のもとにおかれ、自由を失い、ときにおびただしい血が流されたことを歴史はこれまで何度も見てきている」
 「政治家による統治は多少のいかがわしさをもつとはいえ、人々からの批判を甘んじて受け、人々の意見が統治に反映される余地をどこかにのこしている自由で、寛容な統治なのである」(p.9)。

歴史研究の効用

 「政治家とはいったい何者か」「政治家はどのようにあるべきか」という問いに答えようとした古典的著作は数多い(例えば、プラトンの『政治家』、アリストテレスの『政治学』、そしてマックス・ウェーバーの『職業としての政治』など)。

 

 そうした中、著者は、自分ごときが「政治家論をまたひとつ世に問うことは屋上屋を架するに等しい愚行」であるとして自制する。

 

 しかし著者は、「歴史研究」を行えば、「政治家とはいったい何者か」「政治家はどのようにあるべきか」という問題に「貴重な手掛かり」を与えられるはずだと言う(p.10)。

 

 「基本的な点で共通するところをもちながらも、現代のそれとは微妙に異なる過去のある時代に活動していた政治家の姿や政治家論を比較の対象とすることで、われわれはかえって歴史上のどの時代とも異なる現代の政治家がかかえる問題点と課題をより鮮明に理解することができるはずなのである」(p.11)。

 

 そして著者は、本書で取り上げるのは「16世紀のイングランドで活動した政治家たち」だと宣言する。「それはこの時代こそ政治が人々の圧倒的な注目を浴び、そして何よりも近代的な意味での政治家がはじめて政治の表舞台に登場した時代にほかならないからである」(p.11)。

「政治」とは何か

 「はじめに」をしめくくるにあたって著者は、「政治」とは何かについて語る。引用されるのは、英国の政治学者バーナード・クリックによる「政治」の定義である。

 

 「政治と愛とは、自由人のあいだで可能となる束縛の唯一の形式である」

 

 クリックによれば、「政治」は愛に似ている。なぜなら、「ふつう見なされているよりも、はるかに精緻なものであり、真の自由と不可分の関係にあり、高度・複雑な社会以外には未知である」からだ(p.12)。

 

 著者はクリックの定義に深く共鳴し、「政治」とは、「人間の条件の歴史のなかで、値の知れないほど高価な真珠のようにたっとばれるべきもの」だと言う(p.13)。

 

 同時に著者は「こうした夢見るような政治の定義にたいして、全く正反対の定義」があることも承知している。

 

 それは例えば「政治とは、暴力を決定的な手段として人々をまとめあげていく悪魔的なものだ」という定義であり、こうした定義は、おそらくマキャヴェッリやウェーバーの議論の影響を受けたものである。

 

 しかし著者は「(こうした定義は)政治のある側面を鋭くつくものではあるが、その成立状況を考えると安易に一般化されてはならないように思える」と言う。なぜなら「人類の歴史においては例外的な状況のもとで成立した」定義であるからだ。

 

 一方で、著者が本書の議論の大前提とするのは、「プラトン、アリストテレスの時代にはじまり、二十数世紀の時をへて今日まで受けつがれてきた」定義である(p.15)。

 

 すなわち、「すべての人々に共通なものの実現を目指し、すべての人々の同意にもとづく強制によらない束縛(共存)を可能とする技芸(art)」としての「政治」である(p.13及びp.14)。

政治家の誕生
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