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タムリン・トミタ/女優

「マーシャルアーツを習おうとは思わない。普通の人を演じていきたい」

01年09月20日

 アジア系アメリカ人のメディアであるアジアン・シネビジョンの主催により、第24回アジアン・アメリカン国際映画祭が7月下旬にニューヨークで開催された。同映画祭の特別ゲストとして招かれた日系アメリカ人女優の第一人者、タムリン・トミタさんに話を聞いた。(ヤマモー)

憧れのタムリンに会えてご満悦のヤマモー

 アジアン・アメリカン国際映画祭のオープニングレセプションが行われた、とあるローアーイーストサイドのレストラン。薄暗い店内に入ると、ふわっとしたきれいな髪の毛の小顔な女性の姿がすぐ目に飛び込んできた。その人こそ「ベスト・キッド2」や「フォー・ルームス」などの映画でおなじみのタムリン。スクリーンで見るより華奢で美しいというのが第一印象だ。

 今年の同映画祭では、彼女の代表作の1つ「ジョイ・ラック・クラブ」が上映された。今でもこの作品が大好きだというタムリン。「アジア系アメリカ人の姿を描いて大成功した映画としてエポックメイキングな存在」と振り返る。「その後、ヒスパニック系なども含めて90年代はマイノリティー、それも等身大の姿を描いたキャラクターが多くの映画に登場するようになった。白人に比べれば、もらえる役の種類はまだまだ限られているけれど、少しずつ改善されている」。15年以上もハリウッドで活躍してきたタムリンの言葉だけに実感がこもっているし、説得力もある。

 00年末に全米で公開され大ヒットした「Crouching Tiger, Hidden Dragon(邦題:グリーン・デスティニー)」をはじめ、ジャッキー・チェンやジェット・リーなどアジア人のハリウッド進出は目覚ましい。彼らの活躍をタムリンはどのように感じているのだろうか。

 「『Crouching』は面白かった。アクションだけでなく、ミッシェル・ヨーら俳優たちの演技も素晴らしかったわ。でも、あれだけヒットしたのは、特殊効果も含めたアクションシーンによるところが大きいと思う」と分析する彼女。しかし、アジア人の活躍を喜びながらも、決してそれがアジア系アメリカ人俳優の地位向上の追い風になっているとは考えていないようだ。

 「アジア系はマーシャルアーツができなきゃ……、みたいな風潮がまた出てきたような気がする。わたしはマーシャルアーツを習ったことはないの。若いころにみっちり習っていれば、今ごろもっと役が回ってきただろうけど、この歳になって始めるつもりはないわ。それにね、父が警官だったから、(マーシャルアーツが)できなくたって、どうやって悪い奴らをねじ伏せるかぐらい、ちゃんと分かってるわ」と冗談まじりに話すタムリン。しかし、その笑顔の裏には、「ステレオタイプな枠にはめられることなく演技したい」という気持ちが隠されていることが伝わってくる。

 今秋放送予定のテレビドラマのパイロット版(視聴率を見て、シリーズ物として放送するかを決定する試験的な番組)など3つのドラマに出演したばかりというタムリン。役柄は、弁護士、警官と、どれも等身大のアメリカ人。今後も地道な活動を通じて「普通のアジア系アメリカ人」を演じていきたいと言うタムリン。近いうちにまたスクリーンで彼女の姿を見られるのを、楽しみに待ちたい。

Tamlyn Tomita
 1966年、沖縄県生まれの日系アメリカ人4世。日米で大ヒットした「The Karate Kid, PartⅡ(ベスト・キッド2)」(1986)で一躍脚光を浴びる。90年には、戦時中、強制収容所での生活を強いられる日系アメリカ人女性と白人男性の恋を描いたアラン・パクラ監督の「Come See the Paradaise(愛と哀しみの旅路)」に主演。中国系アメリカ人母子4組の姿を描いた「ジョイ・ラック・クラブ」(1993)出演後も、工藤夕貴と共演した「ピクチャー・ブライド」(1995)、アントニオ・バンデラスの妻を演じた「フォー・ルームス」(1995)などで存在感のある演技を披露している。

岩井俊二/映画監督

「ドラッグなしで今の子どもたちの世界を描きたかった」

02年06月05日

 昨年日本で公開され、批評家から高い評価を受けただけでなく、興行的にも成功を収めた岩井俊二監督の最新作「リリイ・シュシュのすべて」が7月12日より、北米でもいよいよ公開される。昨年後半にニューヨーク映画祭で本作に感銘を受けた、アメリカ人女優エレン・ダッシュバックが、岩井監督にさまざまな質問をぶつけた。(ヤマモー)

 エレン:とても面白い映画でした! 子どもたちの演技が自然で素晴らしかったけれど、彼らはプロの俳優なのですか?

 岩井:本当のプロではないです。だから、こちらが要求している演技ができないことも多々ありました。込み入った演技をさせようとすると、プロの俳優ならすっとできるんですが、(彼らは)ちょっとイメージできなかったりして、難しかった。でもそれは逆に言うと、そういうシーンは普通の人間にとっては不自然なんだなあと、こっちも気付かされて、(台本を)直したっていうこともたくさんありましたね。そういうのに関しては逆にすごく学んだというか……。

 エレン:もう1つぜひとも聞きたいのは、この映画には、どうしてドラッグが全然出てこないのかということです。アメリカで同じように問題を抱えた今のティーンエイジャーを描くとしたら、ドラッグは切っても切り離せないものですが、日本ではドラッグがそれほど広まっていないのでしょうか?

 岩井:どうだろう? あるんでしょうけど。自分自身はあんまりそういう経験がなかったので……。「トレイン・スポッティング」や「パルプ・フィクション」なんかを観ると、ドラッグが最前線に来てしまっていて、(ドラッグを)知らない側からすると、登場人物の行動が全部ドラッグのせいに見えて、それ以外のことは何も伝わってこないというか。だからドラッグなしで今の子どもたちの世界を描きたかったんです。

 エレン:リリイ・シュシュという歌手の熱狂的なファンの男の子が主人公の映画ですよね。日本ではオウム真理教などのカルトがありましたが、この映画でも一種のカルト的世界が描かれているのでしょうか?

 岩井:宗教でカルトを描くと多くの日本人は自分は関係ないと思ってしまう。でも音楽となると、人はもっと気軽に食い付いてくる。だからそういうものでカルトを描きたかった。

 エレン:なるほど。そういう意味では、この映画で、ファンの人たちが集まるチャットルームで頻繁に使われていた「ether=エーテル」という言葉に、私もちょっと宗教的な響きを感じました。この言葉は日本で日常的に使われるものなのでしょうか。それとも岩井さんがあえて選んだ言葉なのですか?

 岩井:カルト的宗教が日本で問題になると、彼らの使っている特別な用語がニュースなどで報道されて、みんなが知っているような流行語になるんです。オウムで言えば殺すという意味で「ポアする」とか。そういうカルト的な宗教用語というか、何か1つそういものがあれば、すべてまかり通るみたいな部分を、このエーテルという言葉を作って皮肉っています。実際にリリイのホームページがあるのですが、そこに来る人の中には、やっぱりこのエーテルをすごく信じている人もいて、仕掛けたこっちがちょっと困っているんですけど。

 エレン:そうなんですか。あのメロウな感じの音楽に若い子がはまってしまうんでしょうね。リリイ・シュシュは架空の歌手ということですが、あの音楽を聞いてファンになってしまった人の中には、虚構と現実の境目がなくなってしまった人も出てきたんですね。

 岩井:うん、すごい熱狂的な人たちは、「リリイの音楽はこんなんじゃない」と、こっちが作った音楽すら否定しているところがあって、非常に複雑なことになってきているんです。

 エレン:子どものいじめや犯罪など、センシティブな問題を扱っていますが、どこまでを描くか悩んだりしましたか?

 岩井:中学生のいじめの実情を具体的に見せるのは、あまりにも強烈すぎて、ほとんど映像にはできませんでしたね。あまりにも克明に描くと、そういうシーンだけが頭にこびりついてしまって、ストーリーを追ってもらえなくなってしまうだろうし。だから、今のいじめや犯罪を描くのに必要最小限のものを入れたつもりです。

 エレン:抑えめにしたのは正解だったのではないでしょうか。途中何度か子どもたちがビデオを撮っているシーンがあって、それらの映像がそのまま使われていたのも、臨場感があって効果的だと思いました。あれは本当に彼らが撮ったものですか?

 岩井:時々はカメラマンや僕がフォローしているところもありますが、ほとんどは彼らが実際に撮ったものです。

 エレン:最初に出てくる田んぼのシーンをはじめ、舞台となった場所からカンザス州を想起させられました。昔はカンザスのような田舎といえば、純粋で何も悪いことなんて起こらないような所でしたが、今では凶悪な犯罪も起きています。日本の地方でも同じような現象が起きているのですか?

 岩井:日本では少年が犯罪を犯すと、非常に現代的な犯罪だと言われます。そういった犯罪は都会でばっかり起こる都市型犯罪だ、と言う評論家もいて、すごい違和感がありました。実際僕は東京に住んでいますが、あまり犯罪的な雰囲気とかはなくて、逆にちょっと外れた所に行った時の方が潜在的な危険を感じますね。東京にはいろんな人がいっぱいいますし、目も行き届いているから、荒くれた犯罪が起きにくいっていうか。でも一般的には「地方が危ない」みたいなとらえ方はされていないですね。

 エレン:こちらでは、地方だって今では危険という認識が大半ですから、その辺りの感覚は日本とアメリカではずいぶん違うようですね。

 岩井:「今なぜ少年なのか」ということはマスコミも語っていますけど、「なぜ田舎なのか」ということはまだ語られていませんね。だから「こういう少年犯罪などを扱っているのになぜ舞台は田舎なのか」と聞かれるんですが、こっちとしては「こういう犯罪だから田舎なんだ」っていう気持ちが強い。

 エレン:アメリカでもこれから公開されるということですが、特に主人公と同世代のティーンたちに観てもらいたいですね。子どもの気持ちがとてもきめ細かく描かれていますから。

 岩井:日本で公開される時には、この映画の主人公と同世代の人たちがどう感じるかが気になりました。同じようなところで悩んでいる彼らがこれを観て「これからどうやって生きていけばいいか」なんて悲観的になってしまうのではないかと。大人にとっては、もう過去の話として観られるけれども、同じ世代の人たちには刺激が強かったのかもしれません。

 エレン:こちらでもヒットされることを願っています。

 岩井:僕もそうなってくれるといいなと思っています。

「リリイ・シュシュのすべて」
 監督・脚本:岩井俊二
 出演:市原隼人、忍成修吾、蒼井優、伊東歩、大沢たかお、稲森いずみ、市川美和子ほか
 (2001年/日本/2時間26分)
 英題「All about Lily Chou-Chou」。舞台は田園が美しいある地方都市。実の母親と再婚相手、その連れ子である弟と暮らす中学生の蓮見雄一。学校ではいじめを受け、窒息しそうな毎日を送る。そんな中、歌手リリイ・シュシュの存在が唯一の慰めである雄一は、フィリアというネームでファンサイト「リリフィリア」を開いている。サイトの常連「青猫」とやり取りを交わしていくうちに親交を深める雄一。しかし、学校でのいじめはますますひどくなり……。

岩井俊二
 1963年生まれ。宮城県仙台市出身。映画、ミュージックビデオ、ドラマ、CMなど数多くのジャンルの映像製作を手掛ける。代表的な映画作品に、「Love Letter」(1995)、「スワロウテイル」(1996)などがある。「リリイ・シュシュのすべて」については、「自分で遺作が選べるなら、これを遺作にしたい」と語る。

エレン・ダッシュバック
 ニューハンプシャー州出身。大学卒業後、演技学校で学び、NYに移り住む。オフ・ブロードウェイの劇場で数多くの作品に出演するかたわら、地方公演もこなす。映画への出演経歴もあり。

 

ジェイク・シマブクロ/ウクレレ奏者

ハワイから“全国区”を目指して快奏中!

04年5月20日

好きなミュージシャンは、ジミ・ヘンドリックス、エディ・ヴァンヘイレン、ジェフ・ベック。「思ってもみなかった」という作曲にも最近は挑戦。「難しいけど、やり甲斐がある」

 7年ぶりの大寒波に見舞われた今年1月10日のニューヨーク。寒さには慣れっこのニューヨーカーでさえ震え上がったその晩、マンハッタンのライブハウス、ニッティング・ファクトリーの舞台に上がったのは、常夏のハワイからやって来たウクレレ奏者のジェイク・シマブクロさん(以下、親しみを込めてジェイクと呼びます)。「超苦手」という寒さの下で行われたNY初ライブに、革ジャンに手袋という出で立ちで登場したジェイクは、どことなく表情も寂しげ。ちゃんと演奏できるのか~?

 しか~し、革ジャンを脱ぎ捨てると、派手なアロハ姿! 元気なあいさつが終ったと思ったら、華麗な弦さばきを披露。時に優しく、時に激しく、自在にウクレレを操るジェイクに満員の観客も熱狂、会場はすっかり”常夏“状態に(元気なさげに登場したのは、演技だったのですね)。

 大成功の内に幕を閉じたライブから3日後、演奏だけじゃなく、人柄もホットなジェイクに、ウクレレの魅力について聞いた。

 「ライブ前は、『ハワイ出身の知り合い数人ぐらいしか集まらないのでは?』と心配だったんだけど、400人もの人が駆けつけてくれて大感激だった。観客の反応はダイレクトで、ポジティブだったし、また絶対戻ってきたい」と、NY初ライブで確かな手応えをつかんだ様子のジェイク。1晩だけでなく、もっとたくさんのライブをしてもよかったのでは?との問いには、「いや~、本当にお客さんが入ってくれるか分からなかったから」と一言。その代わり、今回のNYツアーでは、ハーレムのYMCAでちびっ子を前に演奏会を開いたり、ハワイ文化財団でウクレレ講習会を開いたりと、精力的な活動を行っていた。

 ハワイでは大人気のジェイクも、「ウクレレ」という楽器の名前さえ知らない人が多いアメリカ本土では、まだまだ無名の存在。そんな彼には、「本土の人にもウクレレの素晴らしさを知ってもらいたい」という大きな夢があるそうだ。

 1976年、ハワイのホノルルに生まれたジェイクが、ウクレレを弾き始めたのは4歳の時。高校卒業後にピュア・ハートのメンバーとしてデビューし、初アルバムが「ハワイのグラミー賞」と称されるナ・ホク・ハノハノ・アワードで4部門を受賞、02年からはソロデビューを果たし、順調に活躍のフィールドを広げている。ウクレレという楽器の即興性を生かしつつ、クラシック、ジャズ、ロック、ブルースといったジャンルの曲にも果敢に挑戦する彼は、「ウクレレ界の革命児」といったところか。

 しかし、当の本人には、ハワイ音楽やウクレレ界を背負っているという気負いはまったく見られない。「とにかくウクレレの音が大好き」とニコニコ顔で語るジェイクは、「『ギターだったらもっと楽に音が出せる』とか言われるけど、この楽器一筋。弦4本で、どこまでの演奏ができるか、というのがとにかくチャレンジングなんだ」と続ける。ライブも楽しくて仕方ないと言う彼が今、共演してみたいのはサンタナとヨー・ヨー・マだとか。

 ソニー・ミュージック ジャパン インターナショナルと専属契約を交わしているジェイクは、全国ツアーを行ったり、テレビ出演も果たしたりと、日本でも人気者だ。日本はいつ訪れても楽しいという彼に、「マネジャーも日本人だし、日本に住んでみる気は?」と尋ねると「言葉も喋れないし、ちょっと無理かな。NYに住んでみるのもいいかなと思ったこともあるけど、とにかく寒いからね」と、あくまでもハワイが拠点というのは変わらないようだ。

 ステージ上と変らず、取材中もとても気さくな好青年だったジェイク。ライブ会場での超高速の指さばき&パワーの「生ジェイク」に既に圧倒されていたが、ますますファンになってしまった。ぜひとも全米各地でライブを繰り広げてほしい。(ヤマモー)

オドレイ・トトゥ/女優

「アメリ」主演女優の新作いよいよ公開!

04年11月

Photo by Bruno Calvo 2003 Productions / Warner Bros. France 2004

 2001年に公開されたフランス映画「アメリ」でタイトルロールに扮し、自国だけでなく世界的な人気女優となったオドレイ・トトゥ(Audrey Tautou)。彼女の新作「ア・ベリー・ロング・エンゲージメント」が、ニューヨークとロサンゼルスで11月26日より先行公開される(そのほかの地域での公開は12月)。新作宣伝のためニューヨークを訪れた彼女に話を聞いた。(ヤマモー)

 第一次世界大戦に出兵した幼なじみで婚約者マネックの帰りを待ちわびるマチルダ。しかし、わざと負傷し帰還を試みたマネックは、罰として塹壕(ざんごう)から追いやられ、無法地帯へと放り出されてしまう。そこでは大きな爆撃があり、「死亡は間違いなし」との知らせがマチルダの下に届く。周囲の誰もがマネックの死を確信する中、マチルダだけは、愛する人の生存を信じて、探索を開始する。

 セバスチャン・シャプリゾの同名小説を映画化した本作は、戦時下(そして戦争直後)で展開する究極のラブストーリー。マチルダ役のトトゥは、「アメリ」で彼女を発掘したジャン・ピエール=ジュネ監督から「ぜひこの役を!」と言われたという。「監督のビジョンを信頼しているし、マチルダの芯の強さにも共感できたので、脚本を読み終えてすぐ(ジュネ作品への)再出演を決めた」そうだ。

 共演者や撮影クルーも「アメリ」のスタッフが数多く携わっているので、気心の知れた者同士、撮影は楽しく進行したのではないかと想像したが、「今回はシリアスな役どころだったから、撮影の合間も独り静かにしていることが多くて、『アメリ』のようにみんなで楽しくという雰囲気ではなかった。マチルダは泣きわめいたり、大笑いしたりと喜怒哀楽を表に出すタイプではないから、演じるのがとても難しかったし。だから、どう演じればいいかずっと考えていたの」と現場の様子を教えてくれた。

 原作では小児まひの影響で車いす生活のマチルダだが、映画では片足を引きずってはいるものの走ることもでき、田舎から自分一人でパリに出向きもする。とはいっても、口数も少なく、あまり感情も表に出さないマチルダは、一見何を考えているかよく分からない。しかし、演じるトトゥの表情をよく見ていると、感情のひだが微妙に表現されている。この辺りの微妙なニュアンスは、どのようにして実現したのだろうか?

 「撮影前にはもちろんリハーサル期間があって、監督と役について話し合ったわ。でも、撮影中はそれほど時間を割いたってことはなくて、自分で考えて演じた部分も大きいと思う」。自由に演じさせてもらえるのも、監督から俳優として信頼されていればこそだろう。

 本作には、フランス人の未亡人役でジョディ・フォスターが出演している。数分間だけ一緒のシーンがあったトトゥは、フォスターのフランス語を「完璧だったわ。私の英語とは比べ物にならないぐらいにね」と大絶賛。「堕天使のパスポート」(原題:Dirty Pretty Things)では、ロンドンで不法就労するトルコ人を演じ、既にスクリーンで英語を披露しているトトゥ。今後、ハリウッド作品に出演する気はあるかとの問いには「なくはない」と一言(いい役が回ってくれば出演するってこと?)。

 「アメリ」の大ヒットのお陰でたくさんの役が舞い込んでくるようになった一方で、フランスでは気軽に出歩けなくなったと語るトトゥ。「スターであることには一切興味がない。それよりもいかに自分らしく生活できるかが大事。ニューヨークでは(フランスほど顔が割れたりはしないし)、気付いたとしてもこっちの人はそっとしといてくれる」と、NYはお気に入りの様子。

 恐らく、道行く人たちは、トトゥがあまりにもかわい過ぎるので声がかけられないのではと察するが、「とにかくこれからも俳優として、いい作品に出ていい演技をしたい」と「映画命」的なコメントに終始し、自分の美貌にもまったく頓着(とんちゃく)していないようだった。

 生で見ると、スクリーン上で受ける印象よりさらに華奢(きゃしゃ)で可憐さが際立っていたトトゥ。しかし、ただかわいいだけでなく、自分の意見もしっかり主張する女性なので、これからも自分の勘を頼りに、いい作品を選び、素晴らしい演技を披露してくれることを期待したい。

フランソワ・オゾン/映画監督

05年06月

  自国フランスはもとより、日本やアメリカでも人気の高いフランソワ・オゾン監督。新作の全米公開が、ニューヨークの6月10日を皮切りにスタート。公開に先駆けニューヨークにやって来たオゾン監督に話を聞いた。(ヤマモー)

Copyright:Think Film

 ブラックコメディー、心理ドラマ、ミステリー、ミュージカルなどさまざまなジャンルで、人間の心理を描き続けるオゾン監督。一筋縄ではいかないそれらの作品は、ハリウッドの単純明快な大作に食傷気味の映画ファンを引き付ける。

 そんな注目監督の新作の英題は「5×2」。ファイブ・タイムズ・ツーと読んでみても、一体どんな作品なのかあまりピンとこないが、邦題の「ふたりの5つの分かれ路」だと、男女関係の大事な局面を描く本作の内容にぐっと近づく。

 主人公は、結婚して男の子1人をもうけたカップル。5つのシーンで構成されていて、出会い、結婚式、出産、ディナーパーティー(結婚生活の危機)、離婚の様子がそれぞれ描かれる。

「逆さま」手法は
ハッピーエンド狙い!?


 ユニークなのは、ストーリーがさかのぼって進行していくこと。映画冒頭、いきなり弁護士を立てての離婚調停シーンから始まり、最後は海のリゾート地で二人が出会い、恋に落ちる場面で終わる。どうして、「逆さま」の手法を取ったのだろう?

 「一組の男女の話を書こうと思い立った当初は、『逆さま』にしようとは考えていなかったんです。でも、いちばん最初に書いたのが離婚のシーンだった。で、そのときに『これはきっとサインに違いない』と思って、離婚から出会いに向かって、さかのぼって話を進めていこうと決めました。私にとってラブストーリーで重要なのは、終わりではなく、始まりなんです。『(この人となら)人生で最も素晴らしい恋ができる」と信じて新しい関係を築こうとする行為に引かれるのです。そして、(出会って恋に落ちるシーンを最後に持ってくることで)ハッピーなエンディングにしたかった」

 観た人の中には、「数年後には離婚するって分かっているカップルの、甘い出会いをラストシーンに選ぶなんて、なんとシニカルな!」とコメントする人もいたそうだが、「私にとってはやっぱりハッピーエンドですね」とオゾン監督は強調する。

 しかし、恋愛関係だけでなく、人間関係全般においてダークな側面を描くのが得意な彼。やはり本作でも破綻した関係が映し出される前半のインパクトは強烈だ。「終わりではなく始まりが重要」と言いつつも、関係が崩れていく過程も丹念に切り取っているところに、オゾン監督の「一筋縄でいかない」側面が潜んでいそうだ。

ベルイマンからロメールまで
異なるトーンが存在する理由


 重々しいシーンから、軽めなシーンへと徐々に移行していく本作。離婚のシーンはイングマール・ベルイマン監督、出会いのシーンはエリック・ロメール監督というように、好きな監督の作品のトーンを意識した作りになっているという。

 「(私みたいな)映画オタクは、自分の人生を振り返るときに、その時々の状況を、好きな監督の作品と照らし合わせたりするもの。だから、今回は主人公カップルの状況に合わせてシーンごとに取り入れてみたんです。各シーンの合間には画面を真っ黒にして、ぶつっと数秒間切っていますが、これは時間の推移を、観る人の想像力で埋めてほしかったから。また、話がシリアスなので、古いイタリアのコテコテのラブソングを各シーンの最後に使い、コントラストを出すようにしました」

 映画で自分の過去を振り返るなんて、さすが映画監督! そして、自分の映画の主人公の心の移り変わりを、好きな監督のトーンで表現するとは、なんともユニークだ。

主演女優の第一候補は
ソフィー・マルソーだった


 主役を演じるヴァレリア・ブルーニ=テデスキとステファーヌ・フレスは、本作で主演を務める以前は脇役が多く、さほど名の知れた俳優ではなかった。これまでカトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・べアール、シャーロット・ランプリングなど、ビッグネームを起用してきたオゾン監督は、どのような経緯で主役2人を選んだのだろうか?

 「最初はソフィー・マルソーとヴァンサン・カッセルの起用を考えていました。でも2人は共演したがらなかったし、ちゃんとした脚本が用意されていないことが不安で、うまくいかなかったんです。そこで、ベルイマン監督の『ある結婚の風景』の台本を使い、男女1名ずつをペアにして、オーディションをしたんです。有名かどうかは問題ではなく、2人がちゃんとしたカップルに見えるかどうかを重視しました。だから、ヴァレリア、ステファーヌは別々ではなく、一緒に選んだんです」

 本番の撮影中、自由な演技が行われるのを妨げないようにとの配慮から、事前の演技リハーサルはさほど綿密にしなかったものの、役柄、シーンの解釈については、主役2人ととことん話し合ったという。

 「役柄についての説明を求める俳優と求めない俳優がいますが、今回の2人は前者でした。撮影は映画の進行通りの順序で行われましたが、途中で5カ月の中断期間があったんです。この5カ月でエンディングを書いたので、離婚シーンの撮影中には、彼らはどんな風に出会ったかを知らない特殊な状況に置かれていました。でも、ある意味ほかのシーンのことをまったく考えず、『今』だけに没頭して演じられたはず」

 「監督の中には俳優を怖がって自分の求めるものが何なのか伝えられない人がいますが、私は大丈夫。彼らとは普通に接することができますよ」と付け加えるオゾン監督。説明を十分に受け、演じる役の心理状況を十分理解して演技に臨める俳優たち……。観客だけでなく俳優からも人気が抜群に高いのは、しっかりしたコミュニケーション能力とノーマルな人柄の成せる業だろう。

自作は我が子

 実は「5×2」はフランスや日本では既に昨年公開済みで、オゾン監督の最新作(「Time to Live」)は、5月に開催されたカンヌ映画祭でプレミア上映されたばかり。

 「こうやってインタビューを受けているけど、『5×2』はもう1年以上観ていないので(本当はあんまりよく覚えていない)」と冗談まじりのコメントを発する彼に、自作に好き嫌いがあるのかを聞いてみた。

 「自分の撮った作品は子供のようなもの。どの子ががかわいくて、どの子が嫌いなんていう風には選べません。みんなかわいいですよ。当時、最善を尽くしてつくったものだし、たとえ気にいらないシーンがあっても、『それも自分だ』と受け入れることができるんですよ」

 

 うーん、なるほど。最善を尽くしていれば、のちのち自分の仕事に気に入らない部分があっても平気でいられるものなのか~。

 流暢な英語で明確に自分の考えを伝えてくれたオゾン監督。笑顔を絶やさない感じの良さと、ズバズバした物言いのギャップが魅力的だった。これだけ頭の切れる人なら、もっと単純明快で万人受けする映画も撮れるだろう。

 しかし、あえて自分の興味のあるものにこだわっているところがカッコ良いではないか! 今後の作品も楽しみに待ちたい。

Francois Ozon

 1967年、パリ生まれ。「スイミング・プール」、「8 Women(邦題:8人の女たち)」「Under the Sand(まぼろし)」と話題作を連発。アメリカでもDVDのレンタル、購入が可能。

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