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 誰もが噂している。


 「二都市のチャイナタウンをつなぐバスが走ってる」「信じられないくらい安いけど危険なんだってね」「よく遅れたり、故障したりするらしい」「真夜中、寂しい場所で下ろされた奴がいる」「でもメチャクチャ安いから利用者は増える一方らしい」
 

 あなたも耳にしたことがあるはずだ。


 チャイナタウンからチャイナタウンへ。

 

 ノンストップで往復する激安バスの噂を……

チャイナタウン・バスで行く旅

04年05月

 「異常に安い」「でも、汚くて危険で、故障しがち」「運行スケジュールはめちゃくちゃ」

 チャイナタウン・バスには、いろいろな噂がある。

 旅行事情に詳しい同僚が、便利なウェブサイトを教えてくれた。東海岸を走るチャイナタウン・バスが一覧になっているサイトだ。

 チャイナタウン・バスというと、ニューヨーク=ボストン間のものがいちばん有名だ。しかしウェブサイトによれば、首都ワシントンDC、そして合衆国誕生の地フィラデルフィアへ行く便もあるようだ。

 ニューヨーク=ボストン間の事情については、すでに紹介されている。そこで、ボストン行きは除外した。ワシントンDCはやや遠いし、運賃も高い。だからDCも除外。いちばん近くて安いのがフィラデルフィアだった。往復がたったの20ドル。

 私はフィラデルフィアに決めた。

●不安が高まるチケット購入

 チケットは、ウェブサイトでオンライン購入できるようだ。一般の航空チケットと同じように、出発日と出発時刻を選んで購入する方式。正直なところ、もっとインチキくさいものを予測していたので、まともなデザインのウェブサイトにやや驚いてしまった。

 とはいえ、カード番号を送信するのはためらわれる。間違って過剰請求されるのは嫌だ。そこでオンライン購入は中止し、写真撮影もかねて、チャイナタウンまでチケットを買いに出かけた。

 ニューヨーク=フィラデルフィア間でバスを運行しているのは、ニューセンチュリー・トラベルとトゥデイズ・バスの2社。運賃はまったく同じ。私は、ニューセンチュリー・トラベルを試すことにした。


​☆☆☆


 いつも活気に溢れるチャイナタウン。その上にかかるマンハッタン橋。チケット売り場は橋の下にあるはずだった。しかし、ニューセンチュリー・トラベルの売り場は見つからない。テレフォンカードを販売している売り場ばかりだ。

 「ニューセンチュリーのバス・チケットが欲しいんだけど」と聞いてみた。

 訛(なまり)のきつい英語で「ここじゃないよ。隣に行け」との指示。

 隣の売り場に行き、同じことを聞く。またもや「ここじゃないよ。隣に行け」との指示。

 これをさらにもう一度繰り返す。すると、もうそこには売り場はない。

 停車中のバスのそばに、女性が立っているだけだ。女性の手にはチケットの束。「フィラデルフィア! フィラデルフィア!」と声を上げている。バスに乗り込む客がやって来ると、女性は金を受け取り、チケットを渡す。

 「今度の土曜日のニューセンチュリーのチケットが欲しいんだけど」と私は女性に伝えた。

 「ワン・ウェイ? ツー・ウェイ?」と聞かれた。ラウンド・トリップ(往復)のことだろう。「ツー・ウェイ」と答えると、女性は束から無造作にチケットを引きちぎった。

 私は不安に駆られた。今すぐバスに乗り込むわけではないのだ。6日後の土曜日に乗るのである。ウェブサイトでは、出発日と出発時刻を選んで購入するようになっていた。でもこのチケットにそんな情報は記載されていない。これで本当に土曜日、バスに乗れるのだろうか?

 「あの、俺が乗りたいのは、土曜日なんだけど」

 「OK! OK!」

 「土曜日、ここに来れば乗れるの?」

 「土曜日! 土曜日!」

 「このチケットで本当に乗れるんだね?」

 「OK! OK! 土曜日! 土曜日!」

 私の英語は通じているのだろうか?

 不安なまま迎えた土曜日の朝。しかし私は、何事もなくバスに乗り込むことができた。

 では、あのウェブサイト、出発日と出発時刻を指定するのは、いったい何のためだろう?

●体を密着させて押し売り

 結局、1カ月の間に計3回、フィラデルフィアへ出かけた。片道2時間のチャイナタウン・バス旅行を3往復したことになる。

 最初の2回はニューセンチュリー・トラベルを利用した。3回目はトゥデイズ・バス。ニューヨーク=フィラデルフィア間を運行するライバル同士のこの2社、ニューヨーク側の発着場は、実はまったく同じ場所にある(フィラデルフィア側は、1ブロックだけ離れた同じ通り)。

 そのため、発着場付近での乗客獲得競争は熾烈を極める。

 3回目、私はトゥデイズ・バスに乗ると決めていたわけではなかった。発着場の様子を撮影していると、「フィラデルフィア? フィラデルフィア?」と連呼する笑顔の女性が立ちふさがったのだ。笑って通り過ぎようとすると、また立ちふさがる。というか、体をぴったり密着させてくる。

 「フィラデルフィア? フィラデルフィア?」

 背の低い女性は私の腹にくっつき、ほとんど真下から、笑顔で見上げてくる。

 「フィラデルフィア? フィラデルフィア?」

 私は苦笑し、トゥデイズ・バスのチケットを買わざるを得なくなった。

●乗る前にトイレに行くべし

 3回目の取材で、フィラデルフィアからニューヨークへ帰ってくる時を除き、私が乗ったのはすべて57人乗りの大型バスだった。

 汚いと言われるチャイナタウン・バスだが、特にそうは思わなかった。前に乗った乗客が残していった新聞紙や袋が、ところどころ残っているだけだ。

 しかしトイレだけは、なかなかに汚いようだ。「故障中」と張り紙がしてある時もあった。故障は問題外だが、たとえ故障していなくても、女性はちょっと使用がはばかられるのではないだろうか。

 3回の旅行でトイレを使用したのは1回だけ。その時は、半透明の黄色い液体がそこら中に散乱し、黒茶色の小さな半固形物が便器の中と外に転がっていた。男性でも、せいぜい立ち小便ができるくらいだと思う。全部が全部こんなトイレではないと思うが、チャイナタウン・バスに乗り込む前には、しっかり用を足しておいた方がいいだろう。

●けっこう多い女性の一人旅

 2都市のチャイナタウンをほぼノンストップで往復するチャイナタウン・バス。やはり乗客の大多数はチャイニーズだろう。そう思っていたが、実際は違った。

 チャイニーズらしき乗客は、毎回、半数以下だった。黒人、白人、ヒスパニック、インド人など、そのほかの人種が多数を占めている。

 チャイナタウン・バスは危険だから、女性の乗客はとても少ないはず。この予測も裏切られた。女性だけのグループを何組みも目撃した。日本人女性だけからなると思われるグループも利用していた。フィラデルフィアからニューヨークへ戻る便に乗り込み、発車を待っている時、いきなり日本語が聞こえてきたのだ。

 「わー。来た時より混んでるね」「本当だー」

 一人で乗っている女性も少なくない。例えば、フィラデルフィアに向かう便で、日本語の新聞を読んでいた白人女性。「あれ? 日本語が読めるのかな」と思った私は、その美貌にもひかれ、つい声をかけてみた。

 「失礼します。日本語を読まれるのですね? 私は日系雑誌の編集者で、チャイナタウン・バスを取材中なのです。質問していいですか?」

 「ええ、いいわよ」

 「ありがとう。チャイナタウン・バスはよく利用されるんですか?」

 「月に2回くらい」

 「チャイナタウン・バスは好きですか?」

 「ええ」

 「どういうところが?」

 「途中、どこにも止まらないで、目的地に着くところ」

 「お名前をうかがってもいいですか?」

 「ロビン・オーランスキーといいます。大学院で日本について研究しているの。岩手県に行ったことがあります」

 オーランスキーさんに限らず、チャイナタウン・バスの利用者には、学生風の若い乗客が多い。スーツを着たバリバリのビジネスマンは皆無だった。

 「その時の交通量によるが、ニューヨーク=フィラデルフィア間は、だいたい2時間」とウェブサイトに記されている。私が利用したのは週末だけだったので、平日はまた違うのかもしれないが、その通りだった。I - 95(州間高速自動車道)がガラガラの時などは、1時間45分で到着してしまった(スピード出し過ぎ?)。

 発車時刻が大幅に遅れたりすることもなかった。スケジュール通りに運行されていたと言えるだろう。

 「高速自動車道の途中で故障し、数時間、足止めをくらった」という利用者の声を聞いたことがある。運が良かったのか、それとも今ではしっかりと整備されているのか、私はそんな目に遭うことはなかった。

●冷や汗とゲロで終わる取材旅行

 ところで、私はなぜ3回もフィラデルフィアへ出かけたのか。

 旅行記(つまりこの記事のこと)を書くだけではなく、私は写真撮影もしなければならなかった。しかし、最初の2回は天候に恵まれず、なかなか良い写真が撮れなかった。

 そこで3回目。運良く晴れた。長く続いた冬が終わり、やっと春が来たと実感できるポカポカ陽気だった。良い写真もそこそこ撮れた。これで取材終了だ。ひと安心した私は、トゥデイズ・バスの発着場へ向かった。

 「フィラデルフィア? フィラデルフィア?」と連呼しながら体を密着させてくる女性に、無理矢理チケットを買わされたトゥデイズ・バス。行きは57人乗りの大型バスだったが、発着場で待っていたのは、それよりずっと小さなバスだった。

 「ニューヨーク行きは、これに乗ればいいの?」と私。

 ウンウンとうなずく係員。

 小型バスに乗るのは初めてなので、じっくり内部を観察した。

 「なんだ。ごく普通のバスだ」と思ったのもつかの間、窓ガラスが車体に針金でゆわえられているのが見えた。ダクトテープがその隙間をふさいでいる。

 31人乗りの小型バスはすぐ満員になった。私の隣に座ったのは、赤ん坊を膝の上であやすチャイニーズの母親。

 ほぼ定刻の発車。I - 95に乗ると、ぐんぐんスピードを上げる。車体が小さいせいか、大型バスに乗っている時よりもスピードが出ているように感じられる。

 針金でゆわえられている窓ガラスが、ガタガタガタガタガタガタともの凄い音を立てる。実際に大型バスよりスピードを出しているのかもしれない。先行車をびゅんびゅん追い抜いていく。乗客は平気な様子だ。でも私は怖い。

 母親の膝で眠っていた赤ん坊が「ウェッ」と叫んだ。私のズボンにゲロが飛び散った。すっぱい臭いが漂う。車に酔ってしまったらしい。謝る母親に「イッツOK」「イッツOK」と繰り返す私。ガタガタガタガタガタガタ。もの凄い音を立てる窓ガラス。母親が顔をふき、服を換えてやると、赤ん坊はまたすやすや眠り出した。

 すっぱいゲロの臭いが、なかなか消えない。

 おかしいと思って周囲を見渡すと、前の席に座っている黒人男性が、美味しそうに酢豚を食べていた。


​☆☆☆
 

 飛ばしに飛ばした小型バスは、無事、ニューヨークに到着した。

 途中、渋滞に巻き込まれることはなかった。でも、発車から2時間30分もたっている。平均より30分も遅い。

 あんなに飛ばしていたのに、なぜだろう?

 チャイナタウン・バスの謎は、まだまだ尽きない。(細田雅大)

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