top of page

「武士道」
 新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳
 岩波書店

あなたならどう日本を説明しますか?

 あなたも、外国の友人と話していて、宗教が話題に上ったことがあると思う。

 例えば、「君の宗教は?」と問うあなたの友人。「宗教はないよ」と答えるあなた。友人は、「君は無宗教なの?」とやや驚いてしまう。

 あるいはその会話は、次のようだったかも知れない。

 「君の国ではどんな宗教教育をしているの?」「そんなものはないよ」「ないの! じゃあどうやって道徳を教えているの?」

 そしてあなたは、何も答えられなくなってしまう……。

 約百年前、新渡戸稲造とベルギー人との間でも、同じ会話が交わされた。新渡戸もまた困惑してしまった。そして考えた。宗教のない国で育った自分の道徳観念は、いったいどこから来たのか? そこで彼が見出したのが、武士道。新渡戸は、明治32年(1989年)に本書を英語で出版した。日本人の書いた本なのに「訳者」が存在するのは、最初に英語で書かれたからだ。

 明治32年といえば、日清戦争の4年後であり、日露戦争の5年前のこと。国際社会に加わりつつあった日本だが、日本人の考え方は西欧人には理解されにくかった。新渡戸は本書を、西欧の読者を対象として書いている。現在、日本と西欧の文化のギャップに関する本は数多いが、本書は、その原型として読めるだろう。例えば、日本人は自分の贈り物を「つまらない物」と言い、日本の夫は人前で妻を「愚妻」と呼ぶ。現在でも取り上げられるエピソードだが、本書ですでに分析されており、西欧人から見れば奇妙なそうした日本人の行動が、武士道の観点から説明されている。

 百年前の本だからといって見くびってはいけない。本書は古びていない。日本と西欧の関係は本質的に変わっておらず、百年前のままなのだ。(細田雅大/2003年)

「代表的日本人」

 内村鑑三著、鈴木範久訳
 岩波書店

あなたなら誰に日本を代表させますか?

 新渡戸稲造の「武士道」を読んだ後、同じ時代に書かれた本書も読んでみた。この本もまた、もともとは英語で書かれている。「武士道」と同じように、西欧社会に日本を紹介する目的で書かれたからだ。

 本書で紹介されている「代表的日本人」とは、西郷隆盛(「新日本の創設者」)、上杉鷹山(「封建領主」)、二宮尊徳(「農民聖者」)、中江藤樹(「村の先生」)、日蓮上人(「仏僧」)の5人。

 彼らの生き様を示し、日本人と日本文化を劣等なものとして軽んじがちな西欧になめられないようにしよう、という著者の気概がひしひしと伝わってくる。西欧に対してすごすご引っ込むのではなく、伝えたいことを堂々と伝えようとしている点は立派だ。私も見習いたい。

 とはいえ、気概が強すぎるのか、あるいは当時の時代背景のなせるわざか、訳者が「解説」で指摘している通り、愛国的過ぎる記述があって時々ぎょっとしてしまう。例えば、西郷隆盛の韓国征服の野望を紹介する次のような文章。

 「東アジアの征服という西郷の目的は、当時の世界情勢をみて必然的に生じたものでした。日本がヨーロッパの『列強』に対抗するためには、所有する領土を相当に拡張し、国民の精神をたかめるに足る侵略策が必要とみたのでした」(p.28)

 こうしたドギツイ文章もあり、私にとって、いろいろな意味で勉強になった。読み終えて、「今、私が同じような本を書くとしたら、どんな5人を選ぶだろう?」と考えてみた。イチロー? アントニオ猪木? 中上健次? なかなか思いつかない。そしてさらに考えた。著者の内村鑑三のような“熱い”気持ちを、私はいつか持てるのだろうかと。(細田雅大/2003年)

「なぜわれわれは戦争をしているのか」

 ノーマン・メイラー著、田代泰子訳
 岩波書店

国旗保守主義者たちの帝国

 米国のイラク侵攻を批判する人が、ブッシュ大統領の動機を分析した場合、大きく分けて2つの仮説が出てくるようだ。

 (1)ブッシュ大統領(とその取り巻き)は、イラクの石油利権を狙う打算的なハゲタカ
 (2)ブッシュ大統領は、現実的な判断のできない夢想的(あるいは狂信的)指導者

 アメリカ文学を代表する作家の一人、ノーマン・メイラーが主張するのは後者。私もメイラーと同じ考えだ。だからだろうか、ブッシュ大統領とその支持者たちの内面を、ここまでつまびらかにしている本は少ないと感じた。

 例えばメイラーは、ブッシュ大統領とその仲間たちを「国旗(フラッグ)保守主義者」だと定義する。

 「国旗保守主義の根底にあるのは狂気ではなく、隠されたひとつの論理である。その前提さえ理解すれば、じつに論理的なのだ」「この連中は国旗を使った。“邪悪”ということばが大好きだった」「もちろん、アメリカは“善”だと信じているからだ。ブッシュは当然そう信じている。この国は世界でたった一つの希望の星だと信じている」「その国が急速にふしだらになっていて、その唯一の解決策は、(略)世界帝国をめざして闘うことではないか、と感じてもいる」(47~49ページより)

 ほかにもメイラーは、「アメリカ人の愚鈍化」「粗野化」を批判するため、「プラスチック帝国主義」という魅力的な概念を提示している。「テクノロジーにかこまれた環境で働いているとき、指先にあるのは? プラスチックです」(91ページより)

 なぜアメリカは戦争をしているのか一度でも考えたことがある人に、強くお勧めしたい良書。最後に本書の訳文について一言。9・11以降出版されたテロに関する翻訳本は、あわてて出版されたからか、訳文が読みにくいものが少なくないようだ。そうした中、本書の訳は出色の出来ばえ。(細田雅大/2003年)

「必読書150」

 柄谷行人、浅田彰、奥泉光、岡崎乾二郎ほか
 太田出版

現実に立ち向かうための「教養」

 近畿大学文芸学部で教える作家の奥泉光が、新入学生の参考になるようなブックリストを作ろうとしたのが、本書誕生のきっかけだ。

 批評家の柄谷行人、浅田彰、渡部直己、そして作家の島田雅彦らが加わり、「人文社会科学」「海外文学」「日本文学」の3分野からそれぞれ50冊ずつ選定し、短い解説を付けた。結果的に、スタンダード中のスタンダード、カノン(正典)中のカノンが並び、奥泉光が「リストを見て呆然となった」ほどのブックリストとなった。

 計算してみると、150冊のうち、私がこれまでに読んだことがあるのは、わずかに12冊。取り上げられている著者の、別の本を読んでいる場合もあるけれど、わずかに12冊。私もまた呆然とし、読後、「こんなリストが俺の大学時代にあったらなあ」と思い、悲しくなった。

 本書の「序文」で柄谷行人が断言している。「現実に立ち向かうために『教養』がいるのだ。カントもマルクスもフロイトも読んでいないで、何ができるというのか。わかりきった話である」と。たしかにその通りだ。分かりやすく無味無臭になった「入門書」を読んだり、テレビの紹介番組を観たり、通説を聞きかじっただけで、何かが分かった気になり、安心し、知識をひけらかす人間がいかに多いことか。実は私もそういう人間だが、でも、そういう奴らの世間話はもううんざりだ。

 「それまでわかっていたつもりのものが、このリストのうちの、とくに人文系の一冊でも本気で読めば、地雷を間違って踏んでしまったように、よい方向にわけがわからなくなる」(渡部直己)というような凄い本がたくさん紹介されている。あなたも本書を参考に、そんな本を読み始めてみませんか? 私は読みます。(細田雅大/2003年)

「死に至る病」

 キェルケゴール著、斎藤信治訳
 岩波書店

キリスト教徒の信仰は、果たして可能か?

 「U.S. FrontLine」誌の書評執筆は、なかば強制的なものです。締切があるのですから。難解な本の場合、締切までに読み終わらない可能性があります。それは恐いので、つい読みやすそうな本を選びがちです。でも私は以前、「必読書150」(太田出版)の書評で、古典を読み始めると宣言してしまいました。だから簡単そうな本ばかりを取り上げることはできません。

 という次第で本書を選んだのですが……、いやー難しい。

 この本は、通勤時間に電車の中で読むような本ではないですね。すぐにワケが分からなくなります。きちんとノートを取りながら読むべき本です。読書会を数回開いて、話し合いながら精読するのも良いでしょう。

 例えば冒頭の文章です。私はいきなり、誰かと話し合いたくなりました。

 「人間とは精神である。精神とは何であるか? 精神とは自己である。自己とは何であるか? 自己とは自己自身に関係するところの関係である。すなわち関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている。――それで自己とは単なる関係ではなしに、関係が自己自身に関係するというそのことである」

 書評執筆が強制的なものでなければ、私は本書を読み通せなかったでしょう。でも、何とか読み終えた目で冒頭を読み直すと、あら不思議、少し意味が分かってくるではありませんか!

 「死に至る病」とは、絶望のこと。著者は、誰もが絶望しており、また絶望を通してのみキリスト教徒の信仰は可能になると書いています(たぶん)。宗教全般を「迷信」として片付ける人がいますが、そういう方にこそお勧めします。あなたが簡単に切り捨てている宗教について、ここまで深刻に考え抜いた人がいるのです。(細田雅大/2003年)

「オリエンタリズム〈上・下〉」

 エドワード・W・サイード著、今沢紀子訳
 平凡社

異文化について何か言う前に、まず読もう

 中枢同時テロ後、イスラムの国々について何も知らなかったことを痛感した私は、イスラム理解に役立ちそうな記事をできるだけ読むようにしている。

 そんな時に本書の存在を知った。(1)アラブなどいわゆる「東洋」は、ヨーロッパやアメリカなどいわゆる「西洋」において、どのように表現されてきたのか(実際には「表象 represent 」という、より多義的な語が用いられている)、(2)「西洋」において表現される「東洋」(これがオリエンタリズム)は、世界の政治と経済にどのような影響を及ぼしてきたのか、が分析されている。

 アメリカにいる私は、主に「西洋」の新聞記事やテレビ報道を通して、イスラム世界について知ることになる。それは「西洋」において表現(表象)される「東洋」なのだ。

 しかし本書を読み進めていくうちに私は、著者の問題提起は、「西洋」対「東洋」という枠組みにだけ当てはまるものではなく、もっと普遍的なものだと気付いた。本書は、自分の属す集団とは異なる集団に触れ、その経験を表現しようとする人間であれば、誰にとっても有益だと思う(アメリカという異なる集団に触れ、その経験を伝えるのが仕事の私は、もちろん含まれる)。

 著者は最後に、本書執筆にいたった疑問を改めて提示している。

 「我々は異文化をいかにして表象することができるのか。異文化とは何なのか。ひとつのはっきりした文化(人種、宗教、文明)という概念は有益なものであるのかどうか。あるいは、それはつねに自己賛美か、敵意と攻撃とにまきこまれるものではないのだろうか」

 異文化への対応が以前にも増して大きな課題となった現在、誰もが著者と同じ疑問を持つべきだと思う。(細田雅大/2003年)

「増補 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行」

 ベネディクト・アンダーソン著、白石さや・白石隆訳
 NTT出版

人はなぜ国のために死ねるのか?

 98年のサッカー・ワールドカップに日本チームが初出場した。Jリーグなどほとんど見ていなかった私だが、にわかサッカー狂となり、日本チームを応援した。そんなある日、喫茶店でコーヒーを飲んでいると、見ず知らずのグループが「にわかファン」に苦言を呈しているのが聞こえてきた。

 「なぜサッカーになると、ナショナリズムが出てくるのかなあ」
 「そうそう。なぜかナショナリズムが出てくるんだよねえ」

 “自分たちはサッカーというスポーツ本来の醍醐味が分かる真のファンなんですよ”と微妙にアピールしているその話し振りにまずムカついたのだが、その後、ナショナリズムって何なんだろうと考えさせられた。

 「ナショナリズムの起源と流行」という副題を持つ本書の主張は、近代に誕生した新聞や小説など「出版資本主義」こそがナショナリズムを生み出したというもの。太古より続く伝統や血統がまずあって、それがナショナリズムへと転じたのではない。ナショナリズムは人類史では比較的新しい装置に過ぎない。この装置が、それまで同胞意識など持たなかった人々を結び付け、伝統を共有しているかのように錯覚させているのである。だから、ナショナリズムに基づいた集団、つまりネーション(国民、国家)は「想像の共同体 Imagined Communities」に過ぎない。

 もちろん、「国家なんて想像された共同体に過ぎないのさ」と言うだけでは何の意味もない。「想像の共同体」のために、なぜ多くの人々が殺し合い、自ら命を捨てていくのか。イスラエルやイラクで自爆テロが行われている現在、著者のその問いはますます深刻なものとなっているのだ。(細田雅大/2003年)

「アメリカの政治と社会」

 鈴木康彦
 国際書院

アメリカの“仕組み”を本格的に知ろう

 U.S. FrontLineで働くことが決まった2000年夏のこと。ウェブサイトで調べてみると、私が勤めることになる会社は、「日米間最新ビジネス動向や政治/経済状況」について、「在米日本人や国際派エグゼクティブを対象とした情報提供を行う」ところだと分かった。

 ビジネス動向や政治/経済状況? 国際派エグゼクティブだって?

 小心な私はびびった。就職活動中は、「アメリカのことなら何でも知ってます」という態度を押し通したが、実際のところアメリカの政治や経済に対する私の知識はお粗末なものだったからだ。私は、本を買いあさって勉強を始めた。本書はそのうちの一冊で、高価なので躊躇(ちゅうちょ)したが、買って良かったと思う。一番役に立ったからだ。その証拠に、この本だけは日本から持ってきた。

 例えばあなたは、アメリカの州と連邦政府の関係と、日本の都道府県と中央政府の関係の違いについて説明できるだろうか? あるいは、アメリカの三権分立のあり方と、日本のそれとの違いについては? そもそも三権分立の「三権」って何のことだか知っていますか?

 長くアメリカの大学で教える著者が書いた教科書のような本なので、面白おかしく読めるわけではない。最初から最後まで読み通すには、それなりの覚悟が必要だ。けれど、もしあなたが、政治や社会などの「固い話」に自信がないのをどうにかしたかったり、アメリカという国の仕組みをその根本から理解したいと思っているのなら、一冊手元に置いても損はしない本だ。

 著者は、アメリカにおける裁判所の役割を重視しており、巻末には過去の重要な判例が列挙されている。この判例索引も便利。(細田雅大/2003年)

「アメリカにおける銃保持・携帯権限」

 鈴木康彦
 冬至書房

銃規制議論のための土台づくり

 日本には、憲法第9条問題というものがある。第9条で「戦争の放棄」が宣言されているため、自衛隊の合憲性が問われてしまうのだ。

 アメリカにも似た状況があるようだ。

 「A well-regulated militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed」という、やや難解な構文の合衆国憲法修正2条。果たしてこの条項は、個人が銃を持つ権利を保障しているのかどうか。

 多くの法曹団体や法学者が、「修正2条は、個人に何らの権利も認めるものではない」という立場(「州権論」)を取っている。一方で、比較的少数の人々が、「修正2条は、個人が銃を保持する権利を認めるものだ」(「個人権論」)と主張する。

 正しいのはどちらか? 著者は、修正2条成立時の歴史的背景、成立過程、そして修正2条をめぐるその後の判例を、切れ味鋭く分析していく。本書冒頭には、修正2条の2つの日本語訳が紹介される。衆参両議員法制局と在日アメリカ大使館による、「州権論」の立場に立った翻訳だ。

 80ページほどの長さの本書で、ひと通りの分析を終えた著者は、最後に独自の訳出に至る。その翻訳は「個人権論」の立場に立つものだ。だからといって、著者のことを銃規制反対派だと早合点してはいけない。本書の目的は、結論を出すことではなく、「現実から乖離した争論」をいったん無効にし、新たな議論の場を作り出すことにあるのだから。

 「アメリカでは銃が野放しだから犯罪が絶えない。でもNRA(全米ライフル協会)が強力で、なかなか銃規制ができない」という程度の知識しかなかった私に、銃規制問題の根深さを教えてくれた良書。(細田雅大/2003年)

「ヴァギナ・モノローグ」

 イヴ・エンスラー著、岸本佐知子訳
 白水社

ダイアローグへ向けた発声練習

 本書はもともと芝居だった。劇作家イヴ・エンスラーが、96年に一人芝居として始めたのだ。以来、世界各地でさまざまな形式で上演されている。

 私は、女性だけの演劇集団が一人ずつ順番に独白(モノローグ)していく形式のものをニューオーリンズで観たことがある。

 「服を着るヴァギナ」「しゃべるヴァギナ」「洪水を噴出するヴァギナ」「ヴァギナの毛を剃る夫」「初めて血が出た時」「初めてのオーガズム」など、すべてヴァギナ(医学的に訳せば「膣」)に関する独白だった。

 日本人である私は「vagina(英語の発音はヴァジャイナ)」という言葉を後から学習したため、いまひとつピンと来ないが、アメリカではこの言葉はタブーとなっているらしい。芝居の開始直後、演技者が「vagina」と発声するたびに、ほかの言葉では生まれない独特な波が生じ、客席の女性たちを震わせているのが感じられた。

 ヴァギナは社会(正確に言えば男性社会)によって隠蔽され、持ち主である女性自身の目からも隠されてきたのだ。女性はヴァギナの存在に、そしてその価値に気づいてはならなかった。「Vagina」と口にするなどもってのほか、どうしてもそれに言及しなければいけない時は別の語で代用した。

 つまりこの芝居は、ヴァギナを持つ者たちの発声練習なのだ。

 エンスラーは言う。ヴァギナは「大切な、美しい、生命を生み出す部分」なのだと。快楽をもたらす、女たちの「中心」なのだと。

 時折顔を出す「男性批判」「父権社会批判」の浅薄さをあげつらう人がいるかもしれない。しかし、タブーを乗り越えるにはまず勢いが必要だ。これは発声練習なのである。ヴァギナを持たない者たちと対話(ダイアローグ)を始めるための。(細田雅大/2003年)

「ダウン・ザ・ハイウェイ ボブ・ディランの生涯」

 ハワード・スーンズ著、菅野ヘッケル訳
 河出書房新社

放浪者の歌

 本書は、ビートルズ、ローリング・ストーンズらに匹敵する影響をもたらした20世紀を代表する歌手の伝記である。著者は、「この伝記に協力しないことを選んだボブ・ディラン本人」を除き、ディランに関係した人物250人以上に話を聞いて、この“暴露本”を仕上げている。

 「今さらボブ・ディランかよ」と思われるかもしれないが、最近の2つのアルバム「タイム・アウト・オブ・マインド」(97年)と「ラブ・アンド・セフト」(01年)を聴けば、ディランが今でも“現役”の音楽家であることが分かるはずだ。

 かく言う私も、たまたま「ラブ・アンド・セフト」を聴くまでは、ディランのファンではなかった。彼がいかに重要な人物であるかは知っていたが、「風に吹かれて」「ライク・ア・ローリング・ストーン」ぐらいしか代表曲のない“既に終わった古臭い”歌手だと認識していた。

 それが完全な間違いであることは前述の2作を聴けば明らかだが、本書を読むことでも裏付けられる。

 ビジネスに関する無知と2度の離婚により多額の損失を被ったとはいえ、一般の基準からすればディランはやはり大金持ちだ。しかし彼は、60歳を超えた今でも、年100回に及ぶ過酷な日程のコンサートを続けている。なぜそんなに多数のライブを行うのか?

 「彼のなかにある吟遊詩人の心がそうさせるのよ。吟遊詩人が昔からしてきたこととおなじ。それが仕事なの。人を楽しませることがね」と女友だちの一人は言う。劇作家で俳優のサム・シェパードも同意見だ。「彼は、本質的には放浪者であり、そうであることが気に入っている。ほかの場所よりバスのなかで暮らすほうが好きなのだと思う」

 つまり、本人自身が今でも「ライク・ア・ローリング・ストーン」なのだ。そんな人が作る歌は、常に新しい。(細田雅大/2003年)

「クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々」

 土屋嘉男
 新潮社

痛快無比な“天皇”黒澤明とその仲間たち

 数々の黒澤映画に出演した著者が、黒澤明との出会いから別れまでを、映画製作の裏側を紹介しながらつづった本書。あまりに面白いため1日で読み終えてしまった。

 著者が黒澤作品に出演していた時代は、日本映画の黄金期にあたる。当時の映画人の元気の良さ、そして映画にかける愛がびんびん伝わってくる。映画と雑誌は違うが、他人(ひと)様に見ていただくものを作る者として、私はうらやましくなった。彼らのように豪快に大らかに情熱を全開させて、ものを作りたい。そういう前向きな態度にさせる本だ。

 紹介されるエピソードもいちいち魅力的だ。例えば、食事中に勝手に写真撮影を続けるファンに対し、「我々には肖像権というものがあるんです! 誰に断りましたか!」と怒り出す名優、志村喬。ファンが頭を下げ「写真を撮ってもいいでしょうか」と問うと、「いやでーす!」と返答。志村ファンの私は、どんな口調で「いやでーす!」と言ったのか考え込んでしまった。

 三船敏郎は、「風貌に似合わず神経がとても細かく、清潔好きで物を大事にした」と紹介されている一方で、黒澤とともに出かけたナイトクラブで「タキシードでないと入場お断り」と言われると、「こんな店はぶち壊してやる。気取りやがって。中にいる奴ら、外へ出ろ!」と叫び、「両手で石を持ち上げて入り口めがけて突進した」というから豪快極まりない。

 黒澤は黒澤で人の好き嫌いが激しく、「俳優の中に『虫が好かん』のがいた。その都度嫌悪を口にした。二枚目スターは大体それに該当した」というから、私も人間関係に気をつかわず、嫌いな人物には正直に「嫌いだ」と言いながら雑誌づくりに励むべきなのかと思うのだった。(細田雅大/2003年)

「娘たちのための狩りと釣りの手引き」

 メリッサ・バンク著、飛田野裕子訳
 ソニーマガジンズ

理想の男性を射止める心得とは?

 これは、1999年にアメリカで出版されベストセラーになった「The Girls' Guide To Hunting and Fishing」の翻訳本だ。翻訳者も「あとがき」で述べているように、タイトルから判断すると、「女の子向けの釣りとハンティングの実用案内書」のようにも思われるし、うがった見方をする人であれば、「男を“獲物”と見立てて、どうやって獲物をおびき寄せ捕えるかを書いた恋愛指南本だろう」と思うかもしれない。私は単行本版を読んだが、その帯には、「理想の男を射止めるための七つの心得」などと書いてあるので、いわゆるノウハウ本だと思うのも無理はない。

 しかしこれは、そんな本ではない。ジェーンという女性の14歳から30歳中頃までの人生が、7つの短編を通して語られていく小説だ。ジェーンは、ニューヨークの出版社の編集助手としてキャリアをスタートさせるが、新しい女性編集長とソリが合わず、広告代理店に転職する。プライベートでは、同年代の男から28歳年上の大物編集者まで、何人かと恋に落ち、ある時はあっさりと、ある時は苦しんで、別れを重ねていく。彼女の心の綾が、読みやすい文章で、とても丁寧に語られていく。

 そして、最終編を読み終えた読者は気づくだろう。理想の男性を射止める「心得」や「手引き」など存在しないということに。本書のタイトルや帯の文句は、「理想の相手と出会って幸せになるための心得や手引きがどこかにある」と思っている人をおびき寄せる罠だったのだ!

 なお、「娘たち」でない人(例えば私のような野暮な男)が読んでも十分に楽しめます。(細田雅大/2003年)

「二百年の子供」

 大江健三郎
 中央公論新社

スラスラ読める大江健三郎

 大江健三郎の小説の文章を「読みにくい」と思う人は少なくないようだ。「繰り返し読まないと、文章の意味が分からない」「スラスラ読めないので疲れる」と言う人が、私の近くにもけっこういる。

 その感想は正しいと思う。

 でも、「読みにくいから駄目」と判断するのは、ちょっと待ってほしい。

 文学の作り方と読み方について考察した「新しい文学のために」(岩波新書)などで本人が書いている通り、大江健三郎は、推敲に推敲を重ねて、わざと文章を読みにくくしているのだから。

 ノーベル賞作家の文章と本誌「U.S. FrontLine」の文章を比べるのもどうかと思うが、分かりやすいので比較してしまおう。私は編集者として、読者がなるべくスラスラ読めるように、繰り返し読まなくても意味が分かるように、本誌の文章を執筆し、校正している(今、「何を威張ってる! 意味の分からない文章がよくあるぞ!」と怒った読者の皆さん、ごめんなさい)。

 大江健三郎の努力は、その反対である。一つ一つの文章で読者が立ち止まってしまわざるを得ないように書こうとしている。

 それはなぜか? 詳細は前述の「新しい文学のために」を読んでいただきたいが、簡単に理由を言えば、そのように工夫された文章でなければ、伝えられないものがあるからだ。

 「それでもやっぱり読みにくい文章はイヤ!」

 そんな方にこそ、本書をお勧めしたい。以前にも、「治療塔」「治療塔惑星」(岩波書店)で「本格的近未来SF」に手を染めた著者が、本書で取り組んでいるのは「私の唯一のファンタジー」。読者対象の中心に子どもを置いて執筆したのかもしれない。大江健三郎にしては格別に読みやすくなっている。

 主人公は、四国のある村でタイムマシンに乗り、過去と未来を旅する3人の子どもたち。以前の大江作品に登場したエピソードや人物が多いこともあり、もちろん大人だって十分に楽しめる作品となっている。(細田雅大/2004年)

bottom of page