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堆肥を作ろう

04年11月26日

 私のアパートは、フラットブッシュ・アヴェニューというブルックリンの大通りに面しています。並木道です。紅葉のシーズンが終わると、大量の枯れ葉が路面にたまることになります。

 先日、アパートの前でゴミを回収していた清掃車に「Fall Leaf Collection」という表示があるのを発見し、私は「なるほど」と思いました。「落ち葉やハロウィーンで使ったカボチャは、通常の黒いゴミ袋ではなく、茶色の紙袋に入れて、指定の日に出してください」と、ニューヨーク市のウェブサイトには書かれています。大量に出る落ち葉を集めて処理し、堆肥(たいひ)を作るのだそうです。

 堆肥という言葉を、私は懐かしく思い出しました。岩波国語辞典によれば「堆肥」とは、「わら・草・大小便など、廃物を積み重ね、腐らせて作った肥料」のことだそうです。

 堆肥という言葉を懐かしく感じたのには、理由があります。子供の頃、「カブトムシの幼虫はタイヒの中によくいる」と聞き、「そうか。タイヒというのは凄いんだ」と記憶に植え付けられたのです。タイヒ。いい感じの言葉ですよね。自然の力を感じさせてくれて。

 同様にミミズという言葉にも、良いイメージがあります。湿ったドロの中に生息し、赤くて細くてニュルニュルしているヒモ状のあの生き物のことです。ミミズは、ドロを食べ、養分を吸い取った後、ドロを排出します。子供の頃、「ミミズの尻から出てくるドロは、植物の生育に適したタイヒになっている」と聞き、「ミミズすげえ!」と思ったのです。

 そのミミズを自宅で飼い、堆肥を作らせて、家庭菜園で役立てている人がニューヨーク市には数百人いるようです。11月3日のニューヨーク・タイムズで紹介されていました。残り物の果物や野菜を与えると(肉類や乳製品は厳禁)、ミミズたちはせっせと食べ、いつの間にか堆肥ができているとのこと。生ゴミが処理できて堆肥も作れるわけですから一石二鳥ですね。ミミズは魚釣りの良いエサにもなるので、釣り人にとっては一石三鳥。私も「飼おうかなあ」と思っています。(細田雅大)

今年もオノ・ヨーコ

04年12月29日

 2001年の中枢同時テロ以降、故ジョン・レノンの未亡人である前衛芸術家のオノ・ヨーコは、新聞などの紙媒体や、タイムズ・スクエアのビルボード(巨大看板)を利用して、平和をうながすメッセージを発信してきました。

 特に、毎年のクリスマス前後に、ニューヨーク・タイムズやヴィレッジ・ヴォイスに1ページのフル広告を出すのは、もはや恒例行事となってきたような気さえします。

 今年もまた、オノ・ヨーコのメッセージが出現しました。私が見たのは12月20日付けのニューヨーク・タイムズです。まず、真ん中に大きく書かれた「WAR IS OVER!」という表現が目を引きます。その下には小さく「IF YOU WANT IT」とあります。ジョン・レノンの名曲「Happy Xmas (War Is Over)」からの引用です。

 その下にさらに「Happy Christmas from John & Yoko」とあり、最後にいちばん小さい字で「"Don't need a sword to cut through flowers" J.L.」と書かれています。最後の「J.L.」というのはジョン・レノンの頭文字でしょう。「花を切るのに刀はいらない」と訳せるのでしょうか。これもまたレノンの曲「Whatever Gets You Thru The Night」からの引用です。

 昨年も書いた通り、私はオノ・ヨーコのこうした活動を、高く評価しています。しかし、毎年毎年同じように繰り返していくうちに、2001年当時の斬新さは失われ始めているようにも思います。人々の意表を突いて発信するからこそ、彼女のメッセージには、それなりのショックや効果があったと思うのです。オノ・ヨーコのファンとしては、ぜひ来年こそ、私たちが再びアッと驚くような手法・場所で、メッセージを発信してほしいと思います。(細田雅大)

左が、2001年9月23日、中枢同時テロの12日後に発表された最初の広告。右が、2004年12月20日にニューヨーク・タイムズに発表されたもの

他者の苦痛に関して

05年01月13日

 ちょうど今、スーザン・ソンタグという米国の思想家・小説家が書いた「他者の苦痛へのまなざし」(みすず書房)という本を読み終えたところです。雑誌「U.S. FrontLine」には書評のコーナーがあり、毎号1冊、社内の読書好きが自分の読んだ本について書くのです。

 私は読書好きですが、系統立てて読書をしたことはなく、そのためか「専門」と呼べる分野は何もありません。また、「ソンタグを読んでいる」と言うと何か凄いインテリだと思われるかもしれませんが、私はまったくそうではありません。

 特にソンタグが好きなわけではないのです。学生時代に、彼女の「隠喩としての病い」を読んだ時も、内容をよく理解できない自分の読解力不足をいちばん高い棚に上げ、「なんだこんな本! 全然大したこと書いてないじゃないか」とこき下ろしたものでした。

 そのソンタグの本をなぜ取り上げたかと言えば、昨年末に彼女が71歳で亡くなったからでもありません。本欄で以前紹介しましたが、昨春、彼女の別の論文を読んだからなのです。「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」に掲載されたその論文で彼女は、アブ・グレイブ刑務所の米兵がイラク人収容者を虐待している写真について書いていました。

 その論文のタイトルは「Regarding the Torture of Others」。そして「他者の苦痛へのまなざし」の原題は「Regarding the Pain of Others」です。よく似ています。ともに戦争に関する写真がテーマです。私たちは、テレビや新聞やインターネットによって戦争の写真を見る時、何を感じ、何を思い、どう行動するのか。そして、この「私たち」とはいったい誰か。そのようなことをソンタグは書いています。

 スマトラ島沖地震・津波による「他者の苦痛」が毎日、写真に撮られ、報道されています。ソンタグの本はもちろん津波発生前に書かれたものであり、また、津波は戦争ではありませんが、私は津波被害を受けた「他者」のことを考えながら、この本を読みました。

 ソンタグは、「他者の苦痛」を伝える写真が撮られ、それを「私たち」が見ることには、意味があると言っているようにも、意味がないと言っているようにも読めました。つまり私には、ソンタグが何を言っているのかよく分からないのです。もしかするとそれは、私の読解力が不足しているからだけではなく、ソンタグ自身が揺れているからなのかもしれません。そしてその「揺れ」は読者にも伝染するのではないでしょうか。

 昨夜、マンハッタンの三番街を歩いている時です。Stillというバーの入り口横に、大きなポスターがかかっていました。

 Still's Tsunami Relief Fund
 $10 Comes with a free cocktail
 All proceeds going to the Red Cross Relief Fund
 Thursday Jan 13th
 6pm-9pm

 手書きではなく、きちんと印刷された見栄えのいいポスターです。6時から9時までの間に10ドル払ってカクテルを1杯飲むのです。その10ドルは赤十字の救援基金に寄付されます。素晴らしいアイデアです。ふだんと同じように酒を飲むだけで、津波の被害者に義援金が届けられるわけですから。

 同時に私はこうも思いました。知人と連れ立ってStillへ出かけ、10ドル払ってカクテルを飲む。いつもと同じく「かんぱーい」と言うだろう。でもそれは、何に対する乾杯なのか。そもそも乾杯していいのか。しんみり飲むべきではないのか。しかし、しんみりするのなら、なぜバーに来たのか。どのような表情で、何を話しながら、飲めばいいのか。

 ソンタグの「揺れ」が私に伝染してしまったのです。(細田雅大)

iPodを買わない理由

05年04月01日

 相変わらずiPodは大人気です。私の周辺にも、最近iPodを入手した同僚が計5人もいます。

 iPod使用者が増えたため、ニューヨークの地下鉄犯罪が増加しているという報道がありました。デイリー・ニューズによると、今年、3月27日までに地下鉄で起きた強盗事件(robbery)は304件。去年の同時期より24%も増えています。重窃盗(grand larceny)は462件で、10%の増加です。
 
 「iPod窃盗」の増加がその原因だと警察は考えています。ニューヨーク・タイムズによると、iPodくらい理想的な盗みのターゲットはありません。「特徴的な白いイヤホンのせいで誰が持っているか一目瞭然」であり、「数百ドルの価値」があり、「音楽を聴いている持ち主は周囲に対して無警戒」だからです。

 iPodは素敵です。可愛くて、便利で、楽しくて、使い勝手が良い。私も、だいたい3日に1回は「もう駄目だ。買ってしまおう!」と決断しそうになります。でも、買いません。iPodのせいで失われるものが多いことを知っているからです。

<iPodのせいで失われるものリスト>

(1)購入代金

(2)内蔵電池を充電するための電力

(3)安全性

(4)心の平穏(奇麗なiPodに傷がつかないようにしようと気をつかい、ストレスがたまる)

(5)地下鉄などでの移動中に集中して本を読む機会(iPodを買った私は常に音楽を聴いてしまうでしょう。しかし私は、音楽を聴きながらでは、本を真剣に読めません)

(6)外を歩いている時に耳に入る街の音(例えば、車の騒音、外国語のおしゃべり、誰かの叫び声、誰かの泣き声、誰かの笑い声)

(7)見知らぬ人が話しかけてくる機会(例えば、道を尋ねる時、iPodを聴いている人ではなく、聴いていない人の方に話しかけやすいと思います)

 このうち、特に重要なのは最後の2つです。なぜだか分かりますか? この「NY編集日記」で書く題材を失うことになりかねないからです。「日本の田舎に帰ってもiPodは聴ける。しかし、ニューヨークを味わえるのは、ニューヨークにいる今だけ」と私は思うのです。

 でも買ってしまいそうです。

 いや、やっぱり買いません。(細田雅大)

国連前の反日デモ

05年04月22日

 在ニューヨーク日本国総領事館が開催する「海外安全対策連絡協議会」に参加しています。ニューヨークの日系団体、日系メディア、旅行業界などの関係者が集まり、治安やテロ情勢、安全対策について情報交換するのです。

 先日、総領事館からファックスが届きました。「海外安全対策連絡協議会」関係の連絡です。「国連本部前での中国系団体によるデモ計画について」と題されています。

 4月22日、「中国系団体による日本の常任理事国入り反対デモ」が行われる予定。参加者数は200から300名と小規模であり、「当地官憲」が立ち会うので「大きな混乱は生じない」と見られるが、「在留邦人の皆様」は「無用のトラブルに巻き込まれぬよう安全対策に」心がけてほしい。

 という内容のファックスでした。トラブルには巻き込まれたくはありませんが、私もいちおうジャーナリズムの末席を汚しているため、社内のカメラマンを連れて取材に行ってきました。そして書いたのが以下の記事です。

 


★「日本は人殺しの国」~在米中国・韓国人が国連前でデモ★
 <中国各地で反日デモが発生する中、4月22日、ニューヨーク国連本部前のダグ・ハマーショルド広場にて、在米中国人および韓国人による反日デモが行われた。

 国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指す日本の動きに抗議するためのもので、参加者たちは午後1時から2時間、「日本を拒否せよ」「日本は戦争犯罪国家」「日本は人殺しの国」などというシュプレヒ・コールを繰り返した。

 デモ主催者の一人は「日本が国連に巨額の分担金を納めていること、そして、発展途上国にも巨額の援助をしていることは認めるが、常任理事国入りは別の問題。過去の犯罪を認め謝罪しようとしない日本は、世界平和を推進する機関である国連には不適切」と語っている。> 



 この記事では書き切れなかったことがあります。記事だけ読むと、とても攻撃的で殺伐とした雰囲気が想像されますが、必ずしもそうではありませんでした。中にはもちろん、ケンカ腰になっている人や、絶叫口調の参加者もいましたが、そうではない人の方が多数でした。

 時々参加者は、中国語の歌を合唱していました。聴いたことのない曲ですし、そもそも私には中国語が分かりません。ですから、近くでビラを配っていた中国系の男性に尋ねました。

 「これは何という歌ですか? 英語名を教えてください」

 しかしその男性は、歌の題名をど忘れしてしまったようです。「えーとね。ちょっと待ってくださいね。うーん。なんで思い出せないんだろう」

 しばらく考えてくれましたが、思い出すことができません。「後で教えてあげるから」と言ってビラ配りに戻っていきました。取材中の私もまた、場所を変えました。「後で……」と言われたものの、もう題名を知るのはあきらめてしまいました。

 しかし数十分後。なんと先ほどの男性が私を探し出してくれたのです。

 「題名が分かりましたよ」
 「何て言うんです?」

 男性は、中国語の題名の意味を英語で説明してくれました。しかし、シュプレヒ・コールや拡声器からの音声でやかましく、よく聞き取れません。そこで私は、題名をノートに書いてもらいました。「歌唱祖国」という歌でした。

 「どうもありがとう」
 「どういたしまして。あなたは日本人?」
 「そうです」

 握手をした後、男性は「お会いできて良かったです」と言ってその場を去っていきました。オフィスに戻り、幼少時代を中国で過ごした同僚に聞くと、「歌唱祖国」は愛国の気持ちを表した歌だということが分かりました。「Japan is the Most Evil Country」「Nazi Japan」「Japan Kills」「小泉純一郎該死」「石原慎太郎該死」などという過激なメッセージも印象に残りましたが、いちばん心に残ったのは、あの男性の礼儀正しさでした。(細田雅大)

iPod窃盗防止製品

05年05月04日

 アップル・コンピュータの携帯音楽プレイヤー、iPodの窃盗が、特に地下鉄内で急激に増えていることは既にお伝えしました。その後もいろいろなメディアがこの問題を取り上げています。しばらく前には、iPodを盗まれないためのニューヨーカーの工夫が紹介されていました。

<iPodを盗まれないための工夫>

(1)iPod特有の白いイヤホンを、陳腐な黒いイヤホンに変える

(2)地下鉄の中ではiPodを操作しない(本体が見えると窃盗欲を刺激するから)

(3)地下鉄の中ではiPodをバッグに入れ、そのバッグは膝の上に置いて座る

 なかなか皆さん頑張っていますが、私に言わせれば、まだまだ甘いと思います。すでに私は、画期的な窃盗防止策を2つも考え出しているのです。近い将来、製品化された際の商品名も決まっています。

<iPodを盗まれないための製品>

(1) 「iDirty」(アイ・ダーティー)
 半透明の素材でiPodを覆い、表面に傷が付かないようにする製品が多い。こうした製品にヒネリを加えたのがアイ・ダーティー。中に収められたiPodが傷ついて汚く見えるように、半透明の素材に工夫がこらされている。傷つき汚れているiPodを見て、窃盗欲を減退させるのが狙い(しかし本当は、中のiPodはきれいなまま)。

(2) 「iDell DJ」(アイ・デル・ディージェー)
 携帯音楽プレイヤーは数多いが、iPodだけが特権的なステイタスにある。窃盗者は、単なる携帯音楽プレイヤーではなく、特権的なステイタスにあるiPodが欲しいのである。だとすれば、Dell社の製品Dell DJは、あまり盗まれないはず。この原理を利用したのがアイ・デル・ディージェー。Dell DJそっくりの空箱である。この箱にiPodを入れれば、Dell DJを使っているようにしか見えない。「iRio」もしくは「iZen Micro」でも良し(「iRiver」は「iiRiver」となる)。

 どうでしょうか? どなたか資金のある方、製品化してくださいませんか? その場合、アイデア料として売り上げの10%ほどいただければ、私は満足です。(細田雅大)

コリアン・タウンをうろうろ

05年05月12日

 雑誌「U.S. FrontLine」の4月3週号は韓国特集でした。日本で大ブームを起こした韓国のドラマ「冬のソナタ」がテーマです。日本在住のライターが「冬のソナタ」のロケ地ツアーに参加し、その様子を臨場感たっぷりにまとめています。

 そして先日、韓国系新聞「The Korea Daily」の記者から手紙が届きました。「あなたたちの韓国特集のことを記事にしたいので、文章の引用を許可してほしい」という内容です。「多少の引用なら無許可でOK」というのが雑誌・新聞業界の不文律ですから、かなり律儀な仕事の進め方です。私たちは快く許諾しました。

 それから数日後、その記事が掲載された「The Korea Daily」が、お礼の手紙とともに送られてきました。しかし、韓国語が読めない私には、何が書かれているのかさっぱり分かりません。社内にも、韓国語が読める人間はいませんでした。

 韓国人の知り合いは何人かいますが、最近連絡を取っていないため、いきなり翻訳を頼むのは気が引けます。「The Korea Dailyの記者に訳してもらったら?」という声も上がりましたが、記者の方も忙しいでしょうから、それも気が進みません。

 そこで私は、コリアン・タウンに出かけました。私たちのオフィスから10ブロック南下した32丁目に、コリアン・タウンがあるのです。そこに行って誰かに事情を話し、何が書かれているのか教えてもらおうと思ったわけです。

 しかし、歩きながら自分の状況を考えているうちに、すっかり弱気になりました。

 「そこのお嬢さん! 私は日本の雑誌編集者です。韓国について書いたところ、韓国系新聞から取材を受けましてね。その新聞が送られてきましたが、私には読めないのですよ。私の代わりに読んで、内容を教えてくださいませんか。お茶でもご一緒しながら」

 「これじゃまるで、手の込んだナンパの手口だ……」と私は思い、女性に声をかけるのに必要な気力を失ってしまいました。そのままコリアン・タウンをうろつくこと数十分、一角にある小さな公園で、やっと一人の男性を発見しました。じっと静かに座っている彼に名刺を差し出し、私は言いました。

 「失礼ですが、韓国語が話せますか?」

 男性は無言で首を振っています。私はお礼を言って引っ込み、ベンチに腰掛け、様子をうかがいました。すると、数人の仲間がやって来て、中国語を話し始めました。韓国系の人ではなかったわけです。ちょうどお昼時でした。私のそばには、食事をしながら元気に韓国語で会話をする女性グループがいます。でも、話しかけることができません。私はオフィスに戻り、夕方、もう一度出かけることにしました。

 今度もまた公園です。まず、何かの制服を着ている二人の青年に声をかけました。韓国語を話していますから韓国系の人に違いないはずです。なるべく真剣な態度に見えるように、そしてさわやかに微笑みつつ、私は話しかけました。でも、どうやら不審がられたようです。二人はなぜか険しい表情になり、会話はほとんど弾みませんでした。

 次に声をかけたのは、一人で椅子に座っている男性でした。この男性は、まったく不審がらず、ニコニコと私を迎えてくれました。「初めてアメリカに来た観光客です。60歳です。英語は3年前に勉強し始めたばかり。日本語とドイツ語と英語が話せますが、ほんの少しだけ」とのことです。

 「この記事のタイトルの意味を教えていただけませんか?」とお願いすると、男性は嬉しいような困ったような表情を崩さず、ただニコニコと無言です。私もニコニコせざるを得ません。お互いニコニコ見つめ合い、ほのぼのとした空間が形成されました。

 次に声をかけた若いカップルは、不審がることもなく、私の話を聞いてくれました。私は主に男性と話しました。女性は優しい性格のようで、適当な英単語が見つからず困っている男性を見て、バッグから電子辞書を取り出しました。二人で話し合いながら、丁寧に教えてくれるのです。

 「韓国の文化が、アメリカの日本人にも大人気だと書かれていますね。日本の雑誌フロントラインが、ツアー、ショッピング、そして日韓の男性比較をしていると書かれています」

 「好意的な記事なのでしょうか?」

 「好意的ですよ」

 「どうもありがとう。助かりました」

 結局、何とかつかめたのは、記事の概要の概要くらいです。とても全容までは分かりません。でも私は満足でした。「充実した一日だった」とさえ思い、駆けるようにしてオフィスに戻りました。ニューヨークで働いているとはいえ、私が毎日相手にするのは日本語と日本人の同僚です。異文化や異国人との本当の意味でのコミュニケーションは、多いようでいて実は少ないのです。不審がられたり、意思が伝わらなかったり、優しく助けられたりすることの全体が、私にとっては今でも、得難い体験です。(細田雅大)

喉の奥深く

05年06月02日

 (今回のコラムは、かなり卑猥な内容です。映画にたとえれば「成人映画 18歳未満は入場お断り」という感じになるでしょう。そうしたものが嫌いな方はご注意ください)

 米国のメディアはここ数日、「ディープ・スロート」「ディープ・スロート」と騒いでいます。ニクソン大統領の辞任につながった1972年の大スキャンダル、ウォーターゲート事件。「ディープ・スロート」とは、この事件を報じたワシントン・ポスト紙記者の情報源となった人物の仮名です。この人物の正体が、事件発覚から30年以上たって明らかになりました。当時の連邦捜査局(FBI)副長官だったマーク・フェルト氏が「ディープ・スロート」だったのです。

 というように書くと、まるで私がウォーターゲート事件について詳しく知っているように思われるかもしれません。しかし、1972年と言えば、私は6歳。島根県松江市の小学校に入学したばかりの子供だったわけです。遠い国アメリカで起きた政治スキャンダルの事情など、いくら衝撃的な内容だったとはいえ、知っているはずがありません。

 ですから、これから書くことは、もしかするととんでもない頓珍漢(とんちんかん)かもしれません。しかし私には気になることがあり、書かざるを得ないのです。

 テレビなどでリポーターが「Deep Throat」と言うのを聞く時、「いったいどんな気持ちでDeep Throatと口にしているのだろうか?」と私は思うのです。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、「Deep Throat」とはそもそも、1972年に公開された米国のポルノ映画のタイトルです。ワシントン・ポスト紙は、情報源となった人物を指すのに、当時ヒットしていたポルノ映画のタイトルを使うことにしたのです。

 小学館の辞典で、Deep Throatを引いてみました。

 Deep Throat (1)フェラチオの一種で、ペニスを喉まで呑み込む。米国のLinda Lovelace 主演のポルノ映画 Deep Throat(1972)より。(2)内部告発者:政府部内または企業内の犯罪行為を、匿名で告発する人物(Watergate事件の情報提供者の仮名より)。

 まず(1)があり、それから(2)が生じたわけです。私は、もし「ディープ・スロート」と同じことが日本でも起きていたらどうなるだろうと想像しました。日本でも70年代に大きな政治スキャンダルがありました。田中角栄首相の退陣と、ロッキード事件による逮捕です。

 田中角栄批判の急先鋒と言えば、ジャーナリストの立花隆でした。立花隆が「文藝春秋」76年11月号に発表した「田中角栄研究 その金脈と人脈」が、田中首相の退陣に大きな影響を及ぼしたのです。

 さて、立花隆に重要な匿名の情報源がいたとします。もし立花隆が、その人物を、日活ロマンポルノのタイトルで呼んでいたら、これはやはり大変なことになる気がします。日活ロマンポルノのタイトルには、例えば以下のようなものがあるのですから。

 「四畳半襖の裏張り しのび肌」
 「いけにえ天使」
 「イブちゃんの花びら」
 「火照る姫」
 「花と蛇 白衣縄奴隷」
 「双子座の女」
 「制服処女のいたみ」
 「団鬼六・黒薔薇夫人」
 「団鬼六・花嫁人形」
 「桃尻娘・ピンクヒップガール」

 「イブちゃん」とか「双子座の女」なら、まだ良いでしょう。しかし、もし「白衣縄奴隷」とか「制服処女」とかが採用されていたら……。

 「30年ぶりに『白衣縄奴隷』の正体が明らかになりました」

 

 「『制服処女』だったのは、当時の警視庁副長官でした」

 

 などとアナウンサーは言うことになるのでしょうか? やはりアナウンサーは、かなり複雑な気持ちになるのではないでしょうか? そのあたり「Deep Throat」については、いったいどういう事情になっているのでしょう? (1)の意味はもはや完全に消えており、何の抵抗もなく、(2)の意味で口にすることができるのでしょうか? 英語表現のニュアンスに弱い私には、分かりません。ご存知の方は、お教えください。(細田雅大)

スネークヘッド、NYへ

05年08月11日

 子供の頃、アメリカのルアー釣りに憧れました。ピカピカと派手なルアー(疑似餌)を使い、豪快にブラックバス(オオクチバス)を釣るアメリカ人の写真が、釣り雑誌に載っていたのです。当時、私の住んでいた島根県にブラックバスはいませんでした。日本でブラックバスを釣るには、関東地方の芦ノ湖とか河口湖に行かないと駄目だったのです。自分には手の届かない対象として、ブラックバスという魚に強く引きつけられました。

 島根県にブラックバスはいませんでしたが、でも、あのピカピカしたルアー釣りはしてみたい。そう思った私は(と言うより、釣り好きの島根の少年全員は)雷魚を釣ることになりました。これはアジア原産の魚で、英語名をスネークヘッドと言います。名前の通り、ヘビそっくりの頭をしています。私が最初にルアーで釣った魚は、78cmの雷魚でした。中学生の時です。家の近くの小さな溜め池で釣ったのですが、あの時の感動は今でも忘れられません。

 それから数年して、島根県にブラックバスが入ってきました。「ブラックバスは、在来のほかの魚を食い荒らし、生態系を変えてしまう」という「ブラックバス害魚論」が叫ばれるようになりました。そして、ブラックバスが急激に日本全土に広まったのは、釣り人か、あるいはどこかの組織が、密かに放流したからだと言われました。

 それからブルーギルも入ってきました。ブラックバスと同様、これも北米が原産の魚です。その後、東京に出ていった私が帰省した折、78cmの雷魚を釣った溜め池で釣りをすると、もうブルーギルしか釣れなくなっていたことがあります。ブルーギルは他の魚の卵を食べますから、「きっと雷魚は全滅したのだ」と思い、複雑な心境になったものです。

 そして私は今、ブラックバスとブルーギルの国、アメリカにいます。ですから今週、「スネークヘッド、NYの湖で発見」という報道に接した時、妙に感慨深いものがありました。「おお! 何かと生きづらくなった日本を脱出し、お前もアメリカに来たのかい? でも、アメリカもけっこう大変だよ。一緒に頑張ろうな」と感じたからです。

 というのは半分冗談ですが、なかなか興味深い事件ですので、紹介したいと思います。ニューヨーク・タイムズによれば、スネークヘッドが発見されたのは、ニューヨーク市クイーンズのフラッシング・メドウズ・コロナ・パークにある湖です。先月、生物学者が網を投げたところ、「71cmのモンスターサイズを含む5匹」が捕まったとのこと。

 「スネークヘッドは、空気呼吸をし、ヒレを使って歩き、目の前を通る生物をすべて食うと言われる」「スネークヘッドは、無駄のない追跡マシーンであり、その歯は鋭く、追尾に適した魚雷のような体をしていて、他の魚をすべて食い荒らすほど食欲が凄まじい」「スネークヘッドは、醜く、奇妙で、正真正銘、悪魔のようだ」と紹介されています。釣り上げて、じっくり見てみると、つぶらな瞳をしていて可愛いんですけどね。この記事を書いた記者は、おそらく写真でしか見たことがないのでしょう。

 それはともかく、ここでもまた、誰かが密放流した可能性が高いわけです。「ヒレを使って歩く」というのは伝説に過ぎませんから、スネークヘッドが自分でやって来たわけではありません。既に危機感を強めている当局は、外来生物(nonnative species)であるスネークヘッドが繁殖し、生態系に影響を与える前に、根絶しようとしています。湖に毒薬をまくことも考えているそうです。生態系は、ちょっと変化しただけで、人間が予想もできない意外な場所に悪影響が及んだりします。ですから、スネークヘッドは殺されるべきです。それは分かっていますが、心の片隅では、「何とか生き延びてくれ」とも思います。だって悪いのは、魚ではなくて、放流した人間なのですから。

 「スネークヘッドってどんな魚?」という方は、メリーランド州のサイトへ行ってみてください。実は数年前、メリーランド州でもスネークヘッドが発見され、駆除が行われたのです。(細田雅大)

シンディ・シーハン

05年08月24日

 シンディ・シーハンさんの動静から目が離せません。陸軍の技術兵だったシーハンさんの息子は、昨年4月、イラクで武装勢力の攻撃に遭い、死亡しました。そして今年8月6日から、シーハンさんは、テキサス州の大統領私邸そばにキャンプを張り、ブッシュ大統領との面会を求め始めたのです。大統領は私邸で5週間の休暇を取っています。「自分の息子は何のために死んだのか。大統領に直接会って理由を聞きたい」というのが、シーハンさんの主張でした。

 最初にこの報道を耳にした時、私は「頑張れシーハンさん」と思いました。大統領は公式の席では「戦死者は高貴な目的のために身をささげた」と語っています。しかし、不特定多数が対象のこうした抽象的なスピーチでは納得できない親がいるのは当然です。私には子供がいないので分かりませんが、我が子が死んでしまった親が「責任者から直接話を聞きたい」と思うのは真っ当なことだと思います。

 「愛する息子が死んだ。しかし、死ぬことになった理由が、私にはよく分からない。納得できないので、責任者から直接話を聞きたい」

 甘いかもしれませんが、私の考えでは、これだけで十分立派な行動の動機になると思います。ですから私は「シーハンさん頑張れ」と思ったのです。

 しかしその後、報道によると、シーハンさんの主張は少し重点が変わりつつあるようです。つまりシーハンさんは、「イラクからの米軍の撤退」を要求し、「撤退を求めて活動を続けている」と紹介されることが多くなっているのです。

 そして8月23日、ブッシュ大統領は、シーハンさんの「イラクからの米軍撤退」要求を批判しました。「彼女の意見には反対だ。今イラクから撤退することは誤りである。米国を弱くしてしまうことになる」と大統領は語ったのです。

 シーハンさんが一番に願っていることは、イラクからの米軍の撤退ではなく、やはり、息子の死の理由を確認するため大統領に直接会うことだと思います。しかし、そうしたシーハンさんの心情や行動を批判する人たちも、もちろん多いのです。「シンディ・シーハンは国賊」「ほかにも息子を失った親はいる」などといった批判があるわけです。

 「イラクからの米軍撤退」要求が報道の前面に出るようになったのは、こうした批判を和らげるためなのかもしれないという気もします。「イラクからの米軍撤退」を訴えれば、「ほかにも息子を失った親はいて、誰もがその悲しみをこらえているのに、シーハンは自分勝手過ぎる」という批判の矛先を多少はかわすことができます。

 しかし、「イラクからの米軍撤退」要求が前面に出るようになった結果、ブッシュ大統領が反応し、新聞の紙面では、大統領とシーハンさんの「対話」が行われているような錯覚が生まれています。私はこれが非常に残念です。ヤキモキしてしまいます。

 既に書いた通り、「責任者から直接話を聞きたい」という動機だけで十分だと思うのです。シーハンさんには、どうか批判に負けず、そして周囲の支援者が語る高邁(こうまい)な目的にも過度に惑わされず、自信を持って「とにかく大統領に会いたい」と言い続けてもらいたいです。そして大統領には、シーハンさんの前に出てきてもらいたいです。彼は「思いやりのある保守主義(Compassionate Conservatism)」を唱えて、大統領になったはずです。息子の死が納得できない母親と会って話すのは、最高の思いやりではないでしょうか。(細田雅大)

肥満した一般人を出すべき

05年09月14日

 9月14日のニューヨーク・タイムズに、元横綱武蔵丸が登場しました。国連の世界食糧計画(World Food Programme)の広告です。

 武蔵丸は土俵上で蹲踞(そんきょ)の姿勢を取っています。蹲踞とは、立ち会う前に腰を下ろし、対戦相手に向かい合う姿勢のことです。武蔵丸は、白人の小さな子供力士と向かい合っています。両者の体の大きさの違いは一目瞭然です。巨象と子犬という感じです。そして、武蔵丸と子供力士の間には、白いご飯の入ったお椀が置かれ、広告には以下のような文章が組み込まれています。

 <ニューヨーク市に170カ国の首脳が集まる今日、私たちの誰もが同じ疑問を抱いています>

 <誰が先に食べるべき?>

 <地球上の10億人が食べ過ぎています。その一方で、毎年、600万人の子供が飢えのため静かに死んでいくのです>

 これは、14日に行われる国連総会特別首脳会合に合わせて出された「飢餓に苦しむ子供を救おう」という意図の広告です。子供が飢えて死んでいくような状況は、一刻も早く改善されるべきだと私も思います。しかし、この広告に関しては違和感が拭えません。たしかに武蔵丸は肥満しているのでしょう。昔と比べて、力士たちの体重は明らかに増加しています。肥満に伴う健康問題を抱えた明らかに太り過ぎの力士も大勢います。

 しかし、基本的に武蔵丸は、相撲という競技に勝つために肥満しているのです。聞くところによると、戦後、食料が乏しかった時代に力士の体を大きくするのに役立った特別な食事法が、今でも採用されているそうです。そのため、肥満力士が続出しているという状況があるようです。しかし、基本的には、勝つために体を大きくしているのです。

 つまらないことだと我ながら思いますが、私はこの広告を作った人に対し、抗議したい気分です。「過度に肥満した人物を使いたいのなら、ただただ食べ続け、無駄に肥満している一般のアメリカ人を使いなさいよ」と意地悪なことを言いたくなります。(細田雅大)

NYのシンディ・シーハン

05年09月23日

 ニューヨークにやって来たシンディ・シーハンさんを見るため、9月19日、マンハッタン112丁目のセント・ジョン・ディバイン大聖堂まで行ってきました。「息子はなぜイラクで死ぬことになったのか。ブッシュ大統領に直接会って話を聞きたい」と宣言し、8月6日からテキサス州の大統領私邸そばにキャンプを張って粘ったシーハンさんです。

 当時、大統領は長期の休暇中でした。しかしその後、ハリケーン「カトリーナ」が南部を襲い、ニューオーリンズを中心に大変な被害がもたらされました。ブッシュ大統領は休暇を早めに切り上げ、連邦政府による救助活動の遅れが非難される中、自ら前面に立って「カトリーナ」被害への対応に乗り出したのです。

 そのため、メディアからしばらくシーハンさんの情報が消えました。「今、彼女は何をしているのだろう」と思っていたところ、「シーハンさんニューヨークへ」という知らせが届いたのです。シーハンさんとその一行は、「Bring Them Home Now Bus Tour」(兵士たちを家へ戻そうバス・ツアー)と銘打ち、全米を移動しながら、反戦を訴え始めたようです。その一環として、彼女はニューヨークにやって来たのです。

 セント・ジョン・ディバイン大聖堂の前の路上では、バッジやTシャツを売る露店が出ていました。だいたいバッジが3ドルで、Tシャツが10ドルです。バッジやTシャツには「Cindy Sheehan Speaks for Me」(シーハンは私の言いたいことを言ってくれる)といったスローガンが書かれています「Imagine Peace, John Lennon」とか「The important thing is not stop asking questions, Albert Einstein」など、著名人の言葉を引用したものもありました。

 白人の中年男性が一人、黄色いTシャツを配っていました。胸に赤字で「I SUPPORT CINDY SHEEHAN」と書かれています。私も1枚もらい、肩にかけていると、「今着て欲しいんだ」と男性は言います。ですから私は、黄色に赤という派手な姿で取材をすることになりました。

 例の「9.11陰謀説」を唱えるグループも現れて盛大に活動しているのには、やはり少し驚きました。大聖堂の前で「THE BUSH REGIME ENGINEERED 9-11」というあの横断幕を広げています。彼らは毎年、9月11日になるとグラウンド・ゼロへ行き、「中枢同時テロはブッシュ政権が仕組んだもの」という持論を熱狂的に語るのです。グループの主要メンバーは、大聖堂の中にも入り込んでいました。誰でもフリーパスで入場できる催しなのです。今週末、シーハンさんとともにワシントンDCへ行き、政府批判の大きな集会を開こうとしているグループに混じって、陰謀説グループも自分たちのチラシやDVDを配っていました。

 シーハンさんが入場すると、拍手がわき上がりました。カメラマンがシーハンさんに殺到します。私もその1人です。シーハンさんは穏やかに微笑み、周囲の支援者と握手したり、抱き合ったりしています。そして集会が始まりました。子供を戦場で失った親や元軍人が壇上に立ち、自らが体験した悲劇を語り、戦争反対のアピールをしていきます。それからシーハンさんの登場です。シーハンさんの声は、演説調の大声ではありませんでした。冗談も交えたりしながら、力の抜けた軽やかな声で語ります。

 「大統領邸そばでキャンプをしていた時、近づいてきた車の運転手から『Get a job!』と怒鳴られたことがあります。私は『仕事ならあります』と言いました。『フルタイムの仕事です。ブッシュ大統領に(戦争の理由を)きちんと説明させる、という仕事なんです』」

 「ブッシュ大統領はリーダーではありません。カトリーナがもたらした被害への対応を見れば分かります。彼はニューオーリンズの貧しい黒人層を気にかけていないのです。この国は私たちのものです。私たちが大統領を雇っているのです。彼は私たちのために働かないといけません」

 シーハンさんは、連邦政府による「カトリーナ」被害への対応の遅れまでも非難しました。それは間違ってはいません。しかし、このように「攻撃範囲」を拡大していくことは、私には良い戦略だとは思えませんでした。彼女は「攻撃対象」も広げています。ニューヨーク入りしたとたん、「ブッシュのイラク侵略に反対しなかった」という理由で、ヒラリー・クリントン上院議員の行動も批判したのです。

 このままでは彼女の運動は、そのほかの一般的な反政府・反政治家運動に埋没してしまい、結局は効力を失っていくような気がします。しばらく前に本欄で書いた通り、「とにかく大統領に会って息子が死んだ理由を聞きたいんだ」とだけ言い続ける「一点集中攻撃」の方が効果的だと思うのです。(細田雅大)

レイプはデマだった

05年09月30日

 ハリケーン・カトリーナに襲われ、堤防が決壊し、無法地帯になってしまったニューオーリンズ。避難先となったスーパードームやコンヴェンション・センターには、電気も水も、そして警察官の姿もなく、強盗、レイプ、殺人が相次いでいると報道されました。勝手の分からない観光客がホテルを出てみると、物陰に潜んでいたギャングに襲われ、暴力の餌食にされたという話も伝えられました。

 こうした報道に接するたび、私は胸が引き裂かれる思いでしたが、9月29日のニューヨーク・タイムズに「暴力事件のほとんどは噂に過ぎず、実際には起きていなかった」と伝える記事「Fear Exceeded Crime's Reality in New Orleans」が掲載されました。実は今、その記事を読み終えたばかりです。とても嬉しく、そしてほっとしたので、ぜひ皆さんにもお伝えしたいと思い、これを書いています。

 例えば、ニューオーリンズ市警のエドウィン・コンパス署長は9月1日、「施設内で暴行やレイプが横行している。観光客が施設に立ち寄って、暴徒のえじきになっている」と語りました。日本のメディアでも紹介された発言です。このコンパス署長、火曜日に辞任しています。辞任理由は不明です。「大規模略奪を阻止できなかった引責辞任」と考えられていますが、ニューオーリンズの地元紙が、当時の署長の発言の根拠を疑問視する記事を掲載した直後の辞任になりました。署長の発言に脅え慎重になったため、各団体の救援活動が遅れた面もありますから、責任は重大です。

 ニューヨーク・タイムズも先週、独自にコンパス署長にインタビューしています。その時に署長は、自分が語った発言の一部が事実ではなかったことを認め、「殺人事件が起きたという報告は1件もないし、レイプや性的暴行に関する報告も1件もない」と語っています。

 スーパードームが避難所となった6日間、ニューオーリンズ市警で性犯罪を担当するデイヴィッド・ベネリ警部補は、ドーム内にずっと詰めていたそうです。そして「レイプ事件が起きている」と耳にするたびに、スタッフと一緒に調査しました。その結果、性的暴行未遂での逮捕こそ2件ありましたが、それ以外はすべてデマだったそうです。ベネリ警部補はこう言っています。「都市伝説みたいなものです。水もなく、電気もなく、情報もない一つ屋根の下に2万5000人がいたんですから。いろいろ噂話が出てくるんですよ」(細田雅大)

ロシア系住民は、いつまで泳ぐ?

05年11月08日

 今年も11月がやってきました。この月、私の週末は、グッと忙しくなります。魚釣りのベスト・シーズンだからです。私がやるのは「陸(おか)っぱり」という釣りです。釣り船に乗って沖まで出るのではなく、砂浜や堤防へ行き、陸から釣るのです。11月になると、大型のストライプド・バス(ストライパー)やブルーフィッシュが接岸してきます。陸から「えいやっ!」とルアー(疑似餌)を投げて届くところまで、大型魚が近づいてくるわけです。

 今年、私がよく行っているのが、ブルックリンのブライトン・ビーチです。地下鉄Qに乗り、どんどん南へ向かいます。そして、ニューヨーク市民の憩いの砂浜、コニーアイランド駅の3駅手前、ブライトン・ビーチ駅で下車します。この駅の近辺は、大規模なロシア人コミュニティーです。ロシア語の看板が目につき、道行く人々はロシア語を話しています。

 2分ほど歩けば、すぐ目の前に大西洋。不揃いの岩で作られた突堤(jetty)やビーチには、釣り人の姿がちらほら見られます。

ビーチで釣る人たち

突堤で釣る人たち。足が滑ると危険なので気をつけよう

 私の場合、ビーチが、そして海が視界に入ったとたん、つい早足になり、時には駆け出したりもします。釣り人の習性ですね。飼い主が放ったボールを、ひどく嬉しそうに追いかけていく犬の姿を思い出します。

 「ハアハア」とあえぐ犬的な性急さで竿を出し、私は釣り始めます。しかし、なかなかすぐに釣れるものではありません。ところが先週、11月5日の土曜日は、すぐに釣れてしまいました。40cmほどの美しいストライプド・バスです。勢いに乗った私は、続けて2匹目もキャッチ。この2匹目は、突堤のほぼ先端、私のすぐ近くで釣っていたメキシコ系と思われる男性に贈呈しました。

これがストライプド・バスです。ストライパーとも呼ばれます。日本のスズキと似た種類です

 この男性、遠くから見た時は、釣りをしているとは思えませんでした。突堤の上で、ただのんびりしているのだと思ったのです。竿が見えなかったからです。しかし実は、スプレー缶に釣り糸をぐるぐる巻き、先端に針と餌を付け、腕を竿代わりにして投げ、釣ろうとしていたのです。

  でも、ちょっと釣れそうにありません。私は可哀想に思い、「これ欲しい?」と言って魚を渡しました。彼は小声で「ありがとう」と言い、大事そうに袋に入れ、すぐに釣りを止め、帰っていきました。彼は、晩のおかずを釣りに来ていたのかもしれません。ヒスパニック系の人々の中には、沿岸で釣った魚をよく食べる人が少なくないと聞きます。

 ここ数日のニューヨークは、摂氏20度前後のポカポカ陽気でした。Tシャツ1枚でも十分なくらいです。11月にしてはかなり温かい日でした。しかし、それでもやはり、ロシア系の住民が水着姿になって海に入り、気持ち良さそうに泳いでいるのには、驚きました。

 私は考えました。彼らは、なぜ泳いでいるのでしょう? 季節外れの温かさなので、たまたま今年は例外的に、11月になっても泳いでいるのでしょうか? それとも極寒の地ロシアからやって来た彼らは、もともと、寒い冬でも平気で泳ぐのでしょうか?

 日本の格闘技イベント「PRIDE」で活躍するロシア人選手の記事を読んだことがあります。ロシアでは彼らは、真冬でも屋外でよく泳ぎ、体を鍛えるのだそうです。ブライトン・ビーチのロシア系住民は果たしてどうなのでしょう。興味がありますので、しばらく通い、果たしていつ頃まで彼らは泳ぐのか確かめてみようと思います。

 釣り上げた魚は家に持って帰り、焼いて食べてしまいました。とても美味しかったのですが、皆さんはどうか慎重になってください。ニューヨーク州当局によると、ニューヨークの沿岸で採られた魚は汚染されている可能性があるのです。例えば、その昔、ジェネラル・エレクトリック社はハドソン川にPCB(ポリ塩化ビフェニール)という有害物質を垂れ流していました。そのため、今でもPCBは、ハドソン川の底に泥と一緒になって沈殿しており、魚の肉にPCBが含まれている可能性があるのです。

 怖い話です。そして、このことはあまり知られていないようです。釣った魚をよく食べるヒスパニック系の人々ですが、「自分が食べている魚の危険性を知っている人は多くない」という新聞記事を読んだことがあります。「汚染魚の可能性あり。むやみに食うべからず」というスペイン語の看板を、ニューヨーク州は釣り場に立てるべきではないか、とも思います。(細田雅大)

塩・コショウして、焼いて食べました。 美味しかったけれども、安全性に不安が...

ロシア系住民は、まだまだ泳ぐ

05年11月28日

 ブライトン・ビーチの釣りとロシア系住民の寒中水泳について、最初に報告したのが11月8日。それ以来、毎週末、ブライトン・ビーチに出かけています。そして毎回、水泳をしている住民を目撃しています。気温が華氏40度(摂氏4.4度)以下の時でも、彼らは平気で泳いでいるので驚きです。

 フード付きジャケットに手袋、ブーツを着用し、防寒対策の万全な釣り人のすぐ目の前で、泳いだりしています。もしかすると、ロシア系住民は、一年中泳ぐのかもしれません。

泳ぐおじさんの目の前をルアーが通過していきました...

 11月23日、翌日がサンクスギビングデーで休日ということもあり、仕事を終え、マンハッタンのオフィスを出た私は、ブライトン・ビーチへ直行しました。夜釣りをしたのです。ビーチに到着したのが、夜の9時過ぎ。ビーチにも、そして突堤(jetty)にも、目の届く範囲に釣り人の姿はありません。懐中電灯を使って、慎重に突堤上を移動しました。ゴツゴツした不揃いの岩ばかりなので、足を滑らせて転びでもしたら、大ケガをしかねません。

 冷たい風に吹かれながらルアー(疑似餌)を投げていると、後方のビーチから、叫び声が聞こえました。数人の男たちが、何か叫んでいます。何と言っているのか聴き取れません。英語なのかもしれませんし、もしかしたらロシア語なのかもしれません。あるいは、何語でもなかったのかもしれません。

 最初、彼らは私に向かって叫んでいるのだと思いました。「オヤジ狩り」や「ホームレス狩り」と同じような感じで、もしかすると「釣り人狩り」というものもあるのかも知れない、と私は思いました。ビーチには、彼らの姿しかありません。暗闇の中、一人で釣りをしていた私は、自分の想像におびえました。懐中電灯を消し、岩と岩の間に身体を隠し、様子をうかがったのです。

 しかし、どうやら彼らは、私のことなど気にしていないようです。波打ち際に立ち、海に向かって叫んでいます。安心した私は、釣りを再開しました。そして、ひときわ大きな叫び声が聞こえたので振り向くと、彼らがザブザブと海に入っていくところでした。

 叫び声は、寒中水泳をするための景気づけだったようです。おそらく華氏35度(摂氏1.6度)くらいだったのではないでしょうか。驚きです。毎年、正月にはコニーアイランドで寒中水泳大会が開かれるのですが、その練習だったのかもしれません。

 彼らがいなくなると、入れ替わりに、2つの人影が現れました。どこかチョコマカとした動きの2人組みです。ビーチを移動している時と変わらないように見えるスピードで、ゴツゴツした岩から岩へと突堤上を移動し、近づいてきました。懐中電灯は使っていません。突堤のどこをどう歩けばいいか分かっているようです。中国系の2人組みで、釣り竿を持っています。どうやら常連のようで、そのうちの1人は、数日前の夜にも見かけたことがありました。

 「ハイ」
 「ハイ」
 「釣れた?」
 「釣れた」

 という最小限の挨拶を私と交わすと、2人は、私のいる場所を越え、突堤の先端にまで行ってしまいました。昼間、彼らを見かけたことはありません。夜にだけやって来るのでしょうか。時刻は11時を過ぎていました。満潮が近づき、釣りには最適な時間帯を迎えつつあります。すでに3匹釣っていた私は、帰ることにしました。風はますます強く、そして冷たくなっています。突堤の先端に顔を向け、「グッドラック!」と叫ぶと、くせのある発音で「オーケー。オーケー」と返ってきました。こんな時間に釣りをするのは私だけだろうと思っていましたが、上には上がいたわけです。昼間には会えない人に会えそうな気がするので、また夜に出かけてみるつもりです。(細田雅大)

突堤の先端で釣る中国系の釣り人。とても慣れた様子でした

こんなものにも車輪が付く

05年12月01日

 先日、マンハッタンの五番街、23丁目あたりを歩いていた時のことです。妙なバンが、歩道ぎりぎりに駐車されているのに気づきました。「Caravan」という文字が車体にたくさん印刷されています。開きっぱなしの乗車口には服がハンガーで吊り下げられ、中に入ってみると、男性が一人働いています。車内にもたくさんの服が置いてあります。このバンは、移動する服屋だったのです。

 乗車口のそばには、ニューヨーク・タイムズの切り抜きが貼られています。2005年6月16日に掲載された紹介記事でした。「車輪の付いたブティック“キャラバン”は、あなたのそばのストリートまでファッションをお届けします」とあります。興味を引かれた私は、ビジネスカードをもらってきました。

 ウェブサイトで調べてみると、この“キャラバン”、今年6月のデビュー以来、いろいろなメディアで紹介されています。どうやら話題のビジネスのようです。ですから、既にご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。予約をすれば、指定の場所に来てくれるそうですから、パーティーの新しい余興としても人気があるとのこと。ウェブサイトを見れば、ニューヨーク市のどこに車を停めて商売するか、明日の予定も分かります。「店舗と違って、家賃を払わなくていいから、経済的だろうな」「いろいろな場所に店を出せるわけだから、店員もあきないだろうし」と私は思い、感心しました。

 しかし、この「車輪の付いた何々」に関しては、服屋よりももっと面白いものを、この夏に目撃しています。むしろ、そちらを紹介したいのです。

 約4カ月前の7月17日、日曜日のことでした。私のアパートが面するブルックリンのフラットブッシュ・アベニューで、ストリート・フェアが開かれたのです。ストリート・フェアとは文字通り、路上で行うお祭りのことです。屋台が出て、焼きトウモロコシなど食べ物が売られたり、ステージが作られて、地元の老若男女がレゲエやヒップホップを披露したりと、時々雨の降るあいにくの天気でしたが、たいへん楽しいお祭りでした。

フラットブッシュのストリート・フェア

こんなに可愛い子供なのに、歌は本格的

 このお祭りになんと、「車輪の付いた遊園地」が出現したのです。いや、「遊園地」というのは言い過ぎですね。何と言ってもこの遊園地には、乗り物が一つしかないのですから。調べてみるとこれは、Aardvark Amusementsという会社が提供する、どうやら「Half Moon」という乗り物のようです。

 子供たちが、大きなカゴ状の乗り物に腰を下ろします。カゴは、ブランコと同じ要領で前後に揺れ始め、どんどん加速していき、ついには一回転してしまいそうな高さにまで達し、子供たちを大喜びさせる、という仕組みです。同社のウェブサイトによると、350ドルで2時間レンタルできるようです。

 子供たちは本当に楽しそうでしたので、見ている私も楽しくなりました。ファッションにまったく興味がない私は、もしパーティーで「車輪の付いた何々」をレンタルすることになったら、この「Half Moon」にしたいと思います。(細田雅大)

スティグマとの闘い

05年12月02日

 12月1日のニューヨーク・タイムズに小冊子が入っていました。縦25センチ横20センチほどの大きさで、黒い背景に紅白の大きな文字で「WE ALL HAVE AIDS」と印刷されています。「WE ALL HAVE」が白、「AIDS」が赤です。なかなかインパクトがあります。表紙をめくると、同じように黒い背景に白い文字で「IF ONE OF US DOES」と印刷されている面が現れました。日本語に訳せば「私たちの誰か一人がエイズにかかっているのならば、私たち全員がエイズなのです」となります。

ニューヨーク・タイムズに、こんな小冊子がはさまっていました

表紙をめくると……

 12月1日は国際エイズデーです。このパンフレットは、この日に合わせて始まった啓蒙キャンペーンの一環でした。パンフレットは三つに折られています。表紙をめくり、そして「IF ONE OF US DOES」の面をめくると、白黒で撮影された有名人たちがずらりと現れました。ウィル・スミス、エルトン・ジョン、ネルソン・マンデラ、アリシア・キーズ、トム・ハンクス……。そうそうたるメンバーです。彼らは「エイズ活動家(AIDS Activists)」として紹介されています。今回のキャンペーンのために一肌脱いでいるわけです。

 実は、このパンフレットを見つけた時の私は、ただ「新しいエイズのキャンペーンだ」と思っただけでした。HIVとエイズに関する基本的な情報はいちおう押さえているつもりの私は、「アメリカでは以前の危機感が薄れつつあり、若者の間でHIV感染が再び増加中」といったような事情は知っていますが、特に深く考えることはなかったのです。

 それからしばらくして、仕事の手を休め、オフィスそばのブライアント・パークまで散歩しました。今年からアイススケートのリンクができ、ホリデーシーズンに合わせた小さなお店もたくさん出ているブライアント・パークは今、とてもにぎわっています。

 公園内に、ひときわ変わった建物を見つけました。全面が鏡張りで、周囲の風景が映し出されています。中をくぐって反対側に出ることができます。中に入った私は、「WE ALL HAVE AIDS」キャンペーンの展示物であることに気づきました。パンフレットと同じ有名人たちの白黒写真が貼られ、そして、彼ら一人一人の足型が設置されています。

鏡張りの建物の中に入ると...

有名人の足型が並んでいます

 「エイズについて啓蒙するのになぜ足型なのか?」という疑問とともに、このキャンペーンに対する興味が湧いてきた私は、オフィスに帰ってパンフレットを見直し、キャンペーンのウェブサイトをのぞいてみました。そこには、キャンペーンの目的、各エイズ活動家の略歴、HIVとエイズに関する基本情報などがまとめられていました(しかし「なぜ足型なのか?」は、よく分かりませんでした)。

 そして私は「WEAR THE T-SHIRT, FIGHT THE STIGMA」という標語を見つけたのです。「Tシャツを着て、スティグマと闘おう」という意味です。スティグマというのは難しい言葉です。辞書を引くと、「汚名、恥辱」「(奴隷や囚人に押した)焼印」「(欠陥・病気の)徴候、症状」「目立たせるための記号」といった意味があります。

 ウェブサイトでは2種類のTシャツが売られています。二つとも白いシャツで、胸に文字が印刷されています。まず「WE ALL HAVE AIDS」。そしてもう一つは「I HAVE AIDS」でした。「WE ALL HAVE AIDS」の方は着てもいいけれど、「I HAVE AIDS」の方はちょっと着れないなあ、と私は思いました。そして、その直後、少し衝撃を感じました。「もしかしたら、これがスティグマなのか」と思ったのです。「I HAVE AIDS」Tシャツを着れないということは、つまり私がエイズをスティグマとして見ているからではないか、と思ったのです。

 この話を知人にしたところ「それは普通の反応」と言われました。「空気感染はしないとはいえ、エイズは体液の交換によって感染してしまう病気。感染症には違いないのだから、誰だって、そのTシャツを着るのには抵抗があるはず」という考えです。その通りだと思います。しかし、何となくシックリきません。「I HAVE AIDS」Tシャツを見た瞬間、即座に「これは着れない」と思ってしまった私は、本当のところHIVとエイズについてどう思っているのでしょうか。そしてスティグマとはなんなのでしょうか。しばらく考え続けていますが、分かりません。(細田雅大)

スト突入で、通勤2時間

05年12月20日

 ニューヨークの公共交通機関MTAが、今日からストに突入しました。約25年ぶりの全面ストだそうです。地下鉄もバスも運行しません。通勤・通学の手段が奪われます。会社や学校を休める人はいいのですが、休めない人はどうしましょう? 何とかしないといけません。そこで私は、歩くことにしました。

 私のアパートは、ブルックリンのプロスペクト・パークのすぐ横、フラットブッシュ地区にあります。マンハッタン42丁目のオフィスまでは、調べてみると約7.9マイルありました。約12.7キロです。歩いたら、2時間30分くらいではないか。私はそう予想し、朝8時30分に家を出ました。

 まずは、最寄り駅であるプロスペクト・パーク駅に立ち寄りました。駅の中に入ることができ、そして駅員がいたりした場合、ちょっと話でも聞かせてもらおうかと思ったわけです。しかし、残念ながら駅は封鎖されていました。黄色いテープが貼られ、「Closed」というサインが出ています。

駅には「Closed」というサインがかけられていました

 テレビもラジオも持っていない、つまりストについて全く知らない外国人を装って、「私はストの話など聞いておらんよ! いったい、なぜストなどするのですか。困ります」と言って駅員を困らせ、どうなるか様子を見ようと思っていましたが、その計画もおじゃんです。私はフラットブッシュ・アヴェニューを黙々と北上していきました。マンハッタン方面の車線がものすごい渋滞です。

マンハッタン方面が渋滞のフラットブッシュ・アヴェニュー

 プロスペクト・パークの塀に、「STRIKE BREAK THE TAYLOR LAW」という落書きを発見しました。さて、テイラー法(TAYLOR LAW)とは何でしょうか。調べてみると、1967年に制定されたニューヨークの法律で、公共部門の労働者のストライキを禁じている内容なのだそうです。本来、MTAで働く人たちにはストライキ権が認められていないわけですね。

プロスペクト・パークの塀に書かれていた落書き。 「ストライキ テイラー法を破ろう」

 私は歩き続けました。歩くのは好きなので苦ではありません。でも寒い。気温は華氏22度(摂氏マイナス5.5度)です。帽子をかぶり、手袋をつけ、たっぷり着込んだ人ばかり歩いています。「ケネディー・フライド・チキン」という店の前を通りました。「これもKFCだ」と思うと、なぜかおかしくなりました。

ケネディー・フライド・チキン。こんど何か食べに行ってみます

 アトランティック・アヴェニュー駅のそばのビルから黒人男性が出てきて、陽気な声で「We can win this!」と歩行者に声をかけています。もしこの人がMTAの関係者だとした場合、意訳すると、「俺たちゃストをやって、金持ち連中に勝つんだぜ!」となるのでしょうか。ロング・アイランド・レイルロード(LIRR)の駅入り口には、長い行列ができています。LIRRは動いているので、これに乗ってマンハッタンのペン・ステーションとかまで行く人がいるのです。

ロング・アイランド・レイルロードの入り口近辺は大混雑でした

 ちょうど1時間ほどで、マンハッタン・ブリッジに到着しました。橋のふもとに、ヒッチハイクしようとしている男性がいました。渋滞を避けるため、マンハッタンに入ってくる車には4人以上の乗車が義務づけられています。4人確保するのは簡単ではないでしょうから、「誰かオレの車に乗らない?」と、車の窓を開けて歩行者に声をかけている運転手もいます。しかし、私にはまったく声をかけず、女性にだけ声をかけるのは、何か魂胆でもあるのでしょうか。

マンハッタンまで乗せていってもらおうとする男性

びゅうびゅう風が吹いて寒かったマンハッタン・ブリッジ

 20分かけて向こう岸、つまりマンハッタンに渡り、後は、特になんということもなくオフィスに着きました。所要時間はぴったり2時間。私は爽快な気分で、「たまには徒歩通勤もいいもんだな」と思いました。しかし、よく考えると、帰りもまた2時間歩かないといけないわけです。そして、今日中にストが終わるとは限りません。報道によると今回は、3~7日続くのではないかとのこと。1980年に起きた前回のストは、11日間も続いたそうです。明日は私も、ヒッチハイクに挑戦するかもしれません。(細田雅大)

スト3日目

05年12月22日

 MTAがストに突入して3日目。今朝もまた、徒歩通勤をしながら写真を撮りました。通勤は、行きも帰りもすべて徒歩を続けています。さすがに少々疲れてきました。

 さて、まずは下の写真を御覧ください。プロスペクト・パークの横、フラットブッシュ・アヴェニューを徐行しているバンです。バンの窓にはピンクの紙が貼られ、「Manhattan Brooklyn Express」と書かれています。

「Manhattan Brooklyn Express」。臨時の乗り合いバスです

 ストに乗じて、ひと儲けしようというわけですね。マンハッタン方面はいつも渋滞なので、バンはのろのろ進みます。歩いている人たちは、ピンクの紙を見て、運転手に声をかけ、値段などを交渉します。ブルックリンでは、こうしたバンが何台も走っています。マンハッタン・ブリッジのたもとで見たバンには「Fare 2$」という張り紙がありました。良心的な運賃ではないかと思います。

 下の写真は、ブルックリンのBergen Street駅の入り口です。黄色いテープが破られています。誰か駅構内に侵入したのかも知れません。実は昨夜10時頃、マンハッタン・ブリッジを渡りブルックリンに戻ってきた私は、DeKalb Avenue駅の入り口から、3人の若者が出てくるのを目撃しました。MTAの職員には見えませんでした。そして、3人から少し離れて、警官も出てきました。この3人は、好奇心に駆られ、つい駅構内に侵入してしまい、構内かどこかにいた警官に注意されたのではないかと思います。

駅の入り口にあった黄色いテープが切られています

 私もちょっと侵入してみたい気がしますが、厳しい警官に見つかって違反切符を切られたりするのは嫌ですし、今、駅構内には誰が潜んでいるか分かりませんから、自重(じちょう)します。

 マンハッタン・ブリッジでは、歩行者通路に置かれているゴミ箱が倒されていました。ストも3日目ともなれば、物珍しさは既に消え、ただ疲労と不満だけが募り、誰かが蹴り倒してしまったのかもしれません。

マンハッタン・ブリッジでは、ゴミ箱が倒されていました

「(ストを始めちゃったけど)怒らないでね!」と書いてあるのですが、なぜか撮影に失敗

 上の写真は、ライブハウスCBGBそばに立てかけられていた看板です。見事に撮影に失敗していますが、「Don't Be Mad! Support Working Families. TWU 100」と書かれていました。「(ストを始めちゃったけど)怒らないでね。働く家族を支援してください」というわけです。でも、怒っている人が多い気がします。「TWU 100」というのは今回のストを始めた労働組合の名称です。労使双方、早く妥協して欲しいと思います。(細田雅大)

こんなものにも車輪が付く2

05年12月23日

 昨夕、MTAのストが終わりましたが、昨晩はまだ電車が止まったままだったので、歩いて家に帰りました。「スト終了」とはいえ、いろいろ準備をしなければならず、すぐに電車は動かないわけです。これで3日連続の徒歩通勤となり、合わせて75キロ以上歩いたことになります。足がパンパンで、「足が棒になる」とはこのことか、と思いました。マンハッタンからブルックリンへ、一歩一歩踏みしめながら歩きました。翌朝から地下鉄が動くので、徒歩もこれが最後。ほっとすると同時に、やや寂しい気持ちにもなりました。

 マンハッタン・ブリッジを渡り、フラットブッシュ・アヴェニューをしばらく歩くと、角にあるレストランの灯りが煌煌(こうこう)と照らす交差点が出てきます。地元の人たちが集まって、おしゃべりをしているその交差点に、変わったバンが駐車していました。バンの側面には、大きなガラス窓があり、内部が丸見えです。内部は、床屋になっていました。移動するバーバーショップなのです。

移動するバーバーショップ

バンの中で散髪中

 ちょうどお客さんが一人いて、頭を刈ってもらっていました。運転席にいた男性に「ビジネス・カード(名刺)をください」と言うと、「名刺はないんだ」と男性は言って、ペンで連絡先を書いた紙を渡してくれました。

 「いつもこの近くで営業しているんですか?」
 「いや、呼ばれればどこにでも行くよ」

 この移動するバーバーショップの名前は「Barbers On Wheels」。ウェブサイトによると、「革命的な移動理髪サービス」を提供するBarbers On Wheelsは、3人以上のお客さんがいるところなら、どこにでも行くそうです。

 先日は、移動する服屋と移動する遊園地について書きましたが、今回は、移動する散髪屋です。最近よく、この「移動する●●●屋」を目撃していますので、私にも一つアイデアが浮かんでいます。

 移動する釣り具屋、というのはどうでしょうか。

 と言っても、ニューヨーク市で釣りをしている人にしかピンとこないかもしれません。日本と比べた場合、ここには釣具屋が少なく、そして品揃えも貧弱なのです。一人の釣り人として、いつも不満に思っていました。

 小さなバンに、日米の魅力的なルアーやそのほかの小物を積んで、ブライトン・ビーチやロッカウェイ・ビーチ、あるいはロングアイランドの遠くのビーチまで出かけます。釣り人を発見したら、「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。日米の名作ルアーを各種取り揃えております。寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」とテープを流しながら近づいていって商売し、同時に釣り人から釣果など情報を聞き出します。そして、次の釣り場へ移動し、商売をし、そこの釣り人に情報を伝えるわけです。

 これはかなり楽しそうです。書いているうちに、「雑誌の編集など辞めて、転職しようかしら」と一瞬、真剣に考えてしまいました。(細田雅大)

オノ・ヨーコの最新メッセージ

06年01月01日

 明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 いやあ年賀状って、書くのも、もらうのも、とても気持ちの良いものです。さて、さっそく本題に入ります。今日、オノ・ヨーコさんからの最新メッセージが届いたのです。

 これまでも何回かお伝えしてきましたが、2001年の中枢同時テロ直後から、新聞の広告やタイムズ・スクエアのビルボード(巨大看板)を使って、ほぼ1年に1回、オノさんは平和を促すメッセージを発信してきました。

 2006年元旦、彼女の最新メッセージが、ニューヨーク・タイムズに全面広告として掲載されていました。しかし、何とこれが、2001年9月23日、中枢同時テロの12日後に登場した全面広告とほとんど同じなのです。ページの真ん中に1行、ジョン・レノンの曲「Imagine」からの歌詞が引用されています。

 Imagine all the people living life in peace.

中枢同時テロ直後のメッセージと同じです

 前回と違うのは、いちばん下に小さい字で「Yoko Ono Lennon  New York City」と記名されていることだけのようです(前回はまったく記名がなく、いったい誰の仕業〔しわざ〕なのか、すぐには判明しませんでした)。

 以前にも書いた通り、私はオノ・ヨーコさんのこの一連の活動を評価しています。しかし一方で私は、次のようにも書いたのでした。

 「私はオノ・ヨーコのこうした活動を、高く評価しています。しかし、毎年毎年同じように繰り返していくうちに、2001年当時の斬新さは失われ始めているようにも思います。人々の意表を突いて発信するからこそ、彼女のメッセージには、それなりのショックや効果があったと思うのです。オノ・ヨーコのファンとしては、ぜひ来年こそ、私たちが再びアッと驚くような手法・場所で、メッセージを発信してほしいと思います」(04年12月29日のコラム「今年もオノ・ヨーコ」より引用)

 今回、たしかに私はアッと驚きました。しかしそれは、新しいアイデアに意表を突かれたからではなく、同じメッセージをほとんど同じように繰り返すという手法があったことに驚いたわけです。

 しばらく考えた私は、「これはオノさんからの年賀状なのだ」と思うことにしました。年賀状というものには、あまり斬新なことは書きません。「あけましておめでとう」「今年もよろしく」「謹賀新年」といった決まり文句を繰り返すだけです。だとすれば、今回のメッセージは、まさに年賀状。届いたのも元旦ですしね……。年賀状をもらうのは嬉しいのですが、でもやはり、ちょっと、さびしいかな。(細田雅大)

 追伸 実は12月29日のニューヨーク・タイムズが自宅に配達されず、しょうがないのでウェブサイトで記事を読んだのですが、ウェブサイトでは広告を見ることができません。もしかすると29日、オノさんが何らかのメッセージを発信していたかもしれません。何かご存知の方がいらっしゃれば、ぜひお知らせください。

立ち読みデビュー

06年02月28日

 ニューヨークに住むようになって5年がたちましたが、本屋の中に入ると、今でも不思議な気分になります。ですから、あらためて皆さんにもお尋ねしたいのです。いったいなぜニューヨークの本屋では、あんなにも、立ち読みが許されているのでしょうか。

 日本の本屋では、「立ち読み厳禁」「立ち読みしないでください」といった紙が壁に貼られていたりします。立ち読みできないように、透明なビニールで雑誌や本がくるまれていたりもしたはず。大人になるまでずっと、本屋と言えば日本の本屋しか知らなかった私は、いまだに違和感が拭えないのです。

 例えば大手チェーンのバーンズ&ノーブル書店。私が働くマンハッタンのミッドタウンにも、いくつか店舗があります。最寄り店の2階に行ってみました。小説のペーパーバックが並ぶコーナーがあります。五番街を見下ろす大窓に沿って、座り心地の良さそうな椅子がたくさん用意されています。

 お客さんは、好きな本を棚から取り、椅子に座り、誰に邪魔されることもなく読んでいます。店員は注意しません。はたきがパタパタふるわれることもなし。お客さんに、おどおどした様子は微塵(みじん)もありません。本屋ではなくて、まるで図書館のようです。数冊の本を、足下に置きっぱなしのお客さんもいます。

コーヒーを飲みながら何冊も。もし、こぼして汚したら、どうするのでしょう?

 紙コップのコーヒーを飲みながら読んでいる人もいます。2階にはスターバックスの店舗があるのです。正確に言うと、本屋の一角がそのままスターバックスになっています。ここにもお客さんは本を持ち込んで、テーブルに置き、のんびりと読んでいます。レポート用紙に何か書いている学生もいます。本をたくさん積み、時々読みながら、書いているのです。それらの本は、すべて売り物です。

 私はコーヒーを注文し(コーヒーは有料)、飲みながら観察してみます。売り場からたくさん雑誌や本を持ってきて、テーブルに積み、好きなところだけパラパラ読んだら、そのまま席を立った客がいました。残された本や雑誌は、バーンズ&ノーブルの従業員が、特に表情を変えることもなく回収し、元の棚に戻していくようです。

 いったい、なぜこんなことが許されているのでしょう。「本を買う前に、どんな内容なのか、ちょっとのぞいてみよう」というレベルではございません。私には分かりません。資本主義の国アメリカ。商品は、売って初めて商品。売らずに無料で読ませてどうする? これは盗みであるとも言えます。紙でできた本という物質こそ盗んではいませんが、そこに書かれている情報は盗んでいるわけです。

 ま、私は本屋関係者ではないので、そこまで熱くなる必要も義務もないわけですが、でも、分かりません。いったいなぜ立ち読みが許されているのか。許されているどころか、椅子まで用意されているのはなぜか。私は、かねてより読みたいと思っていたボブ・ディランの自伝「Chronicle Vol.1」を、棚から抜き取りました。私も実際に立ち読んでみれば、何か分かるのではないかと思ったのです。とはいえ、やはり抵抗感が強く、椅子に座ったりはできません。棚の前に立ち、そのまま読み始めました。まさに、立ち読みです。

 昼休み、あるいは仕事が終わった後、私はバーンズ&ノーブルへ通い、毎日少しずつ「Chronicles : Vol.1」を読み進めていきました。意味の分からない単語が出てきたら、適当に推測して、読み進めました。ふだんはそういう読み方はせず、一語一語しっかり辞書で調べますが、「立ち読みだから、まあいいや」と思ったのです。

 しかし、ある日、「この単語の意味は知っておかないといけない」と思わされる語にぶつかりました。とても重大な意味があるような気がしたのです。私は、2階から1階へ、そして地下階へ駆け下りました。地下階には辞書のコーナーがあります。私は、英英辞典を開いて単語の意味を調べると(大して重大な意味ではありませんでした)、2階へ戻り、続きを読みました。

 それ以来、2階と地下階をよく往復するようになりました。しばらくすると私は、2階から地下階へ「Chronicles : Vol.1」を持って下りて、もう2階には上がらず、地下階の英英辞典のそばで読むようになりました。

 そして約2週間がたちました。はっと気づくと私は、椅子に深々と腰を沈め、行儀悪く脚を投げ出したまま、本を読んでいるではありませんか! 店員が前を通っても、おどおどすることもなくなりました。それどころか、「集中できなくなるから、あんまり俺の前を通んなよ」と思ったりする始末。

 そして約1カ月がたちました。はっと気づくと私は、300ページ近くある「Chronicles : Vol.1」を読み終えているではありませんか!

 達成感に満たされ、「いや~面白い本だった。ボブ・ディランは、いろいろなことをよく覚えているんだねえ」という感想をもった私。ミイラ盗りがミイラになるとは、まさにこのことです。バーンズ&ノーブルさん、そしてディランさん、ごめんなさい。結局、なぜ立ち読みが許されているのかは分かりませんでした。こんど、本屋で働いている人に尋ねてみる予定です。(細田雅大)

立ち読みデビュー 追加リポート

06年02月29日

 さてさて、アメリカの本屋、例えば、大手のバーンズ&ノーブルでは、なぜかくも盛大に立ち読みが許されているのでしょうか? 椅子まで用意され、立ち読みが奨励されているのはなぜでしょう? やはり、どうしても気になりますので、バーンズ&ノーブルの店員さんに尋ねてきました。

 「あの、ちょっと質問があるのです……。と言っても、その質問は、本に関するものではなく、本屋に関する質問なのです」という、いきなりの変な問いかけに優しく応対してくれたのは、バーンズ&ノーブルで働くサリーさん。
 
 Q: 日本の書店では立ち読みは禁止なんですが、ここは大違いで、立ち読みが奨励されています。なぜなんでしょう?
 A: バーンズ&ノーブルのポリシーなんですよ。その本を本当に買うべきかどうか、しっかり確認してから判断して欲しいんですね。

 Q: でも中には、まったく買う気がない客もいるようですけど……。そのポリシーは効果的なんでしょうか?
 A: もちろん、中にはそんな人もいますし、本が傷んでしまうことだってあります。でも全体的には、効果を発揮しているんじゃないかしら。小さな書店の中には、立ち読みを禁止しているところもあるんですよ。

 Q: 日本の本屋には「立ち読み禁止」というような張り紙があり、客の立ち読みを妨害するため、はたきでパンパン叩く店員もいるんですよ。
 A: あら! 私だって、はたきが欲しくなる時がありますよ(笑)。

 Q: 私は実験をしたんです。1カ月前にボブ・ディランの自伝を読み始め、毎日通い、「さて、店員が何か話しかけてくるだろうか?」と思ったんですね。でも、あなたたち店員は何も話しかけてきませんでした! そして私は、本を読み終えてしまったんです。分からない単語があると辞典まで引き、じっくり読んだというのに! ちょっと罪の意識を感じています。
 A: その必要はまったくないですよ。フレンドリーな雰囲気にして、なるべく本に親しんで欲しいんですから。ここと日本の本屋さんと、どっちがお好きですか?

 と、逆に質問されてしまった私。「そりゃもちろん、ここの本屋ですよ」と即答し、「お金を払わなくていいんですから」と言いそうになったのをこらえ、「とてもフレンドリーですからね」と続けました。皆さん、安心して立ち読んでください。(細田雅大)

ビートルズから隠れるのは難しい

06年02月28日

 日曜日のニューヨーク・タイムズには「Modern Love」という欄があります。毎回、いろいろな執筆者が愛について書いています。でも私は、あまり読んだことがありませんでした。

 しかし「Now I Need a Place to Hide Away」というタイトルが付いている2月26日の「Modern Love」には、興味を引かれました。挿入されているイラストがビートルズをモチーフにしたものだったからです。執筆者は、私の知らないAnn Hoodという女性作家です。

 「ビートルズファンである娘の何が最高だったかと言えば、まだ5歳にもならないのに、もうジョンに恋していたこと」という太字の小見出しが目に飛び込んできました。

 あっさりした軽い話だろうと思って読み始めたら、これが実はそうではありませんでした。満員のスターバックスでコーヒーを飲みながら読んでいた私は、少し困ったことになりました。

 私は、読んだ勢いのまま、全文を訳してしまいました。訳してしまったからには、誰かに読ませたくなるのが人情。ですので私は、同僚や知り合いにメールで訳文を送りつけました。そして、「ここで止めておこう」といったんは思いました。でも、とてもとても良いエッセイです。翻訳権も何も持っていない一介の日本人読者が、勝手に訳し、ウェブサイトで公開していいわけがないと思いますが、皆さんにもぜひ読んでもらいたいと思い、公開させていただきます。(細田雅大)

孫の代わりに婆が行く1

06年04月20日

 今朝、チャイナタウンのすぐそばにあるマンハッタン刑事裁判所(Criminal Court)に行ってきました。59歳から91歳までのおばあちゃん18人が裁かれるのです。このおばあちゃんたちは「Granny Peace Brigade」という組織のメンバーです。直訳すると「おばば平和旅団」となります。さて、この18人、いったい何をしでかしたのでしょう。18人のうちの1人、ジョーン・ワイルさんがネットに手記を発表しています。かなり面白い内容ですので、一部をちょっと翻訳してみました。

 <おばあちゃんが刑事裁判所で裁かれるなんてこと、信じられるかしら? でも本当の話なの! それが今起きてることなのよ。4月20日、59歳から91歳までの(平均は72歳よ)18人のおばあちゃんが、マンハッタンの刑事裁判所で裁かれるの。罪状は、治安紊乱(びんらん)行為。>

 <私たちは「おばば平和旅団」と名乗っているのだけど、去年の10月17日、タイムズ・スクエアの新兵募集センターで軍隊に入ろうとして、騒動を起こしちゃったみたい。だから、裁判にかけられるの。「おばば平和旅団」の目的は、イラク占領の非道徳性、違法性、非良心的な破壊性に関心のない人たちに目を覚ましてもらうことなの。具体的には、イラクに派遣されている若い人たちの代わりにおばあちゃんたちが従軍して、私たちが満喫したような長い人生を若い人にも味わってほしいと思っているの。>

 <でも、新兵募集センターのドアは閉まっていたわ。どうやら誰もいないみたい。ベルを何回も鳴らしたけどドアは開かないのよ。一番年寄りのメアリーばあさん(当時90歳)なんか、杖でドアをがんがん叩いていたわ。でも、中には入れない。返事がないの。アンクル・サムは私たちを欲しがっていないんだと思い始めたわ。>

 <その時なの、軍服を着た若い男が、資料棚の裏からひょこっと現れたのよ。かと思ったら、すぐに隠れちゃったわ。どうやら怖がらせちゃったみたい。こんな怖いおばあちゃんたちを従軍させないなんて、馬鹿にもほどがあるわね。私たちならテロリストを震え上がらせてやれるのに!>

 そしておばあちゃんたちは、新兵募集センターのそばに座り込んだそうです。関節炎を患っていたり、人工の股関節に取り替えたりしている人ばかりなので、「地面に座る」という行為自体が難儀だったとのこと。おばあちゃんたちは「We Insist We Enlist」と連呼しました。軍隊に入りたいと要求したわけです。するとニューヨーク市警がやって来て「通行の妨げになるから解散しなさい」と告げました。

 18人のおばあちゃんは全員、「志村けん演じる耳の遠いおばあさん」と化し、「えー」「あー」「なんだい?」と言って、警官の声が聞こえない振りをしたため(この部分は私の空想です)、逮捕されてしまいました。

 さすがに高齢のおばあちゃんが相手だということもあり、また、ちょうどブルームバーグ市長の選挙期間中であって、老人虐待などと騒がれては困るのか、警官は優しくおばあちゃんたちを扱ったそうです。それでもおばあちゃんたちは、プラスティック製の手錠をはめられて連行されていきました。

 その裁判が今日行われるというので足を運んだのですが、傍聴希望者が多過ぎて、法廷はすし詰め状態。ついに係員から「席に着いていない人は退出してください」という指示が出されました。さっそく「Bigger Room! Bigger Room!」(もっと大きい法廷を用意しろ!)という連呼が始まりましたが、それも空しく、何人かは法廷の外へ出ざるを得ませんでした。裁判は長く続くことが予想されたので、休憩時間などに入れ替わって、代わる代わる傍聴することになったのです。

 ということで、私もいったんオフィスに帰りました。撮影した写真をダウンロードしたり、昼食を取ったりして、裁判所に戻ったのは午後2時過ぎ。

 おばあちゃんたちの裁判が行われている法廷に戻ってみると、出入り口で人だかりがしていました。ちょうど休憩中だったようです。私はさっそく人混みにまぎれ、法廷内に入りました。午前中よりはだいぶん人数が減っているので、楽に座れました。

 そして、おばあちゃんたちを逮捕した警官が、1人ずつ計3人、証人として呼び出され、尋問が始まりました。検察による主尋問と、被告側弁護士による反対尋問を繰り返すのです。そして、これがもう、無駄に長いわけです。

 「お巡りさん、あなたはその時、タイムズ・スクエアのどの場所に立っていましたか?」と警官に質問します。すると警官は地図を指差して「このへんです」と言います。

 「お巡りさん、ではその時、おばあちゃんたちはどこにいたんですか? 地図で示してください」
 
 「このへんです」

 「なるほど。では、その時、いちばん後ろにいたおばあちゃんが誰だったか、あなたは覚えていますか?」

 「(おばあちゃんの一人を指差して)青い服を着てあそこに座っているヤングレディーです」

 すると18人のおばあちゃんも、傍聴人も、警官も、私も、そして裁判長までが「あははは」と笑いました。

  「では、そのヤングレディーと、新兵募集センターのビルの間は、何フィート離れていましたか?」と、また質問です。

 「3フィートほどです」

 「それは、ビルの出入り口から3フィートなのですか? それともビルの壁から3フィートなのですか?」

 というようなことを延々と、1人ずつに尋ねていくのでした。ですので、4時を過ぎた頃にやっと、3人の尋問は終了しました。関係者一同、裁判長に呼ばれて何やら密談を始めたかと思ったら、「もう遅いので、続きは明日にします」との告知です。

 おばあちゃんたちも、さすがにお疲れのようでした。でも口々に「明日も頑張るわよ」などと語り、意気軒昂です。私ももちろん、頑張って傍聴したいと思います。(細田雅大)

孫の代わりに婆が行く2

06年04月22日

 21日の金曜日、「おばば平和旅団」18名の裁判の2日目が終わりました。この日も、おばあちゃんたちを逮捕した警官への主尋問と反対尋問に終始しました。どうやら、警官への尋問が1日目で終わり切らなかったので、本来は開廷予定のなかったこの日、特別に続きが行われたようです。

 この日は、午前中に3人、そして午後に1人の警官が登場しました。そして、どうやら警官への尋問はこれで終わりのようです。次は、24日(月)に裁判が開かれます。今度こそ、おばあちゃんたちが尋問されることになるのではないでしょうか。とうとう、彼女たちの声が聞けるのではないかと思います。

 今回の裁判の見所は、そこにあります。実はこの裁判が始まる前に、検察側は、司法取引(Plea Deal)をおばあちゃんたちに持ちかけています。「おばあちゃんたちが罪を認め、6カ月間おとなしく過ごすことに同意すれば、訴えを取り下げてもいい」と申し出たそうです。

 でも、このハードコアなおばあちゃんたちは、その申し出を却下しました。堂々と出るところへ出て、自分の考えを語る道を選んだわけです。もし有罪ということになれば、罰金250ドルを払い、15日間収監されることになるそうです。そして、おばあちゃんたちの弁護士は、18人全員に証言してもらう予定でいます。

 問題は、おばあちゃんたちが何を語ることができるかです。裁判の冒頭、検察側の弁護士は、次のように宣言しています。「これは、単純であり、何も複雑なところのない裁判です。これは、戦争に関する裁判ではありません。これは、治安紊乱(びんらん)行為に関する裁判なのです」

 当然ながら検察側は、「タイムズ・スクエアにいたおばあちゃんたちは、警官の指示を守ったのか」「そして警官の指示は、適切なものだったのか」だけを問題にしているわけです。この裁判は、そのために開かれているのです。

 しかし、もちろん、おばあちゃんたちは、本来言いたいことを、公の場でバンバン言いたいから、この場にいるわけです。つまり「イラク占領は間違い」「ブッシュは最悪の大統領」「偽りの理由で始まった戦争を止めよう」といった事柄です。

 果たしておばあちゃんたちは、そんなことが言えるのでしょうか? 裁判長は、彼女たちに自由な発言を許すのでしょうか? 裁判長は、彼女たちを制止するのではないでしょうか? 制止された時、おばあちゃんたちはどうするのでしょう? 非常に興味があります。続報をお待ちください。(細田雅大)

孫の代わりに婆が行く3

06年04月24日

 裁判3日目を傍聴してきました。いよいよ今日からおばあちゃんたちへの尋問が始まるのかと思いましたが、なんと検察側がまた、証人として警官を呼んでいました。

 初日に少なくとも3名、2日目に4名、そして今日は1名の警官が証人として呼ばれました。ですので、少なくとも8名の警官が18人のおばあちゃん逮捕に関わったことになります。「税金の無駄使い?」という気がします。

 裁判が始まったのは正午。例によって検察側と被告側双方の弁護士が、昨年10月17日のタイムズ・スクエアでの状況を詳細に尋ねていきました。私は眠気をこらえるのに必死です。

 警官への尋問がやっと終わると、裁判長が双方の弁護士を呼び寄せ、何事か相談です。そして裁判長は、法廷の全員に向けて話し始めました。しかし私には、その内容があまり理解できませんでした。法律の専門用語なのか、聞き慣れない単語がたくさんあるのです。この裁判には、陪審員は存在しません。ということは、裁判長が判決を出すのでしょうから、彼の発言はよく理解したいところなのですが……。

 裁判長の話が終わると、ランチ休憩を挟んで、ついにおばあちゃんたちの尋問が始まりました。18人のおばあちゃん全員が尋問される予定です。今日は3名のおばあちゃんが証言をしました。

 「お生まれはどこですか?」
 「ハーレム病院で生まれました。れっきとしたニューヨーク市民です」
 「お子さんはいますか?」
 「2人おります」
 「お孫さんはいますか?」
 「5人おります」
 「曾孫(ひまご)さんはいますか?」
 「3人おります」

 というやり取りで尋問が始まったのは、白人ばかりのおばあちゃんのうち、唯一の黒人であるヴァイニー・バロウズ・ハリソンさんです。と書いているからと言って、「黒人蔑視では?」などと勘ぐるのはやめてくださいね。ニューヨークでは、反戦運動や社会変革運動に積極的なのは、圧倒的に白人です。イラク開戦前夜のデモでも、2004年の共和党大会時のデモでも、私は実際に参加したから知っているのですが、人口全体の人種比率を大幅に超えて、白人の参加率が圧倒的に高かったのです。今回の裁判でも、この傾向が顕著なわけです。(注:4日目の傍聴の際に気づいたのですが、黒人のおばあちゃんはもう1人いらっしゃっいました。計2人のようです。)

 さて、検察側と被告側の尋問を相互に聞いているうち、徐々に検察側の戦略が明らかになってきました。今回、おばあちゃんたちは、治安紊乱(びんらん)行為に問われています。タイムズ・スクエアの新兵募集センターに座り込んでセンターへの進入路を塞いだとされ、その上で、警官の出した解散命令を拒否したため、逮捕されたわけです。この点を突いた検察側の戦略は、なかなか巧妙でした。

 「あなたたちは、18人の若者の代わりにイラクへ行くために、新兵募集センターへ向かったわけです。つまり、若者には兵士になってもらいたくないのですね?」
 「はい」
 「あなたたちが新兵募集センターへ行ったのは、自分たちが兵士になるためだけではなく、若者が兵士になるのを防ぐためだったわけですね?」

 これは、よく計算された質問です。もしこの質問に「はい」と答えた場合、おばあちゃんたちは、若者が兵士になるのを防ぐために、つまり一般人の希望を妨害するために新兵募集センターへ行ったことになります。妨害するのが目的だとしたら、センターへの進入路を塞いだのは、たまたま偶然だったのではなく、意図的な行為であったと考えてよくなります。意図的に一般人の交通を邪魔したわけです。だとしたら、警官の解散命令は妥当です。表現・集会の自由など、憲法で保障されている権利を踏みにじっていることにはならないわけです。

 さて、ヴァイニーばあさんは、この厄介な質問にどう答えたでしょうか?

 引退する前は女優をしていたという彼女は、どう見ても、曾孫がいる年齢には見えません。女優業で訓練されたためか、立ち居振る舞いも落ち着いていて、声もよく通ります。しばらく黙り込み、考えをまとめると、「いえ、この戦争が違法かつ非道徳的であることに人々の注意を向けるために、センターへ行ったのです」と答えたのでした。さすがは年の功です。だてに曾孫がいるわけではありませんね。

 「しかし、交通を妨害したのは罪だとは思いませんでしたか?」と検察側は追い打ちをかけてきます。するとヴァイニーばあさん、カチンと来たのか勢い込んで、「本当の罪というのは……」と語り出そうとしました。しかし、そこに裁判長が介入です。「ノー! ノー! ノー!」と大きな声でヴァイニーばあさんを遮り、「尋ねられた質問にだけ答えてください。それ以外の発言は認めません」と制止するのでした。

 ヴァイニーばあさんはおそらく、「本当の罪というのは、嘘をついて外国と戦争を始め、自分の血は流さないまま、罪のない若者の命を奪うことです」とか言いたかったのです。しかし法廷では、「交通を妨害したのは罪だとは思いませんでしたか?」と聞かれた場合、「思いました」あるいは「思いませんでした」としか答えてはならないわけです。

 このように裁判長は、時々、「ノー! ノー! ノー!」と叫んで介入しました。これではとても、おばあちゃんたちは自由に主義主張を述べられません。

 しかし、意外なほど単純な方法で、裁判長に介入させなかったおばあちゃんが現れました。

 最後に尋問されたメアリーばあさんです。一番の年寄りにして、おそらく一番の暴れん坊。杖をふるって新兵募集センターのドアをがんがん叩いたという91歳のおばあちゃんです。

 実は私は、このおばあちゃんに話しかけられています。2日目の裁判が終わって廊下に出た時、「婦人用トイレはどこかしら?」と聞かれたのです。私たちのいる階にトイレはありません。そこで、「一つ下の階です」と教えてあげると、メアリーばあさんは微笑みながら、「Oh, Hell」と言ったのでした。「ちくしょう」という意味です。それだけでなく、私はその後、新聞記者のインタビューを受けている彼女が、顔をふるふる震わせながら「Son of a Bitch!!」と叫んだところも目撃しています。おそらくブッシュ大統領のことを尋ねられたのではないかと思います。

 さて、尋問がメアリーばあさんの番になると、高齢を考慮してか、弁護士の口調もゆったりしたものになりました。まずは被告側の弁護士が尋ねます。

 「私の、言っていることが、しっかり、聞こえますか?」

 「So Far(今のところはね)」と答え、傍聴席に笑いをもたらすメアリーばあさん。しかし、係員がすぐに「静粛に!」と注意します。

 「あなたは、なぜ、新兵募集センターへ、行ったのですか?」

 「メッセージを伝えるためですよ。この戦争は、非道徳的で、違法で、早く終わらせるべきであって」と穏やかに答えていたメアリーばあさんですが、次の瞬間、いきなり凄い大声となり、

 「Cut It Out!!(早く止めちまえ)」と叫んだのでした。

 裁判長に「ノー! ノー! ノー!」と介入させる隙を与えません。いきなり興奮するのです。そして、次の瞬間にはもう穏やかな声に戻っています。

 「なぜ、新兵募集センターの入り口前に座り込んだのですか?」と、検察側の弁護士が尋ねた時も印象的でした。「若い人に兵士になってもらいたくないから」というような答えを、弁護士はメアリーばあさんに期待していたはずです。しかしメアリーばあさんは、

 「疲れたから」と言うのでした。

 弁護士が「それだけが理由じゃないでしょう?」と追求すると、

 「そうそう。座りましょう、と言われたから座ったのよ」と答えるのです。

 弁護士はさらに追求します。「警察の調書によると、その時、警官の一人が『このまま座り続けていたら逮捕しますよ』とあなたに言ったそうですが、覚えていますか?」

 メアリーばあさんは微笑みながら、「いいえ。今朝の出来事だって覚えていませんもの」と答えました。

 残りは15人。私もがんばって出来るだけ傍聴したいと思います。(細田雅大)

孫の代わりに婆が行く4

06年04月27日

 裁判の最終日を傍聴してきました。結果から先に言うと、18名のおばあちゃんは無罪放免です。

 ニール・ロス裁判長は「警察を批判するわけではない。警察には今後も十分なパトロールをして欲しい。そして、この判決はおばあちゃんたちの主張の是非をうんぬんするものでもない。ただ、おばあちゃんたちはセンターへの進入路を塞いでいなかった」と語り、無罪を言い渡しました。良かったと思います。

 そして、おばあちゃんたちの今後の反戦運動も楽しみです。おばあちゃんたちは、また新兵募集センターへ行くのでしょうか? 今度はどのように対応されるのでしょう? もしかすると、本当にイラクに行ってしまうのかもしれません。(細田雅大)

​追伸:2016年、反戦おばばについての特別コーナーを作りました。

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