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運命の事故

06年05月12日

 ヤンキース松井秀喜選手の手術が成功したそうで、何よりでした。

 特に、「WBC不参加」という彼の選択を批判し、WBCで日本が優勝したにも関わらず、その後も引き続き松井の悪口を言っていた人々の中には、強い罪悪感を感じ、「手術成功」と聞いて胸をなで下ろしている人が多いのではないでしょうか。

 WBC終了後もかなりの人が、ネット上で松井を罵っていたことが知られています。

 私なども、「金持ちに飼われる飼い犬」呼ばわりまでして散々に松井を批判したわけですが、日本が優勝した途端、すべてを水に流してしまいました(でも、松井を応援する気はなくなりました)。

 しかし、水に流さず、松井を批判し続けた人々がけっこういたわけです。

 そんな時に松井は大ケガをしました。

 私は、今回の事故は、ボブ・ディランの66年バイク事故、北野武の94年バイク事故に並ぶ、重要な事故ではないかと思います。

 「若者世代の代弁者」「フォークの神様」と祭り上げられ、実際の自分とは全く違う巨大化する一方のイメージに追いつめられていった66年当時のボブ・ディラン。

 絶頂を極めながら、公私にわたるプレッシャーに苦しめられ、「いかに死ぬか」というテーマが頭から離れなかった(それは事故前に監督したいくつかの傑作映画に明らかです)94年当時の北野武。

 そして、シーズンを万全の態勢で迎えるためにWBCに出なかったにも関わらず、大した成績が上げられず、プレッシャーに苦しんでいたはずの松井秀喜。

 私の直感の前では、この3人の共通性がくっきりと浮かび上がってきます。

 音楽家、コメディアン/映画監督、そして野球選手。

 「やっていることが全然違うのに、どこに共通性が?」と思う人もいるでしょう。しかしこの3人は、「人前で何か行うことを稼業にしている」という点で共通しています。つまり、全員が広い意味での「表現者」なわけです。

 そして3人とも、ポジティブ・ネガティブに関わらず、大衆の巨大なエネルギーが集中する立場にいました。

 ボブ・ディランの66年の事故、北野武の94年の事故がそうだったように、今回の松井の事故も、単なるケガではないと私は思うのです。

 今まで順風満帆に来た松井の野球人生。

 それがWBC不参加でケチがつき、そして今回の事故で、一時は、選手生命まで危ぶまれました。

 もし松井がケガをせず、順風満帆で野球人生を終えることができ、そして素晴らしい通算成績を残せたとしても、松井は、球史に名を刻む名選手どまりだったでしょう。

 しかし、もし今回のケガから蘇り、そして残りの選手寿命を精一杯生きれば、全盛期の長嶋茂雄に匹敵するヒーローになれると私は思います(と言っても私は長島茂雄の現役時代を知りませんが)。

 いや、長嶋はこんな大ケガはしていないはずなので、もしかしたら、長嶋茂雄以上のヒーローになれるかもしれません。

 そして私たちは、「長嶋茂雄以上のヒーロー」という存在を、これまで持ったことはないと思います。

 果たしてどんなヒーローなのでしょうか。

 これは単なるケガではないのです。

 ヒーローになれる素質をもった人間のみが遭遇することのできる何かなのです。

 非常に楽しみです。

 頑張れ松井。(細田雅大)

おばば都へ行く

06年06月10日

 孫の代わりにイラクで戦うため、タイムズ・スクエアの新兵募集センターに出かけ、従軍しようとした59歳から91歳までのおばあちゃん18名。「Granny Peace Brigade」と名乗る彼女たちの裁判については、既にお伝えしました。

 無罪判決を勝ち取ったおばあちゃんたちは、数日後、「6月にデカイことするからヨロシク」という内容のメールを送ってきました。「何だろうか、デカイことって? まるで野望に燃える若者のようなセリフだな」と思っていましたが、一昨日、その内容が判明しました。

  おばあちゃんたち今度は、ニューヨーク・シティーからワシントンDCまで歩くのだそうです。6月24日に出発し、各地の平和運動家と合流を重ねながら、独立記念日の7月4日にDCに到着して、そこで「既製品よりもまばゆい花火」を打ち上げたいそうです。

 何でしょうね「既製品よりもまばゆい花火」って。何を打ち上げるのでしょう……。

 この行進に関する記者会見が、今日の朝、タイムズ・スクエアの新兵募集センター前で行われたので行ってきました。季節外れの冷たい風が吹いていて、おばあちゃんたちは「ちょっと寒いわ」「風が強いわね」と言っていましたが、あいかわらず元気そうでした。

リーダー的存在のジョーン・ワイルさん(中央)。隣りの男性は、裁判でおばあちゃんたちを弁護したノーマン・シーゲル弁護士です

最高齢のメアリー・リュニオンさん91歳。とはいえ、スピーチの激しさでは誰もかないません。「今すぐ戦争を止めさせて、兵士を国に戻しましょう!」

これがタイムズ・スクエアの真ん中にある新兵募集センター。巨大な液晶スクリーンに、兵隊のかっこいいイメージが流れ続けます。平和の使者であるハトが、なぜか群がっています

最後は、「God Bless America」の替え歌「God Help America」を合唱
 ♪God Help America
  We Need You Bad!
  Because Our Leaders

  Are Cheaters
  God Help America
  No Blood For Oil!
  God Forgive America
  No Blood For Oil!

 おばあちゃんたちは資金集めのため、6月13日の午後5時から7時まで、マンハッタンの「Florent」というレストラン(69 Gansevoort Street)でパーティーも開くそうです。「小切手帳を持ってお越し下さい」とのことでした。

 ワシントンDCへの行進は6月24日、午前11時に、タイムズ・スクエアの新兵募集センター前から始まります。

 「Peace Trek From New York City To Washington DC」と銘打たれている今回の運動。Trekとは、一般的には徒歩によるノロノロ旅行のことです。いちばん若いおばあちゃんに「本当にワシントンDCまで歩けるんですか?」と聞くと、「私よりも年取ったおばあちゃんたちが歩くんだから、もちろん私も歩くわよ」と断言した後で、笑いながら、「でも、時々バスに乗るから大丈夫よ」と教えてもらいました。

 真剣でチャーミングで元気一杯のおばあちゃんたち。私には仕事があるので、おばあちゃんたちの全旅程に付き合うことはできませんが、7月4日、独立記念日にワシントンDCに行ってみたくなってきました。(細田雅大)

おばば都へ行く2

06年06月25日

 昨日はあいにくの雨でしたが、18名のおばあちゃんたちは、何人かの支援者とともに、元気良く出発していきました。そうです。昨年10月にタイムズ・スクエアの新兵募集センターに出かけ、従軍しようとして逮捕された「Granny Peace Brigade」が、ワシントンDCへの平和行進を始めたのです。

 まずは朝10時、セントラル・パークの南西端に接するコロンバス・サークルに集合です。おばあちゃんたちは浮き浮きした様子で、遠足に行く日の活発な小学生のようでした。そして、平和行進の出発式が行われるタイムズ・スクエアまで移動。約15ブロックを歩きます。「兵士を国に戻そう」と連呼し、チラシを配りながらの行進です。

午前10時、元気に集合

「Bring The Troops Home Now Alive!」と連呼しながら行進

 午前11時、タイムズ・スクエアで出発式が行われました。雨脚が強くなってきましたが、おばあちゃんたちは負けません。反戦替え歌「God Help America」を大声で合唱です。なぜ老婆が雨の日にこんなことをしているのか、まだ物心もついてなさそうな娘に説明して聞かせる反戦ママや、謎の億万長者グループ「Billionaires for Bush」も現れました。

雨にも負けず、元気に合唱

「このおばあちゃんたちが主張しているのはね...」

謎の億万長者たち

 そして、タイムズ・スクエアを出発。といっても、次の目的地、ブルックリン・ブリッジまではチャーター・バスに乗って向かいます。いくら元気だとはいえ、さすがにワシントンDCまでの全行程を歩くのは無理。要所要所だけ歩いて、後はバスで移動するのです。

私もバスに便乗させてもらい、アメリカン・チェリーとか御馳走になりました

 ブルックリン・ブリッジ横断の開始予定は午後2時でした。橋のたもとに到着した時は土砂降りで、本当に横断できるのか心配されましたが、なんと横断開始の直前に雨脚は急に弱まり、晴れ間ものぞきました。下の写真で黄色い雨合羽に身を包んでいるのは、橋に向かって歩を進める最高齢のメアリー・リュニオンさん(91歳)です。気迫満点ですね。

 一歩一歩、おばあちゃんたちはブルックリンへと近づいていきます。メアリーさんの雨合羽の色が、いつの間にか変わっています。

 それにしても、なぜブルックリンへ行くのでしょう? ワシントンDCの方角は、ブルックリンとは正反対なのに……。もちろん、それには深い理由があるのです。

いつもニコニコして穏やかなメアリーさんですが、行動を起こす時は気性の激しさを表します

いつの間に着替えたのかメアリーさん

 おばあちゃんたちは約1時間かけて橋を渡り、無事にブルックリンの目的地に到着しました。さて、ここはいったいどこでしょう。

ブルックリンの目的地に到着です

 フラットブッシュ・アベニューにある新兵募集センターでした。「土曜日の午後なので、オフィスは閉まっているはず」とのことでしたが、海兵隊のオフィスだけは開いていました。「Let's Enlist!」(従軍しよう)、「We Insist We Enlist!」(従軍させろ)と叫びながら、おばあちゃんたちは、さっそく突入です。

ブルックリンの新兵募集センター

「私たち、軍隊に入りたいんですけど...」

 しかし、丁寧に応対してはもらえたものの、やはり従軍させてはもらえませんでした。おばあちゃんたちは、当初の予定通り、新兵募集センターに花をプレゼントし、余勢を駆って、信号待ち中の運転手にまで反戦の訴えをし、そしてバスに乗って次の目的地、スタテン・アイランドに向かっていきました。予定通り、7月4日にワシントンDCまでたどり着けるのでしょうか。頑張れ、おばあちゃん!(細田雅大)

新兵募集センターに花をプレゼント

赤信号で停車中の車にまで反戦の訴え

​​追伸:2016年、反戦おばばについての特別コーナーを作りました。

英語詩の快感

06年07日11日

 2002年の暮れ、私が編集に携わっている雑誌「U.S. FrontLine」は、「国際結婚」特集を行いました。その中で私は、今は日本にいるヤマモー(そのうち再渡米します)と一緒に、国際結婚を真剣に目指し、その過程をリポートしています。私は、マンハッタンのお見合いバーに出かけ、そこにいた女性の一人に、即興で英語詩を書いてプレゼントしたのです。(その記事が読みたい方はここをクリック

 あれから早4年。今は亡きメールマガジン「USFL.COMニュース」をお読みだった皆さんならご存知の通り、私はそれ以後も、時々英語詩を書いては、ニューヨーク各地の女性にプレゼントしてまいりました。

 きちんと韻(いん)を踏んだ英語詩を書くのは、簡単ではありませんが、楽しいです。もっとも最初は、韻を踏ませようなんて考えてもいませんでした。しかし、だんだんと、どうせ英語詩を書くなら韻を踏みたいものだと思うようになってきました。念のために説明すると、韻というのは、例えば、以下のようなものです。

 We Insist
 We Enlist

 これは、例の反戦おばあちゃんたちのスローガンの一つです。日本語に訳せば「私たちは主張する。軍隊に入れろ」となります。InsistとEnlistという2語の終わりが同じ(脚韻)なので、口に出すとリズミカルで、楽しくなるわけですね。(ところで、DCまでの平和行進に出かけたおばあちゃんたちは7月4日、無事にDCまで到達できたようです)

 さて、一気に話は飛んで、昨晩のことです。夜9時。仕事を終えた私は、とあるスターバックスに入ってコーヒーを飲むことにしました。あまりにも暑かったので、クーラーのない我が家へ直行するのではなく、涼しいところで本を読もうと思ったのです。

 しかし、本は読めませんでした。

 なぜなら、そのスターバックスで働いている一人の女性を見た瞬間、私の斜め上空2メートルのところにキューピッドが現れ、私のハート目がけて矢を放ったからです。矢は、ものの見事にハートに命中。心臓を射たれて死にそうになった私は、何か書けるものはないかと店内を探し、スターバックスの茶色いナプキンを見つけました。柔らか過ぎますが、いちおう紙です。

 そして、構想を練ること数十分。ついに、雷(かみなり)のごときインスピレーションが私を襲いました。私は、ナプキンに一気に英語詩を書きつけたのです。


 Some say Dunkin's coffee is better than Starbucks.
 Others say there is no difference.

 But I would prefer here, if it cost million bucks.
 It's all because of your presence.

 I am a Japanese writer, but this English poem is true.
 Thank you very much for reading through.


 何と見事に韻を踏んでいる詩でしょう! ニューヨークにやって来て、たかだか5年。それなのに、こんな英語詩が即興で書けるようになったとは! まるで全盛期のボブ・ディランのようじゃあ~りませんか! なんという自画自賛! 

 私は、自分の才能が怖い。

 でも、それ以上に怖いことがあります。

 いくら英語詩を書いて女性に渡しても、まったく何の成果もないことが怖い!(細田雅大)

力メラ病

06年07日12日

新しい奇病「力メラ病」が蔓延か
原因は不明、待たれる本格調査


 インターネット時代の全く新しい奇病、“力メラ病”が広く日本全土で流行していることが、7月11日深夜、ニューヨーク在住の雑誌編集者、細田雅大さんらの調査によって判明した。

 細田さんらが、力メラ病の発見に至ったのはまったくの偶然。雑誌「U.S. FrontLine」の編集者である細田さんは11日夜、残業して同誌の校正作業を続けていた。そして、正しくは「シカゴ大学」となるべき表記が「シガゴ大学」となっていることを発見。「ガ」を「カ」に直すよう、さっそく同誌デザイナーに指摘し、誤りを訂正したという。

 そのやり取りを小耳に挟んでいたのが、同誌相談役のTさん。Tさんは、ほんの気まぐれから、インターネットの検索サイトGoogleで「シガゴ大学」と検索してみた。すると、意外なほど多くのサイトがヒット。こうした初歩的な誤字を見逃してしまう人は、少なくないことが判明した。

 これが普通の人たちであれば、話はここで終わったはず。「いやぁ、世の中には、おっちょこちょいな人がいますね」ということで、一件落着していたはずである。

 しかし、細田さんは違った。すぐ調子に乗ることで名高い彼は、「では次は、シカコ大学で検索してみてください」とTさんに提案。Tさんは「さすがにシカコ大学という間違いをする人はいないでしょう」と言いながらも、いそいそと検索を行った。すると、なんと2件がヒット。

 これが普通の人たちであれば、今度こそ、話はここで終わったはず。「じゃあ、また明日」ということで、一件落着していたはずである。

 しかし、細田さんは違った。「なんとかして皆の裏をかこう」「なんとかして皆を驚かそう」「なんとかして皆を笑わそう」ということしか考えていない彼は、何事か思案している様子。そして、Tさんに提案した。

 「次は、シ力ゴ大学で検索してみてください」

 「しかご」大学ではない。「しちからご」大学である。

 細田さんは、カタカナの「カ」ではなく、漢字の「力」(ちから)を用いた「シ力ゴ大学」という表記が、インターネット上に存在するのではないかと考えたのだ。

 「そんな、まさか。それはないでしょう」と言うTさん。しかし、Tさんの予測とは裏腹に、なんと「シ力ゴ大学」という表記はGoogleで2件ヒット。「しちからご」大学である。この瞬間、Tさんの表情からは笑みが消え、いわゆる真顔となった。

 「では、アメリ力、というのはどうかな?」

 今まさに自分は、世紀の大発見の現場に立ち会っているのではないかという緊張感と高揚感を露にして、Tさんが言った。「あめりか」ではない。「あめりちから」である。

 さっそく検索。

 Googleでの検索ヒット数は、驚くべき数字を記録した。

 なんと1万2800件。

 もちろんこの中には、何らかの理由から、意図的に、「あめりか」ではなく「あめりちから」を使用している人もいるだろう。しかし、かなり多くの人々が、普通に「アメリカ」と表記しようとして、「あめりか」ではなく、「あめりちから」を使っている事実が判明した。

 ここで問題に新しい光を当てたのは、またしても細田さんだった。カタカナの「カ」であるべきところを、漢字の「力」で代用している人がいるのならば、その逆もあるのではないか。つまり、漢字の「力」であるべきところを、カタカナの「カ」で代用している人もいるのではないか。彼はそう考えたのである。

 「カ道山で検索してみてください」と、細田さんはTさんに提案した。戦後最大のプロレスラー、力道山。しかし、細田さんが言っているのは「りきどうざん」ではない。「かどうざん」である。

 なんと、驚くべきことに19件がヒット。

 「いったい、なぜだ」「これは、ただ事ではない」

 予想を超える深刻な事態に直面した2人は、驚愕の表情を浮かべながら、黙々と調査を続けた。「力リフォルニア」「力レーライス」など、矢継ぎ早に検索を行っていく細田さんとTさん。

 「力メラ」で検索してみると、1170件がヒットした。その3番目に、社団法人愛媛県医師会のウェブサイトがあった。内視鏡検査についてやさしく説明されているサイトである。しかし、「胃カメラ」がすべて「胃力メラ」に、「大腸カメラ」がすべて「大腸力メラ」になっていたので、2人は言葉を失った。「いかめら」ではなく「いちからめら」、「だいちょうかめら」ではなく「だいちょうちからめら」なのだ。

 「この事実を知れば、愛媛県の皆さんはパニックに陥るかもしれません」と語る細田さん。細田さんらは、カタカナの「カ」が漢字の「力」で代用されてしまう(その逆もある)この症状を、「力メラ病」と命名し、警鐘を鳴らしている。「かめら」病ではない。「ちからめら」病、もしくは「りきめら」病である。

  「なぜこんなことになっているのか、理由はまったく思いつきません。皆さん、どうかお気をつけください」と語る細田さんの表情は深刻だ。

最近のアップルはどうも……

06年08月08日

 iPodの爆発的な人気を受け、アップル・コンピュ-タの業績が好調だ。

 私などは、マッキントッシュが導入される1984年以前、アップル II の頃から同社製品の魅力に取り憑かれており、何があろうと絶対にPC(ウィンドウズ・マシン)を使うまいと心に決めていた。「会社でPCを使わせられそうになったら、辞めてやるからな」と思っていたほどのアップル信者だ。

 だから、最近の好調ぶりは、長年のアップル・ファンとしては嬉しい限り……。と言いたいところだが、どうもそうではないので、困っている。

 最近のアップルは嫌いだ。

 何が嫌いかというと、今テレビでも放映されている「I'm a PC, I'm a Mac」コマーシャル。あれが嫌いなのだ。日本語に訳せば「僕はPC、僕はマック」となる。

 皆さんもご存知の通り、擬人化されたPCとマックが真っ白い画面に現れ、「僕はマックだよ」「僕はPCだよ」と挨拶してから会話を始めるこのシリーズ。テーマは多岐に渡る。ウイルス対策、ネットワークの便利さ、お楽しみソフトの豊富さなどについて、いかにマックが優秀でPCがダメかを明らかにしていくのだ。

 PCに扮しているのは、小太りで眼鏡をかけたスーツ姿のサラリーマン。ビル・ゲイツを彷彿(ほうふつ)とさせる。一方、マックに扮しているのは、いかにもカジュアルな兄ちゃん。それほどイケメンというわけではないが、もちろん不細工ではなく、どっちが女性にモテそうかと言えば、明らかにマック兄ちゃんの方だろう。

 ネットワーク編を見てみよう。真っ白い画面に、PCサラリーマンとマック兄ちゃんが手をつないで立っている。

 「こんにちは、僕はマックだよ」

 「こんにちは、僕はPCだよ」

 「僕たちはネットワークでつながっているんだ」

 「設定は簡単。僕たちは同じ言葉を話せるんだよ」

 というように、仲良くやっている二人。しかしそこに、日本人娘が現れる。そして、マック兄ちゃんとだけ手をつないでしまう。

 ちょっと驚いて「あれ、この娘は誰?」と尋ねるPCサラリーマン。マック兄ちゃんはPCに「この娘は日本製の最新デジタルカメラなんだ」と説明し、娘と日本語で会話を始める。

 「ハジメマシテ」

 「はじめましてぇ」

 「ヨロシクオネガイシマス」

 「おいおいおい。ちょっと待ってくれよ。君って日本語が話せるの?」とマック兄ちゃんに確認するPC。「もちろんだよ。マックはどんな言語でも分かるんだ」と応じるマック。

 私が「最近のアップルは嫌いだ」と明確に思い始めたのは、二人のやり取りを聞いていた日本人娘が、マック兄ちゃんの耳元で次のセリフを言った時である。

 「ねえねえ、誰あの人? オタクっぽくない?」

 そしてマック兄ちゃんと日本人娘は、日本語の分からないPCサラリーマンを放っておいて、笑うのである。私はこの瞬間にアップルが嫌いになった。

 創業時からずっと、アップルを支えてきたのはオタクだったからである。

 さようならアップル。

 私は常に、モテない奴の味方だ。(細田雅大)

グリーンマーケットの選挙運動

06年08月19日

 ニューヨーク市の各地では、定期的に「グリーンマーケット」という青空市場が立ちます。近郊の農家が、前夜か当日の朝に収穫した農産物を車で運んできて、ブースを設営します。そして、自ら売り子になって、お客さんと話しながら、とれたての農産物を売るのです。

 例えばマンハッタンのユニオン・スクエア。月、水、金、土と、ここには最大規模の市場が立ちます。一般のスーパーマーケットと違って、自分が食べる物の育てられ方を、育てた人に直接確認できるので、多少高くても、安全で美味しいものを食べたいという消費者には好評のようです。

ユニオン・スクエアに立つグリーンマーケット

色鮮やかな野菜たち

不格好だけれど、おいしそうなトマト

とれたての魚を売るブースも一つあります。いつも行列ができる大人気

「BONSAI」(盆栽)を売っているブースもあります

 現在のところ、ニューヨーク市の45カ所で、定期的にグリーンマーケットが立っています。私が住んでいるブルックリンにもいくつかあり、今日、私が出かけたのは、プロスペクト・パークの最北部、グランド・アーミー・プラザに立つ市場でした。

 さて今年は、中間選挙の年です。アメリカの国会には上院と下院があり、中間選挙では、上院議員の3分の1,下院議員の全員が改選されます。例えばニューヨーク州選出のヒラリー・クリントン上院議員も、今年で6年の任期が終了するので、再選を目指して出馬します。4年ごとの大統領選挙の中間の年に行われるので、中間選挙と呼ばれるようです。

 この選挙に出て勝ち、議員になろうとする立候補者が、グリーンマーケットにたくさん現れるようになりました。看板を立て、チラシを配り、声を上げて、有権者にアピールしています。

民主党のカール・アンドリュース候補。看板を立てて有権者に訴え中

民主党のエリック・アダムス候補の支援者

民主党のジョナサン・タシニ候補

配られているチラシはこんな感じです

 日本でも選挙前になると、立候補者が街頭に立ち、有権者に話しかける姿が見られますが、私の印象では、アメリカの立候補者と有権者の関係の方が、ずっとカジュアルです。特に立候補者に対する有権者の態度。グリーンマーケットで野菜を売っているおじさんに、トマトの味について質問するのとまったく同じ口調と態度で、「あなたは当選したら何するつもりなの?」と聞いています。日本にもそういう有権者はいなくはないでしょうけど、こちらでは全員そんな感じですね。いろいろ問題の多い「民主主義」「議会制度」ですけど、こういう関係は、なにか自然な感じで好きです。(細田雅大)

私たちを許して

06年11月26日

 これまでにも何回か紹介してきたオノ・ヨーコさんの新聞広告が、11月26日の日曜日に、また現れました。私が見たのは、ニューヨーク・タイムズの全面広告です。

 「FORGIVE US」というタイトルの小文に、ジョン・レノンの手によるものと思われるイラストが付いています。

 もはや年末年始の恒例行事となった感があり、2001年の中枢同時テロの直後、タイムズ・スクエアに最初に現れたビルボード広告の時のようなハッと驚く切れ味はありませんが、それでもやはり、いろいろ考えてしまいました。

 訳してみましたので、ご覧になってみてください。(細田雅大)


 <私たちを許して>

 12月8日がまた近づいてきた。毎年この日になると、私の夫ジョン・レノンと彼の平和のメッセージを思い出してくれる世界中の人々からお便りをいただく。私に手紙を書いてくれて、毎年この日、ジョンのことを思い、40歳という男盛り、まだまだ人生これからという時に撃たれて殺されたことを残念に思うと言ってくれるのだ。

 どうもありがとう。ジョンを変わらず愛してくれて、そして、この悲劇の記念日に私のことを気にかけてくれて。でも今年は、この12月8日という日に、ジョンのことを思うだけでなく、世界各地で苦しんでいる何百万もの人々に次のメッセージを送ることにも私たちは心を配りたいと思う。

 同じように何の意味もなく愛する人を失った人たちへ:悲劇を食い止められなかった私たちを許してください。傷が癒されるよう祈ります。

 命を失ったり、一生続く障害を負ってしまった、あらゆる世紀のあらゆる国の兵士たちへ:私たちの誤った判断と、その結果として起きたことを許してください。

 障害を負ったり、殺されたり、家族を失ってしまった一般市民へ:それを食い止められなかった私たちを許してください。

 虐待されたり拷問を受けた人たちへ:それが起きるのを見過ごしてしまった私たちを許してください。

 あなたの損失は私たちの損失だと、どうか知ってください。
 あなたが耐え忍んだ肉体的・精神的虐待は、私たちの社会、そしてこの世界に、長く影響を及ぼすことを、どうか知ってください。
 その重荷は私たちのものだと、どうか知ってください。

 暴力行為によって夫を殺された未亡人である私は、引き金を引いた人物を果たして許せる気持ちになっているのかどうか、自分でも分かりません。暴力犯罪の犠牲者なら誰でも、私と同じように感じると思います。でも、癒しこそ、現在の世界では、今すぐ必要なものなのです。

 傷を一緒に癒しましょう。

 毎年、12月8日を、とても我慢できない苦しみに耐えている人たちに許しを請う日にしましょう。
 私たちが私たち自身を癒し、そうすることで世界もまた癒したと言える日が来ることを、強く願いましょう。

 心の底から愛を込めて
 ヨーコ・オノ・レノン
 ニューヨーク・シティ 2006

ピンチョンの書評

06年11月27日

 雑誌「U.S. FrontLine」に書評を書くため、この秋にやっと邦訳が出版された小説「コレラの時代の愛」(新潮社)を読み終えました。コロンビアの作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスが1985年に発表した作品です。

 私はこの長編小説を、大学生の時に初めて読んで以来、折に触れて、英語で読んできました。雑誌「ユリイカ」に掲載された、米国の謎の作家、トマス・ピンチョンによる書評を読んだのがきっかけです。1988年にニューヨーク・タイムズに発表したこの書評で、ピンチョンは、「Love in The Time of Cholera」(「コレラの時代の愛」の英訳本)を絶賛していたのです。

 現代の米国を代表する作家だと目されるピンチョンは、公の場にはまったく顔を出さず、どこに住んでいるかも不明なら、どんな顔をしているかも不明です(存在するのは若い頃の写真だけ)。そして、大変な寡作ぶりでも知られています。ちょうど先日、1000ページを超える長編「Against The Day」を9年ぶりに発表したばかりなのですが、もうすぐ70歳に手が届こうかというのに、これがわずか6作目なのです。10年に1冊くらいしか小説を書かず、エッセイなども少ししか発表していません。

 そんなピンチョンが、わざわざ他人の作品に対して書評を書いたわけです。大学生だった私は、興味を引かれ、さっそく「ユリイカ」を読んでみました。そして、感動しました。若島正さんが訳されたこの書評自体に感動したのか、この書評で紹介されている「コレラの時代の愛」の内容を知って感動したのか、あるいはその両方なのか、判別できませんでした。しかし、私はさっそく「Love in The Time of Cholera」を入手し、以来、読み続けてきたのです。

 今、やっとこの本が日本語で読めるようになり、嬉しい限りです。ぜひ皆さんにも読んでもらいたいと思います。しかし私は同時に、ピンチョンの書評も読んでもらいたいと思っているのです。ただ、こちらの方は、そう簡単には行かないかもしれません。図書館かどこかに行って、「ユリイカ」の1989年2月号を探さないといけないのですから。

 ですから、私が自分で、ピンチョンの書評を訳してしまいました。

 息の長い、複雑な、いかにもピンチョンらしい文章です。とても難しい翻訳でした。訳し終え、何度も読み返してみましたが、若島正さんの翻訳を読んだ時のような感動が湧いてきません。ですから、やはり「ユリイカ」のバックナンバーを読んでいただきたいと思います。でも私も、全力を尽くしました。「だいたいどんなことが書いてあるかを知る」という軽い気持ちで読んでいただければ嬉しいです。もしも誤訳があったら、ごめんなさい。(細田雅大)

 細田の訳した書評を読みたい場合は、ここをクリック。

カフェがつくるコミュニティー

07年04月13日

 ジェントリフィケーションという言葉がある。動詞 gentrify の名詞形だ。「再開発に伴う地域の高級化」という意味。

 ニューヨーク市では近年、これが各地で進行中。分かりやすい例がハーレムだろう。数年前、クリントン前大統領が125丁目のビルにオフィスを開くのに前後して、スターバックスやシティバンクも進出した。

 私の地元、ブルックリンのフラットブッシュ地区にも、どうやらこれがやって来た。地図を見てみよう。ブルックリンの中央にあるのがプロスペクト・パーク。フラットブッシュは、この公園の東側だ。西側には、パークスロープ地区がある。行ってみれば分かるけれど、公園の東側と西側では、町並みがまったく違う。

 西側のパークスロープは、洗練されていて、より安全で、映画「スモーク」の舞台になり、アメリカを代表する作家の一人、ポール・オースターが住んでいて、可愛い愛玩犬が飼われ、肌の色の薄い人が多く、家賃の高さがマンハッタンと変わらない。そしてもちろん、素敵なレストランやバーやカフェがある。

 フラットブッシュは、その反対だ。泥臭くて、より危険、銃撃事件の舞台となり、NY日系社会を代表するライターの一人、つまり私が住んでいて、凶悪そうなピットブルが飼われ、肌の色の濃い人が多く、家賃の安さといったら、けっこう快適なステューディオ(一人部屋)に安月給の私が住めたりする。そして、レストランやバーやカフェは、ほとんど存在しない。

 レストランがないと言っても、ファストフード店やチャイニーズのテイクアウトはある。カフェがないと言っても、デリ(グローサリー・ストア)はある。だから外食はできるし、コーヒーも飲める。

 しかし例えば、マンハッタンで知り合った白人マダムを自宅に招待して、「では、ご飯でも食べに行きましょう」「ちょっとカフェでおしゃべりしましょう」となった時に行く場所がない。外国から知人が訪ねてきた時にも困る。はるばる日本からやって来た親戚を、マクドナルドには連れていけない。地下鉄に乗って、パークスロープかマンハッタンまで行くことになる。

 しかし1年前、ついにカフェがやって来た。

 公園から徒歩数十秒、少々荒(すさ)んでいたプロスペクト・パーク駅前通り。地元の青少年がたむろしているその通りで、一カ所だけ異質な、家庭的な空気。ベビーカーに子供を乗せた夫婦が出入りしたりしている。

 それがKドッグ&デューンバギーだった。

 何か新しいことをやり出すと、叩かれる時がある。Kドッグも当初、ちょっと批判されたりした。「フラットブッシュという黒人居住地域にできたカフェは、白人しか相手にしない」という書き込みが、インターネットの掲示板に現れたのだ。でも、それは言いがかり。

 行けば分かるけれど、客の人種は完全にミックスされている。カフェで働く従業員の人種だってバラバラ。誰でも歓迎される。白人中心のパークスロープでも黒人中心のフラットブッシュでもなく、そのすき間で進行中の「秘密のインテグレーション」(by トマス・ピンチョン)。

 もちろん、これでコーヒーがまずければ、お話にならない。でもここのコーヒーは、もしかしたらNYで1番おいしい。スモールが1ドル。いつも炒れたてだ。熱いカップを持って店内を見渡せば、地元アーティストの作品が壁にかかり、時には地元の詩人が朗読したりしている。NY日系社会を代表するライターの一人が本を読んだりもしている(これは邪魔かもしれない)。

 地元の人々が喜びとともに案内できるカフェなのだ。(細田雅大)

「ジェントリフィケーションというよりも、コミュニティー・ビルディング(づくり)という感じかな」とは、オーナーの1人、ガブリエラさんの弁。最近、真っ当なメキシコ料理店が同じ通りにオープンした。カフェがレストランを呼び込んだ形

"松坂の話し相手"じゃなかった

レッドソックス岡島が大活躍

07年05月01日

 ボストン・レッドソックスのもう一人の日本人投手、岡島秀樹選手の評価が急上昇している。

 4月29日、ニューヨークで行われたニューヨーク・ヤンキースとの一戦では、先発したタヴァレス投手のリリーフでマウンドに上がり、2回を投げて無失点、三振を4つ奪う大活躍だった。

 岡島はとりわけ、レッドソックスの宿敵ヤンキースに強い。ヤンキース戦では、これまで5試合に登板。5回を投げ被安打はわずか3つ。無失点。奪った三振は7つに及び、強打で鳴らすヤンキース打線を打率.167に抑えている。

 「彼が出てくるたびに、反撃のチャンスがつぶされてしまう」と嘆くのはヤンキースの主砲にして今期絶好調のアレックス・ロドリゲス内野手。ロドリゲスは岡島を「a rally killer for us」と評している。

 大リーグ初登板となった4月2日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で、ジョン・バック選手に第一球を本塁打されて以降、岡島はまったく得点を許していない。12回3分の2を投げて、奪三振17、防御率0.71は見事だ。レッドソックスのフランコナ監督も「岡島は素晴らしい」と大絶賛。今や「中継ぎのエース」と言っていいだろう。

 Dice-Kこと松坂大輔投手と同様、今年から大リーグでプレイを始めた岡島。彼のレッドソックス入団については当初、選手としての活躍が期待されたからではなく、日本の超大物エースが寂しがることのないよう「松坂の話し相手として雇われた」という噂が流れた。

 マンハッタンのスポーツ・バー、レッドソックス・ファンの"聖地"である「リヴィエラ・カフェ」で取材中だった私も数回、「オカジマは、マツザカのコンパニオンとして雇われたというのは本当か?」と米国人ファンに尋ねられたことがある。とても無責任なことに私はつい、「ああ、その通りだ。それぐらいマツザカは大物なのだ。しかし、オカジマは投手としても活躍している」と適当なことを言ってしまった(猛反省)。

 大リーグの公式ウェブサイトは30日、岡島の写真を第一面に掲載し、この噂に終止符を打った。

 「あの推測は誤っていた。岡島がボストンにやって来たのは、松坂の話し相手になるためではなかった。実際のところ2人は、今春のキャンプ地で一緒になるまで親しくはなかったのだ。レッドソックスが岡島と契約したのは、岡島が重要な選手になると思っていたからである」(細田雅大)

反戦おばばとオノ・ヨーコ

07年07月04日

 今日7月4日、セントラル・パークのストロベリー・フィールズに出かけ、あの反戦おばあちゃんたちに再会してきました。

 一昨年の秋、彼女たちはタイムズ・スクエアの新兵募集センターに出かけ、「孫の代わりに私らをイラクへ派遣せよ。私らはもう十分に生きた。孫たちにも長い人生を味わわせてやりたい」と主張したのです。しかし「歩行者の通行の邪魔をした」として警察によって逮捕。昨年その裁判が行われ、おばあちゃんたちは無罪を勝ち取ったのでした。

 その後も、ワシントンDCやヨーロッパにまで出かけて反戦を訴えてきたおばあちゃんたち。独立記念日の今日は、昨年の裁判で彼女たちを弁護したノーマン・シーゲル弁護士と一緒に、独立宣言の文章を朗読し、イラクで戦死したNY出身の兵士たちの名前を読み上げたのでした。

 ノーマン・シーゲル弁護士は典型的な“弱い者の味方”のようです。憲法が定めている基本的な権利が問題となる裁判でよく弁護をしていて、NYのニュース番組では時々報道されたりしていますから、ご存知の人もいるかもしれません。シーゲル弁護士は、この39年間というもの、独立記念日には毎年欠かさず独立宣言を黙読してきたのだそうです。1985年にセントラル・パークのストロベリー・フィールズができてからは、ジョン・レノンの死を悼むこの場所が、黙読の舞台となったとのこと。

 今年はそこに反戦グループ「Granny Peace Brigade」のおばあちゃんたちが加わったわけです。「現在旅行中」とのことで参加はできませんでしたが、近くのダコタ・アパートに住むオノ・ヨーコさんもメッセージをおばあちゃんたちに託しました。それを朗読したのは「Granny Peace Brigade」のリーダー的存在、ジョーン・ワイルさん。その模様をビデオに撮りましたので、関心のある方は再生してご覧ください。

 挨拶をし、メッセージを読み上げる直前、ジョーンさんが「私の声が聞こえる?」と周囲に確認しています。マイクはなく、そして皆おばあちゃんであるため、だいたい耳は遠いのです。「Keep yelling(その調子で大声を張り上げて)」という独特の間(あい)の手がすぐに入ります。最高齢(92歳)のメアリー・リュニオンおばあちゃんです。昨年の裁判では、相手側の弁護士の質問をのらりくらりとはぐらかしたかと思うと、急に「このサノバビッチが!」と激怒したりもして、私たちの心をつかんでしまったメアリーさん、変わらず元気そうでした。

 オノ・ヨーコさんからは、メッセージだけではなく、特製ポスターとバッジの配布もありました。2001年の中枢同時テロの直後、タイムズ・スクエアの屋外広告スペースに現れた、白地に黒文字だけの巨大広告「Give Peace A Chance」を思い出させるデザインです。「Imagine Peace」。もちろん、ジョン・レノンの名曲「Imagine」がモチーフになっているわけですが、ここで、よくある誤解を解いておきたいと思います。

 「ビートルズ解散はヨーコのせい」と思っている人は多く、また最近では「レノンと結婚したので金持ちになった女」「レノンの功績を自分の功績のように考えて利用する女」などと思われ、嫌われがちなオノ・ヨーコですが、実は最初に「Imagine」という言葉を使ったのは彼女であって、レノンではありません。「Grapefruit」という本でオノ・ヨーコは「想像してみなさい」という問いかけを用い、この本を読んだレノンが刺激されて、名曲が生まれたのです。

 <想像してみなさい。千の太陽が空にあるところを>
 <想像してみなさい。したたり落ちてくる雲を>

 話がそれましたが、オノ・ヨーコだって、よく考えると、もうけっこうなおばあちゃん。おばあちゃんの力を侮ってはいけませんよ皆さん。行け行け、おばあちゃん!(細田雅大)

​​追伸:2016年、反戦おばばについての特別コーナーを作りました。

“米都市計画史上、最大の犯罪”は防げるか

ニューオーリンズの低所得者向け団地、取り壊し直前

07年12月19日

 12月19日、心当たりのないエリック・ローセンという人物から、電子メールで報道資料(press release)が届いた。

 何かと思ったら、ルイジアナ州のニューオーリンズでは今まさに、低所得者向け団地(housing project)が取り壊されようとしており、それを阻止するため、団地前で待機中のブルドーザーに地元の人たちがチェーンで体を結わえ付けているという告知だった。

 「住宅都市開発省の計画に従い、B・W・クーパー・ハウジング・プロジェクトのほか、3つのプロジェクト(団地)が取り壊されようとしている。ハリケーン被害を受け、いまだに住宅の数が足りないこの土地から、4500以上のアパートを消し去ろうというのだ」

 「団地を取り壊すこの計画は、貧困地域の問題を解決して、カトリーナ後のニューオーリンズを高級化(gentrify)しようとする大きな計画の一部だ。しかし、意外な抵抗に遭っている。今日のニューヨーク・タイムズの記事では、『米都市計画史上、最大の犯罪』と呼ばれているほどだ」

 プロジェクトの取り壊しがなぜ「意外な抵抗」に遭っているのかよく分からず、私はさっそく今日のニューヨーク・タイムズをめくってみた。米国内の報道が掲載されている「National Report」という欄にその記事はあるのだろうと考えていたが、見つからない。どこにもそんな記事はなく、何かの間違いではないかと思い始めたら、「The Arts」という芸能&アート関係の欄に見つかった。

 ニューオーリンズのプロジェクト取り壊し記事が、なぜアートの欄に?

 記事を書いているのは、Nicolai Ouroussoffという人物だ。彼によると、ニューオーリンズでは、プロジェクトにでさえ、大きな美的・歴史的価値があるのだという。

 「住宅都市開発省の役人たちは、ハリケーン・カトリーナによって洪水が起きる前から、プロジェクトは決して住み良い場所ではなかったと考えている。だから彼らにすれば、団地取り壊しは、優れた社会政策の一環なのだ。しかしそうした考えは、地元の現実に対する残酷な無関心を表しているに過ぎない」

 「大都市のプロジェクトと聞くと我々は、殺風景なれんが造りの高層タワーと人影のまばらな広場を想像する。ニューオーリンズのプロジェクトはそんなものとは違う。設計の面から見ても、建築の質から見ても、米国の公共住宅を代表する建物なのだ」

 「政府が行おうとしているこの“いったんすべて更地(さらち)に”政策は、もっとも惨たらしい戦後の都市再生政策を思い起こさせる。隣近所が培ってきた歴史など、まったく無意味なものだと考えられている。“心機一転(fresh start)”という曖昧なかけ声が、全コミュニティーの破壊を正当化するために用いられている」

 ニューオーリンズ市議会は、明日木曜日、プロジェクトの取り壊しを行うかどうか、最後の投票を行う。ブルドーザーはすでに待機し、そのエンジンは温められ、突撃の指示を待っている(ところで、実際にプロジェクトに住んでいる人たちは、どう考えているのだろう。ニューヨーク・タイムズの記事ではその点がよく紹介されていない)。(細田雅大)

ニューオーリンズの低所得者向け団地、取り壊しへ

07年12月21日

 白人4人、黒人3人の議員からなるニューオーリンズ市議会は、12月20日、低所得者向け団地(housing project)の取り壊しを、満場一致で可決した。前日のニューヨーク・タイムズ紙「アート」欄に寄稿し、取り壊し反対の意見を表明した建築評論家のNicolai Ouroussoff氏によれば「米都市計画史上、最大の犯罪」が実施されることとなった。

 12月21日の同紙は、「アート」欄ではなく、米国内の報道を掲載する「ナショナル・リポート」欄で、市議会での可決の模様を伝えている。執筆者は Adam Nossiter と Leslie Eaton の両氏。混乱する市議会の周辺で、警察官が取り壊しに反対する運動家を背後から取り押さえている写真付きだ。

 「ハリケーンで傷ついたこの街で、低所得者向け団地の将来について熱心に議論されてきた。そこには、人種、金、歴史、(ハリケーンによって市を離れた人々の)帰郷の権利、そして、意思決定をすべきなのは誰か、という問題が含まれている」と語るこの記事「New Orleans Council Votes for Demolition of Housing」からは、今回の問題の複雑さがよく伝わってくる。複雑さを分かりやすく提示してくれる良い記事なので、以下に抄訳してみたい。(細田雅大)


 <市議会の内外で警察と反対論者が激しく衝突した木曜日、ニューオーリンズ市議会は、連邦政府による4つのプロジェクト(4500のアパート)の取り壊しを、満場一致で認めた。市議会はまた、公営住宅を迅速に建設するよう住宅都市開発省に求めている。「この街には、手頃な価格の住居が必要です」と言うのは、取り壊し案を提出したシェリー・ステファンソン・ミドゥーラ市議。「ただし、公営住宅が貧困層のたまり場(warehouse)になってはいけません」>

 <一方、取り壊しに反対する者たちは、住宅都市開発省の計画では、カトリーナ以前にプロジェクトに住んでいた3000家族(そのほとんどは黒人である)に適切な住居を提供できないと主張する。そうした家族の多くは未だに同市に戻ることができずにいる。反対論者の中には「彼らは意図的にニューオーリンズから遠ざけられている」と言う者もいる>

 <取り壊された後には、低所得者向け団地ではなく、さまざまな所得層が住む団地(mixed-income developments)が作られる予定だ。「問題は、そこに入れるのは誰かということです」と、現地の牧師、トリン・T・サンダース氏は語る。彼は、採択前に4時間かけて行われた聴聞会に参加し、プロジェクトの住人は、同市におけるこれまでの再開発計画からも除外されてきたと述べている>

 <現地で災害対策に当たるコートニー・カワート氏は、取り壊しに反対する。連邦政府が、カトリーナ後に公営のトレーラーハウスに住んでいた3万人を新住居に引っ越させようとしている今、取り壊しによって、低価格の住居がますます手に入りにくくなると考えているからだ>

 <取り壊される3つのプロジェクトの住民代表も聴聞会に現れ、ハリケーンに襲われる前の住環境の悪さを指摘し、取り壊し計画への支持を表明した。B・W・クーパー・ハウジング・プロジェクトを代表するドナ・ジョニンガン氏は「家の中に入った時、これは家であって、プロジェクトじゃないと思えることが大事なんです」と言う>

 <取り壊し反対論者からは、政府に対する不信の声が聞かれた。しかし取り壊し支持者によると、反対論者らの多くは、4つのプロジェクトどころかニューオーリンズにさえ住んでいないという>

 <議場に突入しようとする反対論者を制圧するため、警察は催涙ガスとスタンガンを使用したと見られ、少なくとも2人が治療を受けた。議場内でも騒動が起こり、警官が何人かを退場させた。秩序を騒乱したとして15人が逮捕された>

​​追伸:2012年、ニューオーリンズを再訪し、観光リポートを書きました。

ニューヨーク・タイムズの記者が選ぶ

“今年いちばん優れた機能” 賞は?

07年12月27日

 ニューヨーク・タイムズ紙でハイテク機器を担当するデイビッド・ポーグ記者。

 ウィットに富んだ文章を書くだけでなく、記事に合わせて、自分が登場するビデオまで作成する面白い人である。

 「発展途上国の子供たち一人一人にラップトップを」という目標を掲げるOLPC(ワン・ラップトップ・パー・チャイルド)の初代機、「XO Laptop」の試用記では、ハイテク機器の論評かと思わせておいて、最後、世界の経済や政治体制までこっそり批判してしまうという技を見せたりしたので、私などは多少涙ぐんでしまったほどだ。

 そのポーグ氏が、12月27日の紙面で「今年いちばん優れた製品ではなく、今年いちばん優れた機能」を表彰するポーギーズ賞を発表している。「企業の制作会議やマーケッター、そして弁護士たちをくぐり抜けて世に出た小さな革新技術」「今後は、その製品分野におけるスタンダードとなるべき小さな改良」を表彰するための賞で、名前から分かる通り、ポーグ氏の独断で決められている。

 今年で3回目だというポーギーズ賞の第1位になったのは、6月にアップルが鳴り物入りで発売し、携帯電話市場に革命を起こしたとされるiPhoneの一機能。ポーグ記者をして「iPhoneが持つ最高の機能群に含まれてさえいない」機能である。

 それはつまり、ビジュアル・ボイス・メール。ポーグ記者の文章を訳してみよう。

 「はいはいはい。特にドキドキしたりする機能じゃないね。iPhoneのボイス・メール機能なんて、iPhoneが誇る最高の機能群に含まれてさえいない。しかし今後、ボイス・メールはすべてこうなるべきだ。普通の携帯電話では、ボイス・メールを聞くために電話すると、寝起きの女のような声を聞くことになる。『You...have...thirty...one...messages』とかね。そして、まったく無意味な使用方法の説明が15秒続く。これは単に、携帯電話の使用時間を延ばしたいがためだ。しかしiPhoneでは、録音されたボイス・メールを、eメールみたいに一覧できる。聞きたいものをタップするだけでいい。電話しなくていいし、使用方法の説明はないし、それに、自分の聞きたい順番に聞くことができるのだ」

 はい。本当にあの寝起き女には腹が立ちますね。なぜ毎回毎回、「パーソナル・オプションを変更するためには、この番号を押してください」とか説明してくれるのでしょうか。

 ポーギーズ賞を受賞したほかの9機能については、関心があれば、ニューヨーク・タイムズの記事をご覧ください。(細田雅大)

NYC公認コンドーム、新デザインに

08年02月14日

 ニューヨーク市は昨年、市公認のコンドームを作り、07年2月14日より各所での無料配布を開始しました。地下鉄の路線マークをあしらった包装の、なかなかお洒落なデザインです。なぜコンドームを無料配布しているかというと、エイズなど性病の新規感染が若者の間で増えており、そして、いわゆる「望まれない妊娠」をしてしまう女性も依然として多く、そうした傾向に歯止めをかけたいからです。

 結婚するまで禁欲を説く宗教関係者などから反発があったと聞きますが、配布を開始してから今日で1年がたちました。同市保健所によると、ひと月に約300マンコ、1年間では約3600マンコものコンドームが配布されたそうです(あれ、なぜか漢字変換できない)。

 そしてニューヨーク市は今日、バレンタイン・デーに合わせ、新しいデザインのコンドームを発表しました。公式ウェブサイトでは、英語とスペイン語の両方で作られたその宣伝ビデオを見ることができます。同市の町並みを背景にして、ジャズ、ラテン、ヒップホップなど好みの音楽が選べるカラフルなビデオです。

 この新コンドームをデザインしたのは、OLPC(ワン・ラップトップ・パー・チャイルド)がついに完成させたXOラップトップ(いわゆる“100ドル・ラップトップ”)のデザイナーさんだそうです。何と発音するのか分からないのですが、Yves Behar という名前の人物です。

まずこれが、初代のNYC公認コンドーム。
ニューヨーカーにはおなじみの地下鉄の路線マークが使われています

続いてこれが、新デザインのコンドーム。先週ついに届いたXOラップトップの上に載せてみました。デザインしたのは同じ人です

 最近、ついにXOラップトップを入手したばかりの私は、がぜん新コンドームへの興味も沸き、今朝さっそくユニオン・スクエアへ出かけてきました。新デザインのお披露目をかね、ボランティアたちが無料配布を行うところを写真に収めてきたのです。

 NYC公認コンドームは、保健所だけでなく、市内各地のバーやクラブ、カフェなどでも入手可能です。公式ウェブサイトを見れば、どこで入手できるか詳細な情報も得られます。なかなか良いニューヨーク土産になると思いますので、ニューヨークにお越しの際は、ぜひ探してみてください。(細田雅大)

今朝のユニオン・スクエアでは、強烈な寒さにも関わらず、ボランティアの皆さんが元気に配っていました

共和党支持者と結婚した民主党支持者

08年02月18日

 共和党とか民主党とか言ったところで、大統領選挙に関心がない人には、そもそも何のことだか分からないし、分かろうとも思っていないと思います。それはそれで問題はありません。だいたい政治なんて、大して重要じゃありませんし。

 しかし、今から紹介することは、政治だけでなく愛にも関係しているので、政治に無関心な方でも、興味深く読めるかもしれません。ただ、かなり長いので、時間のある時にお読み下さい。

 まずは少し勉強です。といっても、私が皆さんに教えるわけではなく、私もまた、これを書くことで勉強しようと思っているわけです。アメリカには共和党(The Republican Party)と民主党(The Democratic Party)があります。いわゆる二大政党制というやつです。

 共和党と民主党はどう違うか。以下、私なりに両党の違いをまとめてみました。分かりやすくするため、記述を極端に簡単にしています。そして、これら以外にも両党の違いはあります。だから、私より政治に詳しい人、突っ込まないでくださいね(笑)。

 民主党は中絶に賛成。共和党は中絶に反対。
 民主党は銃規制に賛成。共和党は銃規制に反対。
 民主党は大きな政府。共和党は小さな政府。

 「大きな政府と小さな政府?」「政府に大小があるの?」と驚いた人もいるかもしれません。「大小」というのは、もちろん比喩(ひゆ)です。税金をたくさん集め、その税金を使って、たくさん公共の仕事をしようとするのが「大きな政府」。一方、税金はあまり取らず、そのかわり公共の仕事はあまりしないで民間にまかそうとするのが「小さな政府」です。果たそうとしている役割の大小を指しているわけです。

 と説明しても、やはり何のことだか分からないと思いますが、分からなくてもけっこう。大事なのは、2月17日のニューヨーク・タイムズに、共和党支持の男性と結婚した民主党支持の女性のエッセイが掲載されていて、それがなかなか面白かったということです。アン・フッドという女の人が書いた「I Married a Republican: There, I said It」というエッセイで、「Sunday Styles」というセクションの「Modern Love」という欄に掲載されています。

 ロードアイランド州在住のアンさんは、筋金入りの民主党支持者。91年の湾岸戦争時にはマンハッタンの五番街で抗議デモに参加し、死刑反対デモに加わるためニューヨーク州の州都、オールバニーまでバスに乗って駆けつけたこともあるそうです。投票の際は、なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく、民主党の候補に投票しています。

 そんなアンさんが、15年前、恋に落ちてしまいました。「美しい顔をしていて」「気まぐれでありながら、落ち着きもあり」「壊れたドアを直すことができ」「旅行好き(wanderlust)であるばかりか、単なる好き者(lust)でもある」というローンさんです。最初のデートの時、どうも話が合わないと感じたアンさんが「あなた、民主党支持者なのよね?」と聞くと、ローンさんは「僕は一番良い候補に投票しているだけなんだよ」と答えました。「たまたま彼らが共和党所属であることが多いんだ」

 かつては民主党員だったローンさんですが、今は共和党を支持。アンさんは、それを知りながら彼と結婚しました。共和党支持者を愛したことで、たくさんの人を裏切ってしまった気分になったそうです。

 アンさんの友達はすべて民主党支持者。一方、ローンさんの友達はすべて共和党支持者。だから2人の社交生活は大変です。ローンさんの友達の夕食会に夫婦で出かけると、誰もが民主党の悪口を言うものですから、アンさんは「歯を食いしばって耐えていた」のだとか。

 ジュージ・ブッシュ(共和党)とジョン・ケリー(民主党)が激しく争った04年も、夫が静かにブッシュを支持する一方、妻はケリーのために資金集めパーティーを開催。「私たちのような夫婦はどこにもいない」「政治に関する意見がこれほど違うのに、結婚生活が続けていけるのかしら」と考え始めたアンさんは、その後、ローンさんとは政治について話さなくなりました。ただ、ブッシュ大統領の支持率が下がるたび、ローンさんのいないところで一人、ほくそ笑んでいたのだとか。

 そして今回の選挙を迎えます。アンさんの側には、民主党所属のオバマ、クリントン、エドワーズ。ローンさんの側には、共和党所属のマケイン、ロムニー、ハッカビー。「私はエドワーズがいいと思うわ」どうしてもローンさんの意見を知りたくなったアンさんは言いました。ニコッと笑って首を振り、ローンさんは応えたそうです。「僕はまだ決めていないんだ」

 そしてアンさんは、以下のように書いています。素晴らしい文章だと思いますので、まず原文をそのまま引用し、続いて、注釈を付けて訳します。


 A brief respite. But I knew there was no avoiding it. Things would heat up. From where I sat, the divide seemed huge and unnavigable, yet also narrow enough to reach across and hold hands. So that's what I did. I took his hand: my husband, my Republican, my love.

 (彼がまだ支持する候補を決めていない)今は、短い休息の時。でも、いずれそれはやって来て、避けることはできないって分かってる。私たちは激しく対立するだろう。私のいるところから見ると、彼との違いは大き過ぎて、とても向こう側へ渡ってはいけない。でも同時に、手を伸ばして握り合えるところに彼はいる。だから私はそうする。彼の手を取る。私の夫。私の共和党支持者。私の愛。


 このエッセイ、ここで終わってもよいのですが、「事実は小説よりも奇なり」とでも言えそうなオチが付いています。意外な人物をローンさんは支持することになるのです。どんなオチか知りたい人は、ぜひ英文を読んでみてください。面白くて読みやすい文章ですから。

 そして私は、エッセイを読み終えてやっと思い出しました。アン・フッドさんは、投稿からなるこの欄「Modern Love」には2回目の登場です。1回目はちょうど2年前。「隠れる場所が必要」(Now I Need a Place to Hide Away)というエッセイを発表し、私たちを泣かせたあの女性作家だったのです。

 そのことに気づくと、先ほど引用した英文がいっそう心にしみてきました。一家を襲ったあの悲劇を、アンさんと一緒になって乗り越えようとしたのは、夫のローンさんだったに違いないからです。そう考えると、やはり政治なんて、大して重要じゃありませんね。(細田雅大)

国家や企業の秘密を暴くサイト

ウィキリークスは生き残れるか

08年02月20日

 国家や企業の後ろ暗い秘密が隠された内部資料の投稿を受け付け、プロのジャーナリストや分析家が審査した上で、ウェブサイトに公開しているウィキリークス(Wikileaks)。反体制派の中国人活動家をはじめ、米国や台湾、欧州、豪州、南米出身のジャーナリスト、数学者、新興企業の技術者たちによって創設されたサイトだ。

 2月20日付けのニューヨーク・タイムズ紙は、サンフランシスコのジェフリー・ホワイト連邦判事が同サイトに下した業務差し止め命令を紹介する一方で、その判断を嘲笑している。

 事の発端は、ケイマン諸島に本拠を置くジュリアス・バール銀行(Julius Baer Bank and Trust)が出した訴え。法廷資料によると同行は、「不満を募らせている元社員が嫌がらせとテロを敢行しており」、その元社員を通してウィキリークスに、機密事項を記した内部資料が渡ったと訴えている。しかしウィキリークスに言わせれば、その資料は「同行の資産隠し、マネーローンダリング、そして脱税の実態を明らかにする文書」である。

 ニューヨーク・タイムズの記事によると、2月15日にホワイト判事が下した差し止め命令の実態は、ウィキリークスのドメイン名を管理するダイナドット社に対し、そのドメイン名を無効にするよう命じるもの(ドメイン名とは、www.■■■■.comのようなウェブサイトのアドレスのこと)。

 「この命令により、表玄関からウィキリークスに入ることは確かにできなくなった。しかし裏口は開きっぱなしだ。サイトのコピー(ミラーサイト)だって存在する」と語る同記事は続けて、「ホワイト判事もジュリアス・バール銀行も、ネットの世界がどのように機能しているか分かっていないのだ」と嘲笑している。「ドメイン名が使えなくても、IPアドレスを打ち込めばウィキリークスのサイトへ行ける。そしてこれが、そのIPアドレスである」として、大変役に立つ情報までリークしてくれるニューヨーク・タイムズ。やる時はやるね、あんたたちも!

 実はこの記事を読むまで、ウィキリークスの存在を知らなかった私は、さっそくIPアドレスを打ち込んでみた。こんなサイトがあったとは驚きである。元々は、アジアやアフリカ、南米の圧制国家の内情をばらす(リークする)ために始まったサイトだという。しかし、虐待の専門家が米軍兵士にイスラム教徒虐待法を教える際の内部資料なども公開されている。関心がある方には一読をおすすめしたい。

 「今回のホワイト判事の判断は、言論の自由をうたった米国憲法修正第1条とは相容れないものであり、上訴された場合、いっそう厳密に審議され、まず覆されるに違いない」とニューヨーク・タイムズの記事は結んでいる。私もまったく同感である。(細田雅大)

あなたならどうする?

酒場でヤバい贈り物 前編

08年04月26日

 マンハッタン42丁目にある編集部で仕事を終えた私は、地下鉄にはすぐ乗らない。14丁目のユニオン・スクエア駅か、さらに南のチャイナタウンまで歩く。いい運動になり、時には面白いことにも出会う。

 ユニオン・スクエア駅を過ぎると、とたんにバーの数が増える。私は時々、面白そうな店の扉をくぐる。カウンターで飲んでいると、他の客との会話が始まる。社会勉強にもなれば、英会話の練習にもなる。

 先日は隣りで、ブロンドの髪を伸ばした中年の白人男性が飲んでいた。「今のアート界はだめだ」と言う。なんでもその日、ホイットニー美術館に出かけた彼が見たものは「すべてクソ」だったとのこと。彼自身も絵描きである。「何もかもシットだ。俺は今39で、もうすぐ40。でも気にしちゃいねえ」などと語る典型的な酔っぱらいだ。

 私たちの隣りにはまた、女1人に男3人という黒人のグループもいた。この黒人女性も「シット」や「ファック」を連発している。「お前なんか嫌いだ」と言っては、全く関係ない他人にからんでいく。

 男3人はハラハラしながら見守り、「静かに飲めよ」と言い聞かせるが、彼女は聞く耳を持たない。ふと気づくと彼女は、私の隣りの絵描きに汚い言葉を吐いている。絵描きは無表情のまま見つめ返し「このビッチが」などと言う。「言い返さない方がいいって」。私は小声で、彼をなだめる。

 次の瞬間、彼女は私たちの背後に回り込み、絵描きの髪をむんずとつかんで激しく引っ張っている。仲間の男3人と私は、あわてて介入する。「何やってんだおめえ!」「手を離せ!」と叫ぶ3人。髪が強く引っ張られている間、絵描きは下を向いたまま黙っている。よほど痛くて驚いているのか、あるいは怒りが激し過ぎて何も言えないのか、まったく分からない。

 男3人がやっと彼女を外に連れ出した。私は絵描きが心配だ。その日は、ただでさえ鬱屈(うっくつ)していた絵描き。彼まで暴れ出すと面倒極まりない。絵描きの肩を両手でつかみ、私は速射砲のようにまくしたてた。「お前、よくやったな! えらいわ! 俺なら切れてた! 我慢できんであれは! お前は男だ!」

 つたない英語が愉快だったのか、絵描きの顔には笑顔が浮かび、今にも暴れ出すかのような殺気は消えた。そして黒人男性3人が戻ってきた。彼女はもういない。3人は私たちに謝るために戻ってきたのだ。「その必要はないよ。彼女は本当は良い人だって、みんな分かってるから」と言う私に対し、彼女の兄弟だという1人が胸を叩いて言った。「いや、おれは respectable な男だから、謝りたいんだ」。「respectable」とは「まともな」「ちゃんとした」「堅気の」という意味の形容詞。話を聞くと、この人はしばらく刑務所に入っていて、つい最近出てきたのだという。

 その後は、みんなで仲良く11時頃まで飲んだ。

 そろそろ帰ろうと思った私がトイレに立つと、まったく別の黒人男性に呼び止められた。「よう。あんたクールだったな。喧嘩が始まらないよう、うまいこと収めた。見事だったぜ」と言う彼の表情は嬉しそうだ。先ほどの騒ぎも近くで眺めていた彼。その時に既に「あんたクールだな」と言っていたことを私は思い出した。

 「ありがとう」と私が言うと、彼はぐっと顔を近づけてきた。「最高のコカインがあるんだ。あんたクールだから今日は無料だ。俺からのプレゼントだと思って取っておいてくれ」。嬉しそうな表情は本物だ。将来的には私が良い客になればいいと思っているのだろうが、本当の好意も多少は含まれている表情。

 困った。私はいったい、どう答えればいいのだろう。(細田雅大)

あなたならどうする?

酒場でヤバい贈り物 後編

08年04月26日

 他人の好意を無にすることが嫌いな私は、黒人男性の肩に手を回した。「プレゼントだと思ってコカインを受け取ってくれ」。そう言う彼の耳に口を近づけて、私は言った。

 「申し出はありがたいけれど、私は日本人のために働いているジャーナリストであり、この仕事をする上では守らねばならぬ規則があるんだ。今の仕事を辞めたり、クビになったら、君の申し出を受けられるかもしれない。本当にありがたいんだけど、今はダメなんだ」 (I appreciate your offer. I wish I could take it. But I am sorry I can't. Because I am a journalist. I am Japanese. I am working for Japanese people. I have my job requirement. When I quit my job or when I am fired, I may take it. I appreciate your offer, but I can't.)

 実際の私は自分のことを必ずしもジャーナリストだとは思っていない。またこの編集部で働くにあたって「麻薬使用すべからず」という雇用契約書にサインした覚えもない。だから私が言ったのは必ずしも本当のことではない。しかし彼は納得してくれた。「ああ、そうなのか」と言って、残念そうに、しかしあっさりと離れていった。

 翌日、私はまたそのバーに出かけた。そして、カウンターに一人でいる彼を見つけた。「昨日はすまなかったね」と話しかけてみる。「お前には仕事があるからな。しょうがないさ」と彼は言う。飲み物を手にしていない彼に私は聞いた。

 「何を飲むかね?」

 「あまり酒は飲まないんだ」

 「そうなのかい? でも次の一杯はおごるよ。君の申し出を受けられなかったお詫びだ」

 「じゃあヘネシーがいいな」

 こういう人たちは、やはりヘネシーが好きなのだ。

 「どれぐらいこの仕事を?」と尋ねると、即座に「Too long」という答え。「マトモな仕事がしたいんだけどな。マトモな仕事でビッグ・マネーが稼げればいいんだけど」

 「では、株などはどうかね?」と言った私だが、株式市場のことは全く知らない。英会話で困るのがこれだ。思いついた英語を苦し紛れに話してしまう。「株式市場は誰にでも開かれているようだから、君に才能があれば大金が稼げるはずだ」

 「そうなのか」

 「そのようだ」

 「お前はいい奴だな」

 「私も金はないがね」

 すると彼は、私の手のひらを力強くつかみ、自分の胸へと引き寄せた。近くのジュークボックスから流れてきたのは、史上最悪のラップ・グループ、しかし史上最高でもあったN.W.A.の凶悪なビート。今は亡き故イージーEの声に合わせ、彼は替え歌のラップを始めた。

 「俺はイージーE。マジック・ジョンソンみたいにエイズにかかったが、彼と違って俺は死んでしまった」「俺には金がなかったから」

 「俺はイージーE。マジック・ジョンソンみたいにエイズにかかったが、彼と違って俺は死んでしまった」「俺には金がなかったから」

 その夜以来、私は時々そのバーで、彼と一緒に飲んだりしている。(細田雅大)

XOぶら下げどこへでも

“100ドル・ラップトップ”の魅力

08年07月28日

 2月初めに届いたXOラップトップを、私はどこにでも持ち運んでいる。最近はストラップを取り付けたので、ますます持ち運びやすくなった。

 XOというのは、OLPC(ワン・ラップトップ・パー・チャイルド)という団体が作った子供向けのラップトップだ。将来的にOLPCは、XOの価格を100ドル以下にし、世界中の子供たちに使ってもらおうとしている。デベロピング・カントリーに住む子供たちである。

 おっと、つい英語が出てしまったが、これには理由がある。私は、XOをどこにでも持って行く。朝方まで踊り狂うパーティーであろうが、NYで一番汚いバーだと思う「Marz Bar」であろうが、どこにでも持って行く。XOと共に踊り、共に飲む。誰かが興味を示し「それ何?」と聞いてくれば、私は英語で紹介するのだ。

 「This is a "$100 laptop" designed for children in developing countries」

 だからつい、デベロピング・カントリーという言葉を使ってしまったわけだが、これは、「後進国」や「発展途上国」という日本語が好きになれないからでもある。まあ本当は、覚えたての英単語を会話に織り交ぜる、ありがちな英語カブレになってしまっただけなのだろう。

汚いがゆえに素晴らしい酒場「Marz Bar」で、お客さんにXOを紹介

 子供向けのXOを、いいオッサン(42歳)の私がなぜ持っているかと言えば、「Give 1 Get 1」に参加したからだ。2台分の現行価格(約400ドル)を払い、1台をどこか、例えばアフリカとかアジアの子供たちに送ってもらい(Give 1)、もう1台を自分のものにできる(Get 1)というキャンペーンだ。残念なことに既に終了してしまった。

 声をかけてきた人の半分くらいは、XOがどういう機械か知っていた。「それが例の教育用PCなの?」「ニュースで読んで知ってるわよ!」。実物を見るのは初めてなので、誰もが興奮気味だ。残りの半分は、XOの可愛いデザインに引かれて話しかけてくる。「それ、オモチャなのかい? え、ラップトップなのか! ワオ!」という具合。それぐらいXOは可愛い。「でも今はもう、アメリカ国内で入手する道はありません」と伝えると、誰もががっかりするほど可愛い。

 XOをデザインしたのはYves Behar氏。2月14日に包装が一新されたNY市公認コンドームも手がけた人物だ。一方は子供向けで他方は大人向け。それを同時にデザインするとは、なかなか面白い人に違いない。両方を喜んで使う私のような人間も少なくないはずだ。

 多くの革新的アイデアが実現されているとはいえ、教育用である現行XOは、今あなたが使っているマックやPCの代替品にはならない。私がXOを持ち歩いているのも、要はXOが可愛いからだ。でも、やはりそれだけではない。OLPCの夢は、世界の誰もがコンピュータを使えるようになること。情報格差(digital divide)が解消され、それによって世界の経済格差も解消に向かうこと。サーゲイ・ブリンやラリー・ペイジは革新的な検索エンジンを開発し、グーグルを立ち上げた。今では二人は億万長者だ。なぜそんなことが出来たかと言えば、当たり前過ぎて誰も言わないが、コンピュータを自由に使える世界に彼らが住んでいたからだ。

 コンピュータに触ることすらできない世界には、今、どれぐらいの子供たちが住んでいるのだろう?(細田雅大)

あなたならどうする?

白いコートの女に追われる私 前編

09年01月01日

 以前、紹介した通り、私はXOをどこにでも持っていく。XOというのは、マサチューセッツ州の非営利団体OLPC(One Laptop Per Child)が開発した子供向けの低価格ラップトップである。ワン・ラップトップ・パー・チャイルド。つまり「世界の子供たちに1台ずつラップトップを」。それが実現すれば、子供たちの教育環境は改善される。長い目で見れば、質の高い教育こそ、世界の貧困問題を解消する鍵である。OLPCのこの理念を、私は盲信しているわけではない。しかし、賭けてみる価値はあると思ったので、07年の秋、「Give 1 Get 1」プログラムに参加した。400ドル払ってXOを2台購入するチャリティーだ。2台分の金を払うのだが、1台しか手に入らない。もう1台は、OLPCが世界の貧しい国の子供たちに送るからである。

 この「Give 1 Get 1」が08年11月から再開されたので、私は今まで以上に張り切ってXOを外に持ち出している。可愛いデザインのXOをなるべく多くの人に見て触ってもらうことで、OLPCの理念を広めたいのだ。というのは建前で、本当は、知らない人と会話するきっかけができて楽しいからだ。最近は、カフェを見かけると、コーヒーを飲む気はなくても中に入る。友人を探すふりをして店内を徘徊する。そうやって、ストラップを付けて肩にかけたXOを見せびらかす。時々、誰かが声をかけてくる。

 しかし先週の土曜日、この活動のせいで私は、かなり怖い目に遭ってしまった。昼過ぎ、マンハッタン14丁目のユニオン・スクエアに出ていたファーマーズ・マーケット(産地直送の青空市場)をぶらぶらした後、近くのスターバックスに入ったのである。この店はだいたいいつも満員で、空いている席はなかなか見つからない。しかし私の目的はXOの「見せびらかし」なのだから、むしろ好都合。席を探すふりをして、私は店内を見回した。

 入ってすぐの場所に、白いコートを着た若い白人女性が一人で座っていた。白いフードを、かろうじて顔がのぞくところまでかぶっている。化粧は薄く、どうやら、かなりな美女である。特に何をするわけでもなく、ただ、前方を見つめて座っている。今思い返すと、彼女の前にはコーヒーカップは置かれておらず、白いハンドバッグだけがあった。その彼女と、何気なく、目が合った。私は店内をさらに奥に進み、そこでもまた、同じようにXOを見せびらかした。誰もがラップトップを使ったり、仲間と熱心に話したりしているので、XOは誰の関心も引かない。

 そのスターバックスを出ることにした私は、ドアに向かいながら、白いコートの女性をもう一度見た。一瞬、何かぶつぶつ唱える声が彼女の口から漏れている気がし、そして、また目が合った。「目が2回合ったら即行動」というのは、嘘か真か、オンライン本「日本人の男はモテない」を書いた望月美英子さんオススメの「国際ナンパ」成功のための基本である。だからというわけではないが、私はつい目礼をしてしまった。ほんの少しうなずいたのである。そして、そのまま外に出ようとした私の視界のいちばん端っこで、何か異常な事態が起きているのに気づいた。ただ事ではない素早さで、彼女がハンドバッグをつかみ、席から立ち上がるのが見えたのだ。

 その動作には「この人間と関わるのは危険だ」と私に確信させる何かがあった。私はこの危険な人間のスイッチを入れてしまい、今その人間は、私に関わろうとして接近しつつあった。だから私は、スターバックスを出るやいなや、駆け出したくなった。しかしその日は土曜日。周囲はお祭りのごとき混雑ぶりだ。車も走っている。駆け出すことはできない。それに、もし駆け出してしまったら、この女を悪い方向に刺激してしまうのではないか。そう思った私は、精一杯の早足で、スターバックスから離れた。

 ブロードウェイを北に向かい、時々、後ろをうかがった。どんなに早足で、どんなに巧妙に人ごみをくぐり抜けても、驚いたことに、白いコートの女を引き離すことはできない。23丁目の交差点で信号が赤になり、私は立ち止まった。もしかしたら何もかも私の思い過ごしであり、この女性は単に、私と同じ方向に進んでいるだけではないかと思ったのだ。

 しかし女は、信号が青になるのを待つ私の真横に立ち止まった。肩がくっ付きそうな、ほんの数センチしか離れていない場所だった。その瞬間、女が私に狙いを定めていることを私は確信した。それがどんな狙いなのかは見当もつかなかった。

 まっすぐ前を見ている私と同じように、女もまっすぐ前を見て、ぴくりとも動かない。呪文のような言葉を低く唱えている。信号が替わるやいなや、私は早足で進んだ。女の方を見たりはしない。数ブロック進んだところで、女の気配が消えた気がしたので、速度を緩めた。しかしそれは錯覚で、女はすぐ後ろにいた。速度を緩めた私を追い越していく女が、「それは正しくない(It's not right)」かあるいは「それは光ではない(It's not light)」とつぶやいたように聞こえた。

 私を追い越した女は、そのままどこかへ消えてしまうのではないか。そう願いつつ、横の店のショーウィンドウをちらりと見た。私の姿が映っているガラスに、すらりと背の高いその女の姿も映っている。女もまた、歩きながらショーウィンドウを見ていた。ガラスを使って私と目を合わせようとしている気配が感じられ、私は立ち止まった。数メートル先の女も立ち止まり、くるりと振り向いた。笑っていた。女は進行方向を指差し、まるで子供にさとすような口調で、ひと言、私にこう言った。

 「Go」

 言われるまま、私は彼女を追い越した。数ブロック先の交差点で、また立ち止まった。女も再び、真横に立ち止まった。じっと前を見ている彼女に、ついに私は声をかけた。笑顔に見えるよう務めながら。冗談めかした声で。

 「What are you doing? Are you following me? Why?」

 すると女は、私を見て、呪文めいた言葉を、少し大きな声で唱えだした。英語なのかどうかすらも、もう分からない。信号が替わり、私はまた早足で歩き出した。白いコートの女は追ってくる。このまま、刃物で背中を刺されるのではないか。そう思った瞬間、私はなかばパニック状態に陥った。

 さて、皆さんならこんな時、どうしますか?(細田雅大)

あなたならどうする?

白いコートの女に追われる私 後編

09年01月11日

 このまま10ブロックほど、早足で歩き続けよう。オフィスのある42丁目のビルまで行き、女に追いつかれる前に、素早くビルの中に入ってしまおう。私はそう考えた。土曜日だから、ビルのドアはロックされているはず。社員だけが持つ電子カードをスキャンしないと、ドアは開かない。白いコートの女はカードを持っていないから(もし持っていたらどうしよう!)、いったん中に入れば大丈夫だ。受付には守衛もいる。

 しかし、女に勤め先を知られるのは危険だと、すぐに気づいた。女は、私がビルの外へ出てくるのを、辛抱強くずっと待ち続けるかもしれない。勤め先に毎日訪ねてこられるのも困る。五番街を北上しながら私は、どこかの店の中に飛び込もうかとも思った。しかし、女も後を追って、店内に入ってきたらどうする? 女が静かにしている保証はない。騒ぎが起き、店員に、あるいは駆けつけた警官に、事情を説明する羽目になったらどうなる? そう考え、店の中に飛び込むのを思いとどまった。では、携帯に電話がかかってきた振りをし、立ち止まって、長話に没頭する演技をしてみてはどうだろう? ダメに決まってる。女が私から離れていくとは限らない。

 五番街の32丁目に到達しようとしていた私は、だから、いきなり右折して駆け出した。16ブロックほど離れたユニオン・スクエア周辺と異なり、人通りは多くない。32丁目を全速力でマディソン街に向かいながら、もし女が同じ速度でぴったり後ろを走っていたらと考え、背筋が凍った。しかし、背後にその気配はない。後ろを振り向かず、私は必死に走った。マディソン街でも右折して走り続け、31丁目でまた右折した。このまま私は、一つのブロックの周囲をぐるぐる走り回り、右折し続けるのだ。そういう不条理な考えを抱きかけた瞬間、左前方にホテルを発見し、飛び込んだ。右折してすぐだったから、たとえ女が追ってきていたとしても、ホテルに入るところを見られてはいないはず。そう思ってはいたが、ロビーのチェアに腰かけ、誰かとの待ち合わせ時間を待つ振りをし、ガラスドア越しに外の様子をうがかう私の動悸は、なかなか鎮まらなかった。飛びこんだホテルは「Hotel Chandler」という名前だった。

 何かドラマチックな結末を期待していた人にはすまない気もするけれど、これが事件の顛末(てんまつ)だ。結局私は、速度を上げて女を引き離し、彼女の前から姿を消すことに成功した。その週末は、白いコートの人間を見かけるたび、一瞬、心臓が止まる思いがした。あの角を曲がったところに女が立っているのではないか。そういう不安が、週末の間は続いた。しかし今はもう、そんな恐怖心はない。ただ、奇妙なことに、後悔のような気持ちが生まれ始めた。なぜそんな気持ちになるのか、しばらく分からなかった。

 どんなに異常に見えたとしても、どんなに危険な可能性をはらんでいたとしても、あの女はやはり、私に何かを伝えたがっていたのだ。その最悪の形は、例えば刃物による私の背部への一撃なわけだが、それだってコミュニケーションの一つの試みではある。一般的に男の肉体は、女の肉体より強く、速い。だから私は今、あの白いコートの女を思い出すたび、少し申し訳ない気持ちになる。それは、コミュニケーションを求めてきた誰かを、男性的な肉体の強さを背景にして突き放してしまった後で(往々にしてかなり時間がたち、自分の未熟さにやっと気づいてから)感じるあの恥の感覚と似ている。もちろん、今度の土曜日にまたスターバックスを訪れ、白いコートの女を探そうとは思わない。でも、ほんの少し、彼女に会って伝えたい気もするのだ。「ごめんなさい。私はフェアではなかったかもしれない」と。(細田雅大)

さようならXO

10年02月03日

 ついに、OLPCのXOラップトップを手放す時が来ました。

 OLPCとは、マサチューセッツ州の大学、MITを本拠地とする慈善団体です。「子供たち一人一人の手にラップトップを」という意味を表す「One Laptop Per Child」の頭文字から成ります。OLPCの目標は、100ドル以下のラップトップを作り、開発途上国の子供たちに使ってもらって、彼らの教育環境を改善すること。07年には、100ドルこそ切れませんでしたが、ついにラップトップの製造にこぎつけました。その名称が「XO」です。

 同時にOLPCは、北米居住者を対象に「Give 1 Get 1」キャンペーンを開始しました。XO2台分の金額を払うと、1台がどこかの貧しい国の子供に送られ、残りの1台を北米居住者自身が入手できるという仕組みです。OLPCの活動は、先進国居住者の寄付によって成り立ちます。このキャンペーンには、先進国におけるOLPCへの理解を促進しようという意図もありました。そして私は「Give 1 Get 1」に参加し、XOラップトップを手に入れたのです。

 08年の2月にXOを入手して以来、私はずっと長い間、たしか09年の秋まで、ほぼ毎日、どこにでも持ち歩いていました。ストラップを装着し、まるでバッグのように身につけて歩いたのです。行く先々で、いろいろな人から声をかけられました。私は喜々としてOLPCの理念を説明し、XOを差し出して自由に使ってもらいました。そうやってOLPCの役に立とうと思ったわけです。しかし、私がOLPCの役に立つ以上に、XOが私の役に立ったと思います。緑と白の可愛いデザインのXOのおかげで、本当にいろいろな人が声をかけてくれて、楽しい会話が弾んだのです。時には、ちょっと危なそうな女性(白いコートの女)にまで追いかけられたりもしました。

 しかし、そのXOと、ついにお別れです。

 先日、OLPCから「Give 1 Get 1」の参加者にメールが届いたのでした。キャンペーンのおかげで、計7万5000台のXOを、ルワンダ、エチオピア、モンゴル、カンボジア、ウェストバンク、そして、ハイチの子供たちに渡すことができたそうです。しかしハイチでは、大地震のために学校が壊れ、XOの多くも失われてしまいました。

 7万5000台が子供たちに送られたということは、それと対になる7万5000台が北米に存在していることになります。OLPCからのメールは、「Give 1 Get 1」参加者に、改めて「寛大さ」を乞うためのものでした。

 「私たちは今、中古のXOを、ハイチに送ろうとしています。もし貴方が、あるいは貴方のお子さんが、もうXOを使っていないのなら、私たちは再び、貴方の寛大さにすがりたいのです。壊れていてもいいので、どうかXOを送ってもらえないでしょうか。ポルトープランスの学校の75%は破壊されました。しかし、ハイチにいるOLPCスタッフは、ありがたいことに全員無事です。壊れにくくて防水で、太陽光で動くXOは、救援活動に最適な道具でもあります。もし貴方がXOを使っているのなら、このお願いは無視してください。しかし、もし貴方がXOを使っていないのなら、ぜひ送って欲しいのです」

 ここ数年、低価格のラップトップ、いわゆる「ネットブック」の発売が各社から相次ぎ、今では200ドル台で購入可能となっています。また、08年9月のリーマン・ショック以降、世界的に大不況となり、OLPCへの寄付金も大幅に減ってしまったようです。そうした状況の中、この私も昨年秋から、XOを外に持ち出すことがなくなっていました。私は何となく、XOも、そして私自身も、もう役割を終えてしまったような気がしていたのです。

 だから私も、自分のXOをハイチに送ることに決めました。でも、実際に手放すことにしてみると、寂しくなりました。ですので最後のツアーを行います。これから数日間、私は再びXOを身につけ、どこにだって持っていこうと思います。

 XOよ、ありがとう! そして、さようなら。
(細田雅大)

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